夏の来客 壱


 きょうの都、環栄かんえい

 

 それは東西で対になるように整備された華やかな町で、そこに住まうのは力仕事を担う町人やいちでものを売る商人、それから朝廷づとめをするさぶらい大夫たいふ上達部かんだちめなどである。

 その環栄かんえいの北端には、大内おおうちと呼ばれる区画がある。このきょうの地そのものであるとされる帝が暮らし、儀式や執務を行う御所ごしょがあり、その周囲をぐるりと朝堂院や二官八省の官庁が整然と立ち並んでいる場所だ。

 その、環栄かんえいのなかでもっとも日宿大海ひやどりのあわから離れた大内おおうちに、宵結よいむすびの守部もりべの死を事実として告げられたのは、その日の昼時であった。

 

宵結よいむすびの守部もりべが何者かに殺められたというのは、まことか」

 

 御簾みすごしに、厳かな帝の声が響かれる。

 清涼殿せいりょうでんへ呼び出され平伏していたふたりの男たちは「は」と短く応じた。彼らは妃の親族で、片方は帝の信頼を、もう片方は関白の信頼を寄せている者だった。

 

 そのうちの片方、小柄な体躯をした若い公達きんだちがおもてをあげた。

「まだ結論は出ておりませんが、胸を懐剣かいけんでひと突きされていたそうです」

 彼は従八家じゅうはっけがひとり、頭のとうの中将ちゅうじょう雁舞かりまい重行しげゆきである。野菊のぎくの君と呼ばれる女御にょうご敬子しずこの実兄で、その実直さで帝に信頼を得ていた。

 

 すると今度は、その隣で座礼していた恰幅かっぷくのよい中年の公達きんだちが口を開く。

「不敬にも今上帝きんじょうていの血縁であらせられる御方に手を下した者は必ずや捕らえてみせましょうぞ」

 彼も同じく従八家じゅうはっけがひとり、大納言、錦瀬にしきぜ実光さねみつ。関白の父を持ち、娘の徳子さとこは皇后として帝に嫁いでいる。八家のなかでもっとも腹芸を得意とするたぬきが多いとされる家門のなかでは比較的愚直と呼ばれる男だが、それでもその笑みには打算のようなものを感じ取られる。

 

 御簾みすのむこうで、帝が小さく息を落とした。

「まったく、伯母上は最期まで人騒がせな御方らしい。神官になると言い出したら北の辺境地へ赴き文のひとつも寄越さない。朝賀ちょうがに参加せず、先帝の葬儀にも参列せず、やっと来たかと思えば行方知れずの報せ」

 

 宵結よいむすびの守部もりべは若くして帝位を譲渡し上皇となった先帝せんていの実の双子の姉君である。

 

 無頓着で破天荒。好奇心を形にしたような女人で、何でも器用にこなす文武両道な御方であった。若い頃は男子であればきっと皇太子を示す次代つぐしろ銅鏡かがみを授けられたに違いないと言われるほどにカリスマ性もあったのだが、当人はまつりごとに興味がなく、官人かんにんたちのあいだでもっとも不人気なはくの神官となった。

 

 そんな彼女が行方知れずになったのは今年の春先。はくの地を囲う峰々の雪が溶け始めたころだった。

「皇后がようやく身籠ったころにあのような不穏な報せで度肝を抜いてきて、今度は死体が見つかった。さすがは伯母上とも言えるが……」

「心中お察しします。我らが従八家じゅうはっけが総出でその真相を突き止めます」

 そう静かな口調で告げ、重行しげゆきは深々と頭を垂れる。うむ、と首肯する声をこぼすと、ふと思い当たったように帝は続けた。

 

「して、忠行ただゆきは近ごろどうしている」

 

