魂離れ 壱
倉へ戻ると、熊が正座をしていた。
ではなく、主人である
はじめは何やら言い返していたが、その都度するどい眼光に睨めつけられ、大きいはずの男はしゅんと小さくなっている。その後ろでウツギはしばらくどうしようかと様子を見ていたが、先に正座している方が少年に気がついた。
「お見送りごくろう、ウツギ。外は暑かったろう」
「はあ、まあ」
何とも言えぬ沈黙。
とくに
とりあえずとばかりに
「あ、文を渡されました」
「そうかい」
そのまま横にいる随身へ流す。またしても読む気がないらしい。
「じゃあ俺は……」
しばし悩んだのち、ウツギは空の書棚横に立てかけてあった
「
「いやいや!お前、あれは何だったのだとか気にならないのか」
さかさず大声で呼び止める
「たしかに……何だろうなとは思いましたが」
記憶を失っているためなのか、それともそもそも知らなかったのかわからないが、あの客人が何者で、いったい何の会話をしているのかまったくわからなかった。ゆえにとりあえず黙って聞いているふりをしていたが、暗号の飛び交う空間は実に退屈で、こういう時は顔を隠しているのは便利だとすら思った。声を殺せばあくびも許される。
はあ、と深々と息を落として
「ならばさり気なく聞いてみるくらいしろ。無知はよくない」
「俺の関わることでもなさそうでしたので」
「
こちらの両肩を摑んできっぱりと言い切るその勢いに、少年は「じゃあ聞いておきます」としか答えられない。
すると、主人が横から言葉をさした。
「君たち、本当に仲良くなったよねえ」
護衛を任されているその立場から、
ゆえに当初は真っ先に
「仲良くなったわけではありません。言いつけたことをしっかりこなすから、使えると判断しただけです」
ウツギは実によく働いた。
あまり食事をつくるのはうまくないものの、掃除洗濯は丁寧で、注意すればすぐに直してみせる。
覚えるのがとにかく得意で、一気に複数の指摘や命令をしても間違えることはない。逆に、指示していないことに対してあれこれ考えて気を利かせることはないが、勝手に余計なことを一切しない。
事実、突然の来客でも
外に客人を放って置いてしまったことには改善の余地があるものの、それでも真っ先に部屋と主人を整え、主人の威厳を保ってみせた。
「というか記憶のない子どもこ
つい先ほどまでの問題ある行動をあれこれと挙げ連ねて、「反省してください」と強く言った。
「で。話は戻すが、先ほどのふたりは朝廷のいわゆる高級役人だ」
恰幅のよい中年のほうが、関白を父に持つ
「どちらにせよ、はっきりとは言っていなかったが、
「遣い、ですか」
「
はあ、とウツギはなんとも言えない無感動な反応をする。
「お前はもう少し驚け。それと慌てろ。前の主人がこのうえなく高貴な御方なのだぞ」
「そうは言われましても、ピンとこないものでして」
ああ言うこの男こそ、ウツギの拾われた現場を知れば目玉が飛び出ることだろう。その死体のかたわらで返り血を浴びたように血まみれだったのがこの少年なのだから。無知は恐ろしいとこの公達は言っていたが、まったぬもってその通りである。
「しかし、後宮も変わらず平和なようだね」
「あれを平和と呼んでいいのですか。何やら皇后の体調が優れぬようですが」
「まだ
「まあもとから、ある程度のことは起きていただろう」
ある程度のこと、に毒を盛られるというのは含まれているらしい。
そのなかでも直近で権力を有するのが
当然のように両家の姫は
関白の座と帝の座、両側をおさえたい
「だがあの
ううむ、と悩ましげに顔を歪める随身に、主人はからからと笑った。
「狸と狐の化かし合いだねえ」
「いや、
「なら狸と……犬?」
「無理に獣で例えないでください」
とわかりやすく怒った顔で返す。この男も
「どちらにせよ、「不干渉」であることを求められる
なぜ不干渉であるべきなのかについては触れない。つまりはそこは問うなと言うことである。
「
「自分で追い返しておいて、そんなことしないよ。君は私をなんだと思っているんだい」
「貴方の気の変わり方は季節の変わり目の天気より読めないから困るのです!」
ハハハと乾いた嗤いで流そうとする主人はこれ以上の小言を聞きたくないのかウツギを手招きするしぐさをした。
「……なんですか」
「欲しければあげるよ」
差し出されたのはきっと
ウツギはその
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