出逢い 参


 史紀ふみのりの言葉に、少年は眉をひそめた。

「つまり俺はあんたとは知り合いではない……ということですか」

「まあ、そうなるね。それに君がどうしてあそこにいたのかも知らない」

 あっさりと認める男に、がくりと脱力する。


 何も事情を知らないのに、殺人鬼かもしれない子どもをかくまったということだ。よほど能天気な性質たちなのか。あの随身の苦労がなんとなく想像できる。

「俺が覚えてない、てとぼけているだけの破落戸ならずものだったらどうするんですか」

「ううん。その時はその時かな。まあ確かに手こずりそうだけど……勝てないほどではないし」

 顎に手をやり物騒なことをこぼす男に、少年は顔を引きつらせた。ようは、何かあればあの逞しい腕で叩きのめされるということだ。

「……あんたには手を出さないようにするよ」

「そうしておくれ。私は武人ではないから不慣れで、加減というものがわからないからね。まあ、危害がない限り傍観を貫いているから安心をし」

 それはすなわち、家人をうっかり殺されようと自分にまでその危険が及ばなければ傍観を続けるという意味である。少年はしばし言葉を失っていたが、なんとか声を押し出した。

「……倉番って武人がするものではないんですか」

「通常の倉の番人であれば、武人が担うだろうね。智の蔵ちのくらの番は守るものは物ではなく記憶だから、武人である必要がないんだ」

「ちのくら……聞いたことないです。覚えていないだけかもしれないですけど」

「まあ、本当に知らないんじゃないかな。普通は知らないからね。官人かんにんたちも半数以上が知らないと思うよ」

 

 からからと笑って男は倉の中へ入って行った。

 男に続いて中へ入ると、倉のなかは薄暗く、外の暑さを忘れたかのようにひんやりと涼しい空気に包まれていた。風通しもよい。何も保管されていないものの、倉としての役割を果たした家屋らしい。

「ささ、早く着物を脱いでしまいなさい。替えは――とりあえず私の着替えをひとつ貸そう。ひとえだけで事足りるかな」

 畳の手前にたどり着くなり、白色の衣を押し付けられる。なぜ勤め先に着替えを何枚も置いているのか謎であるが、あの随身の発言からして崖下へ降りるのは茶飯事のようなので、そのためかもしれない。

 史紀ふみのりはさっさと替わりの着物へ着替え始めていた。武人ではないと言っていたが、そのあらわになった背は武人のそれだ。手慣れた様子でひとえや大口袴を纏ったかと思うと、あっという間に狩衣をはおり、その髷の結われた頭に烏帽子えぼしを乗っけていた。

 

 いまだに突っ立って濡れ鼠のままである少年に気がつくと、男はむんずと少年の頭巾ずきんをつかんだ。

「こら。ぼうっとしていないで早く君も着替えなさい」

「うわっ」

 ひんやりとした外気が頬を撫でる。

 視界には、自分のものと思われるざんばらに伸ばされた髪が映し出される。やけに色の薄い髪だ。あの浜辺で見た町人や史紀ふみのりの随身、そして史紀もみな、黒に近い髪色をしていたのに、それは白銀と言える色なのだ。

 その色に自ら驚き、手でつまんで近づけてみるが、やはり色素のない髪であった。

「どうしたんだい、ウツギ」

「あ、いえ。変な髪色だなと思って」

「そりゃあ、君は鬼子おにごだからね」

 

 鬼子おにご

 またも知らぬ言葉に少年は困惑した。史紀は説明に悩んだ顔をしたが、すぐにそうだと声を上げて畳上の書の山から何かをつかむとそのまま倉の外へ出ていってしまった。

 

「何なんだ……?」

 ひとり残された少年は、いまだ血と汗と海水うみみずでずぶ濡れの格好のまま呆然とする。だがなかなか戻ってこないので、「気持ち悪いし、脱いでしまうか」と考えて着物を留める細紐を手でほどく。

 きっと下働きか何かをする身分だったのだろう。

 痩せぎすで、手足はこんがりと日焼けている。しかもかなり危険な作業に従事していたのか、全身傷跡だらけで、中にはまだ治っていないと思われる大きな青あざがある。

「痛くは……ない?」

 青あざに触れてみるものの、いまいち痛みを感じない。もしかすれば、見た目が派手なだけでさほど重症でないのかもしれない。

 史紀ふみのりに与えられた衣をかぶって、手で前をとじた。本来は一番下に着るもので、ようは下着なのだろうが、あの熊のような背丈の男がはおるものなだけはある。裾が脚をすっぽりと覆い隠してしまった。

 

「ただいま戻ったよ!」

 

 ばん、と戸が開け放たれたと同時に投じられた史紀ふみのりの声に、思わず飛び上がった。

「お、おかえりなさい……」

「着替えたみたいだね。顔が見たいかと思って水を持ってきたよ」

 と持ち上げて見せるのは、なみなみと水をいだ角盥つのだらいだ。きっとあの書物のあいだから持ち去ったのはこのたらいだったのだろうが、なぜこんなところにたらいが、などと今さらである。男は大股にこちらへ歩き寄ってくると、はいと水で重みのあるたらいを手渡してきた。

「はあ、ありがとうございます」

 何をそんなに見せたいのか。少年は怪訝に思いながらも受け取り、覗き込んでみた。

 

「うわっ!」


 こちらが声を上げるより先に、倉の入口あたりから悲鳴が上がった。

 振り返ればつかいに出されていたはずの史紀ふみのり随身ずいじん忠行ただゆきの姿がある。ひんむく勢いで目を見開き、青ざめて指さしている。

「ちょっと、史紀ふみのりさま。鬼人きじんだなんて聞いていませんよ」

 

 鬼人きじん鬼子おにご。それらは少年のような存在を表す言葉らしい。

 そのひたいには小さな角のようなものが二本、にょきりと生えていた。

 顔立ちは気味が悪いほどにくっきりとして、鼻は高く、眼窩がんかはくぼんでいる。その眼窩の奥では血のよりも鮮やかな真朱まそほの瞳が収まっており、そのまなこは光の加減で瞳孔が猫のように縦長に変容した。

 

「言ってなかったかな」

「まっっったく、聞いておりません」

 けろりと返す主人に、忠行ただゆきはまなこを吊り上げる。

「いったい何者なんですか、この小僧は。危険な香りしかしません!」

 何者なのか。そんなこと、自分が聞きたい――少年は眉を寄せた。鬼人とやらは彼らにとってよろしくない存在なのか、忠行ただゆきはすさまじい剣幕で「他者ひとに見られる前にさっさと追い出してください」と続けていた。

 説得される当人と言えば、「まあまあ」と言って随身をなだめ、少年の肩をつかんでぐいと引き寄せた。

「この子はウツギ。宵結よいむすびの守部もりべのための形代かたしろだよ」

「は?」

 少年と忠行ただゆきはほとんど同時に声を上げていた。

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