出逢い 肆


「ご冗談ですよね、史紀ふみのりさま。形代かたしろは言わば尊い御方を守る盾です。それを鬼人きじんの小僧が担うなど、聞いたことがありません」

 

 先に疑問を口にしたのは随身ずいじん忠行ただゆきである。その疑問の内容すら少年にはさっぱりわからない。

 だが疑問符にまみれる少年に置き去りに、史紀ふみのりはのんびりとした口調で言葉をついだ。

宵結よいむすびの守部もりべだよ」

「まあ、そうですが……。それでも、人間以外の形代かたしろなんて……」

「あの、すみません」

 耐えられず、少年は遮った。

守部もりべだとか形代かたしろだとか。いったい何なんですか」

 

 しんと気不味い沈黙がおろされた。

 記憶がないことを知らぬ忠行ただゆきは信じられないといった面持ちで口をあんぐりと開けて呆気に取られていた。

「お前……自分の主人のことも知らず、そんな大役を担っていたのか。不敬にもほどがあるぞ」

「と言われましても。自分は名すら覚えていないので……」

 何ならば、自分が鬼人なる存在であることも、鬼人が何なのかも覚えていない。頬をかいてそう返す少年に、いっそう信じられない、と忠行ただゆきは目を剥いた。

「鬼人とは、お前のような角を持つ人形ののことだ」

「獣、ですか」

「そうだ。お前のように毛深くなくて、角が二本なのは初めて見たが……」

 

 多くの鬼人は全身を茶や黒の毛で覆われ、ひたいに大きな角が一本生えている。狐を連想させる耳をもち、光で瞳孔の変化する琥珀色こはくいろの瞳を持つ。口内には鋭い牙をそなえ、臀部には長い尾を有している――小柄な公達は淡々と鬼人の特徴を説明した。

 その毛深い外見から人間より獣として扱われるのだ。

 知恵があるぶん厄介なので、人里に降りた鬼人は即刻首をはねて駆除されるか、もしくはけがれ仕事を担う犬として頸に焼印を押されて鎖に繋がれるらしい。

 

「はあ。まるで別の生き物ですね……」

 角を有し、瞳孔が変化する以外、ほとんどの特徴が一致していない。肌はつるつるで、目は赤色。牙もなければ尾もはえていない。

「そういう鬼人もいるということだろう」

「はあ」

 何とも雑な結論だ。

 すると横から史紀ふみのりが言葉を差し込んだ。

「まあ、君を雇っていた御人ごじんは変わったことを好む、好奇心の権現ごんげみたいなひとだったからね」

「ええと……宵結よいむすびの守部もりべ、でしたっけ」

 死体で見つかったと言っていたので、あの浜辺で見た女人がその宵結よいむすびの守部もりべなる御人ごじんなのだろう。

「そうだよ。あの御方は神職のなかでも高位に就く女性ひとでね」

 

 ここ、きょうの地では「境い目」を神聖視する文化があるらしい。

 

 それはこのきょうの地が、双対ふたついの神々の「偶然の接触」によって生じたとされるためだ。

 双対ふたついの神々とは、天ツ原あまつはらに在る己霊之御神きだまのかみたちと、地ノ泉ちのもとに在る殻郭之御神かくのかみたちのことで、前者は魂と性質を、後者は器と物質を司る存在である。本来は交わることのないふたつの世界の神々はほんの偶然で接し重なり、刹那的な世界やそこで生きる者たちを創造してしまう。

 

 むろん、そのふたつの世界や神々を「通常であれば」目視することはできない。ゆえに人々は、その境い目を大きな湖や海の水面みなもに見立て、崇めるのだ。そして儀式的に意味を持つ湖や海を守る高位で「技術のある」神官の通称がむすびの守部もりべなのだ。

 

「君のご主人はそのむすびの守部もりべのなかでも、はくにある宵結ノ湖よいむすびのあふみを守る神官だったんだよ」

はくの湖、ですか」

「そう。きょうの地方地域のうち、北の地域一帯にある湖のなかでもっとも大きな湖だね」

 他にも東の曙結ノ湖あけむふびのあふみ、西のすい暮結ノ湖くれむすびのあふみ、そしてここ、都のある環栄かんえい日宿大海ひやどりのあわがあり、先ほどまで少年がいたのは、その日宿大海ひやどりのあわの海岸である。

 

 史紀ふみのり忠行ただゆきに買ってきた子ども用の衣服一式を渡すよううながし、少年にそれらを手渡した。

「とにかくこれに着替えて。続きは茶でも飲みながら話そうか」

「はあ」

 麻でできた藍地あいじの着物だ。袖を通してみると、思ったより丈が短い。背丈のわりに手足が長いのだと今さらに知ったが、仕方がない。一緒に渡された組紐で服を留めると、史紀たちのいる畳へあがった。

 史紀たちと言えば、少年が着替えているあいだ何やら話し込んでいたらしい。こちらに目を向けることなくずっとひそひそと言葉を交わし、その間ずっと、随身の忠行ただゆきが「駄目です」「なりません」「反対です」と連呼していた。

 

 こちらに気がついた史紀ふみのりが無理矢理に話題を打ち切って、

「おや、丈が合わなかったみたいだね。あつらえなおした方がいいかなこれは」

 などと切り出した。

「服があるだけ助かりますので……大丈夫です」

「代金を気にしているのかい。気にすることはないよ。こちらが勝手に押し付けたのだしね」

「はあ」

「気になるなら、しばらく私のもとで働いてもらおうと思っているから、代金はその給金から天引きでも問題ないよ」

「はあ…………はあ!?」

宵結よいむすびの守部もりべは個人的に御方でね。その形代かたしろであった君が困っているのだから、放っておくわけにもいかないだろう?」

「いや、ぜんぜん話が見えないです」

 きっぱりと言い返すと、史紀は困ったなと眉を八の字にする。八の字にしたいのはこちらだ。そもそも形代かたしろって何なのだ。少年は眉間を押さえながら早口に言った。

 

形代かたしろっていうのは尊い御方が用意する、代わりの「器」だよ」

 

「器?」

「言ったろう。きょうは魂をつかさどる天ツ原あまつはらと器をつかさどる地ノ泉ちのもとのはざまに世界だ。つまり、私たち民もまた、もとは魂と器は別々にある、と考えているんだ」

 つまり方法さえあれば、器を変えて「現在いま」の記憶を持つ魂のままこのきょうに留まることができる――というがある。尊い人間ひとは、数人の「形代」をそばへ置き、いざというときの魂の移し先とするのだ。

 とは言えそれらは迷信だと多くの人間は知っている。ゆえに「形代かたしろ」とはまことの意味での「形代」ではなく、信頼のおける護衛を指すことが多い。

 

「俺はあのひとの随身だった、ということですか」

「そうだね。しかも、かなり信頼の寄せられた、ね」

「私は女性ひとが信頼する君にとても興味もあるし、もしているんだよ。だから遠慮なく、私の元へ来るといい」

「はあ」

 何を言いたいのか、さっぱり伝わらない。

 少年をかくまう気満々の主人に対し、随身はいまだに猛反対を続けているが、記憶も行く当てのない少年はこの何を考えているのかわからない男に頼るしかないのも事実。忠行ただゆきが悶々と何かを訴えかけてくる目を向けてきたが、小さく頭をさげて「よろしくお願いします」と言った。

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