虚ろな目 参

 人払いをしたらしい。清涼殿はしんとした静寂に包まれていた。

 帝の昼時の居所である昼の御座ひのおましには、脇息きょうそくにもたれ掛かって書を読んで待つ今上帝きんじょうていと、呼び出したのか皇后の姿がある。側近たちの姿もあったが、史紀ふみのりたちの姿を認めるや、退室するよう命じた。

 

「やあ。昨日ぶりだね、今上きんじょう陛下。皇后陛下もご機嫌うるわしゅう」

 

 史紀ふみのりの第一声は和やかな挨拶である。熊のように大きな熊は勧められるままに円座わろうだへざし、少年もそばへ座らせた。そのうしろに重行しげゆきも座すとようやく、今上帝きんじょうていが話をはじめた。

史紀ふみのり、今日は来てくれたのだな」

「お伝えしたいこともあったからね」

「ほう。よい知らせであることを期待しよう。それよりはまず、皇后がそこの子どもに礼を述べたいらしい」

 今上帝きんじょうていの目が皇后へ向けられると、皇后はしとやかな仕草で両手を添え、少年へ軽く礼をした。

昨日さくじつは本当に世話になりました。葬儀では驚きましたけれど……」

 手を口元にそえ、ふふと笑う。少年は口籠った。こういうとき、どうすればよいのかを知らなかったのだ。史紀ふみのりがそっと耳打ちをして、「こういうときは、ありがとうございます、と言えばいいんだよ」と伝えると、少年は目をまばたかせた。

 ――ありがとう。

 それは、こちらが何かをしてもらったら言う言葉なのだと思っていた。感謝とは不思議なものだ。少年は皇后の真似をしてこうべを垂れた。

「ありがとうございます」

「あんなに強くてもやはり、子どもですわね」

 たどたどしい少年の様子を好ましく思ったのか、皇后はころころと笑った。

 

「さて、本題に入ろう」

 

 史紀ふみのり重行しげゆきを見やり、今上帝きんじょうていは切り出した。

「今回の一件だが、すべてを狩ることは難しいだろう。なにせ、その理由はよくわからぬが――宵結よいむすびの守部もりべは人気のある御人だったからな。その実子となると持ち上げたくなる者もある」

 この男社会のきょうにおいて、女だと言うのに、上皇を含め異様に他者ひとの心を集め、離せない人間らしくない女人。なぜあそこまで人気のあるのか、その実だれも知らない。ある種の「魔性の女」とも言うべきだろう。

 とにもかくにも信者とも言える彼らはいったいどうしたことか、その実子である史紀ふみのりに期待を寄せてやまないのである。

「まったくいい迷惑だよ。私は平和に暇な時間を謳歌したいというのに」

「貴様はもう少し働きたい気分になれ。ボケるぞ」

 後ろからぼそりと悪態づく友人に、史紀ふみのりはにっこりと「君はカリカリして禿はげそうだね」と言った。当人は喧嘩をふっかけたつもりでないのだから、たちが悪い。

「ならいっそ、はくで働かぬか?ちょうど宵結よいむすびの守部もりべの席が空いているぞ」

 と今上帝きんじょうていと提案すると、史紀ふみのりは苦々しく笑い、肩をすくめた。

「それこそ冗談だ。私は魂読たまよみもあまり得意じゃない。よいむすびの守部もりべとしてはふさわしくないよ」

 自分は何でもそつなくこなすが、とくに何かが光っているわけではない――嫌味にしか聞こえないその言葉に重行しげゆきが青筋を立てたのは言うまでもない。

 断られることをすでに今上帝きんじょうていは予想していた。過去にながらく空席の日宿ひやどりの守部もりべで同じ提案をしたのだ。智の蔵ちのくらなどという暇な役職より、やりがいがあると。だが、史紀ふみのりの答えは同じだった。

「どちらにせよ、神官で卜師ものうらの地位にすら到達した者は少ないのだ。そなたでも構わんとおもうのだがなあ」

「重要な役職を妥協するのはよくないよ」

 史紀ふみのりがとろんとした目を細めると、今上帝きんじょうていはそうか、と肩を落とした。さいきんの神官の質はあまりよろしくない。このことがもっとも今上帝きんじょうていの頭を悩ましていると言っても過言ではない。

 

「そこで、です」

 

 だしぬけに声を大きくして言う史紀ふみのりに、今上帝きんじょうていだけでなく皇后や重行しげゆきも眉をひそめる。

「どうした、史紀ふみのり。よい案があるのか」

「はい。私はこのウツギを養子に取ろうと思いまってね」

「…………はあ?」

 少年は思わず声を上げていた。

 大きな手ががしりと少年の両肩をおさえ、逃さない。

「この子はよく働き、物覚えはよく、何よりもすでに結師むすびとしての術の一部を習得いる。官位さえあれば、どの神官よりも「神官」としてふさわしくはないかい?」

「そうだが……鬼子の神官、というのは」

 彼らの視線は、頭巾ずきんのしたに覗く少年の風貌がある。白銀の髪に真朱まほその目。そして小さな二本の角。それらはとても人間のものではない。

「故、よいむすびの守部もりべいわく、ウツギは人間の子だ。生まれつき魂と器の結びつきが緩いゆえ、器がだけ。何も問題ないよ」

 問題ないわけがない。それはよいむすびの守部もりべが存命のころに公表したわけでもない。事情を知らぬ者が見れば、奇っ怪な鬼人きじんの子どもにしか見えない。

 

「あの……。そんなことよいむすびの守部もりべめいにないのですが」

 少年は困惑顔をし、顔だけ振り返って史紀ふみのりを見た。遺された言葉は、きょうを守ることだ。誰かの子どもになる、ということは含まれていない。

「地位ある立場ならより、そのめいを遂行できるとは思わないかい?」

「それは……そうですけど」

「それにね。私が初氷ういごおりの後継として子をもち、よく帝に仕えさせれば、私に神鏡かがみとして生きる気はないという意思表示にもなる」

 自分にとっても都合がよいのだ、と続ける史紀ふみのりに、少年は何も答えられず沈黙した。

 すると、皇后が両手を合わせて顔をほころばせた。

「わたくしは賛成ですわ。その子の才を野放しにするのはたいへん勿体のうございます」

「……認めよう。ただし、そのことで朝廷が荒れるようであれば、その件はなしとする」

 さらに今上帝きんじょうていが添えた言葉で、当人の意見など関係なく、話は進んでいった。

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