 その言葉に、ぴくりと重行しげゆきの眉が動く。

「……相変わらず、史紀ふみのりさまに振り回されているようですよ」

「そうかそうか。久方ぶりに史紀ふみのりと話してみたいものだ――この件について、どう考えているのかぜひ意見を聞いてみたい」

「ご冗談を」

 すかさず言葉を返す重行しげゆきに、帝はそうかと肩を落としたような声をこぼした。

「ではわたくしめがお呼びしましょうか」

実光さねみつ殿」

 考えなしとしか思えぬ男の発言に重行しげゆきは青ざめ、忍び声で耳打ちした。

貴殿きでんは正気か」

「帝のご希望に沿うのことこそ我らが使命でしょう」

「できぬことをやるということこそ、無責任でしょう」

「やってもいないことをやれないなど、それこそ無責任でしょう」

 う、と言葉を詰まらせて沈黙する。このままでな本気で実光さねみつ南繋神宮なんけいじんぐうまで乗り込みに行きかねない。それだけは避けたく、重行しげゆきは声を大きくして言う。

「……なら従兄弟いとこである私が何とか連れ出します」

「何をおっしゃる。わたくしもともに参りましょうぞ」

 

 なんでそんなに行きたいんだ、とすでに行く気満々な実光さねみつ重行しげゆきは頭を抱える。だがこれは何を言ってもついてくるか、もしくはひとりで赴く勢いである。ならば前者のほうがずっとマシだ――わかりました、と重行しげゆきは応じ、今度は帝に向けて発した。

「が、史紀ふみのり殿はめったに倉から出てきませんので、ご承知おきください」

 むろんだ、と答える帝の言質げんちを取り、ふたりの公達きんだちはその場を後にした。



❖ ❖ ❖


 


「今日も暑いねえ」

 

 環栄かんえい南端なんたん海ノ端あわのはと呼ばれる一角にある南繋神宮なんけいじんぐう。その裏手にある通称「智の蔵ちのくら」と呼ばれるくらで、同じく「智の蔵ちのくら」と呼ばれる役職につく男がぼんやりと言葉をこぼした。

 

 少年――ウツギが熊のように大きなこの男の元で下男の真似事をするようになってから七日が経っていた。そしてやけに倉に私物が置かれている理由を知って五日になる。

史紀ふみのりさま。誰も入って来ないからと言って、その格好はどうかと思いますよ」

 これでもかと狩衣かりぎぬを着崩す史紀ふみのりに指摘すると、

「まるで忠行ただゆきのようなことを言うようになったね、君」

「そう言うように、忠行ただゆきさまに申し付けられていますから」

忠行ただゆきも君に慣れたようで何よりだよ……」

 唇を尖らせてぼやく主人に、何と返せばよいかわからずウツギは沈黙する。

 

 当初、忠行ただゆきはウツギへ警戒心丸出しで、史紀ふみのりとふたりきりになるのをとにかく厭った。だが三日でウツギに無害さを感じたのか、今ではこうしてつかいに出されているあいだの主人のを任されるくらいにはなった。

 

「それに史紀ふみのりさま。寛いでおられるところ申し訳ないのですが、ふみが溜まっています。せめて確認してください」

「どうせ最近いかがですか、のような内容の薄いものばかりだよ」

 まったく読む気がない。仕方なしにウツギは一枚一枚広げて中を確認した。

 

 当人も驚いたのだが、意外にもウツギは文字の読み書きができた。どこで教わったのかまったく記憶にないが、貴族の教養である詩の一部を丸暗記していたのを鑑みるに、教えたのは高貴な家の出の者――それこそ、宵結よいむすびの守部もりべだったのではないか、と史紀ふみのりたちは予想していた。記憶もなければその宵結よいむすびの守部もりべも故人なので、真実は闇の中であるが。

 

 史紀ふみのりの言う「内容の薄い」文とそうでない文をふりわけながら、ふと脱ぎ捨てられた衣に目が留まる。

「あ、史紀ふみのりさま。洗濯の必要な着物はそこに置いてください。間違ってもひとりで洗いにでないでください」

「え。少しくらい大丈夫だよ」

「よくないです。あと少しで読み切りますから、待ってください」

 きっぱりと言い切り、ウツギはいそぎ文へ目を戻した。

 

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