夏の来客 弍


 ただの職場であるはずのこの倉には史紀ふみのりの私物がとにかく多い。

 その理由を知ったのは 史紀ふみのりのもとへ身を寄せて間もない二日前のことだった。

 

 昼下がりになっても自宅に戻らず、まさかの倉のなかで朝餉あさげを摂りはじめ、そのまま夜を越す史紀ふみのりを前に、

「お役人というのがどんな方なのか全然知りませんでしたけど……勤め先って住処になるんですね」

 などと問うと、忠行ただゆきは全力で否定してきた。

「そんなわけないでしょう。お屋敷に誰もいないうえ、大内おおうちから離れていることをいいことに、勝手に住み着いているんですよ」

「はあ」

 

 史紀ふみのりには妻も子もいない。すでに父も母もなく、同居する未婚の兄弟もいない。家人かじんを多く抱えるのも嫌がるようで、最小限の家人しかいない――らしい。

 ゆえにいまだに史紀ふみのり邸宅ていたくを見たことがないウツギだが、今のところ不便を感じたことがない。

 

 近所には春市はるのいちと呼ばれるいちがあり、しかも神官が社務所しゃむしょに一日留まることがあるため、南繋神宮なんけいじんぐうには炊事場が備わっている。ただし日宿ひやどりの守部もりべは長らく空席のため、勤めている神職は不在。掃除は時おり大内おおうちから派遣された下級神官がやるらしいのだが、それも一月ひとつきに一度ていどで、それ以外は史紀ふみのりたちが軽く手を入れている。一日のほとんどで顔を隠さなくて済んで気も楽というものだ。

 

 最後の文を手にすると、ウツギは「あ」と思わず声を上げ、立ち上がった。

 不思議そうに史紀ふみのりが首をかしげているが説明する時間も惜しく、急ぎ新しく与えられた頭巾ずきんを巻いて外へ出た。

 

 外はジリジリと蝉の喧しく鳴き、鬱蒼としげる緑のすきまから濃い群青がのぞき、ちらちらと強い夏の白光はくこうがあふれ出ている。

 

 一直線に南繋神宮なんけいじんぐうの中核、双神殿そうしんでん前へまで走りぬけたウツギは内心で叫んだ。――遅かったか。

 

 そこには苦労してここまで登ってきたのか網代車あじろぐるまの牛車があり、牛飼いわらわを先頭に、左右に数人のともを引き連れた一行がゆったりと歩を止めている。 

 先ほど目を通したふみ。その頭出ししか読んでいないが、そこには木染月こぞめづき末日まつじつ、すなわち今日、相談したきことがあり訪問するといったむねが記されていた。

 

 あの冬ごもりから目覚めたばかりのような、ぼやっとした男はとにかくふみを読まない。それも仕方ないくらいに下らない文が多いのがもっともな原因だが、あのものぐさが読むのを億劫にするのを助長して、文が届けば即塵箱ちりばこ、みたいな行動になりがちである。

 それで時々重要な報せを見逃すものだから、普段は随身の忠行ただゆきが片端から確認して回っている。お遣いにしろとても護衛のやることではないのだが――主人に恥をかかせたくないという精神が彼に過重労働を自ら課させているらしい。

 

「ここは相変わらず人がいないですね」

「そうですなあ」

 言葉を交わしながら降りてきたのは、二藍ふたあい直衣のうしを纏ういかにも高貴そうな公達ふたりである。しかも後ろに太刀たちをはいた供を引き連れているのを見るに、官位かんいのかなり高い官人かんにんである。

 

 つと、小柄で若い公達がウツギに目を留めた。

 忠行ただゆきよりうんと若く小柄であり、顔立ちも精悍で異なるが、何処となく忠行ただゆきに雰囲気の似た男である。その男はぎろりとウツギを睨み、口を開いた。

「そこの者。史紀ふみのり殿はいらっしゃるか」

「あ、はい」 

 思わず応じてしまったが、忠行ただゆきが不在な状態で勝手に返事をして良かったのだろうかと思案する。

 だがこちらが答えを出すよりも先に、ずかずかとその小柄な公達が歩き寄ってきた。

「見ない顔だな」

「少し前から史紀ふみのりさまにお仕えしております」

「その頭巾ずきんはなんだ」

「顔にひどい火傷やけどがありまして」

 指摘されたらこう答えなさい、と史紀ふみのりに言われたとおりの受け答えだ。男は明らかに怪しむように顔をしかめて言葉を返した。

「娘のような言い訳をする家人かじんだな。まあ良い。事前にふみでお知らせした件で伺ったのだが」

 ああ、やっぱり。

 倉のなかの散らかり具合や史紀ふみのりの格好から、ウツギは冷や汗をかく。来客時は片付けを終え、主人に正装をさせてからお通ししなさい、と言いつけられているのである。

「承知しました。急ぎ伝えに行ってまいります」

 これで時間を稼ぐしかない。

 ここで待っていてくださいと言うと、駆け足でくらへ戻った。

 

史紀ふみのりさま、お客さまですから早く着替えてください。俺は部屋の片付けをします」

 

 倉へ飛び込んで早々にそう言葉をかけると、史紀ふみのりは眉をひそめた。

「お客?そんな約束したかな」

「お返事なさらないからこういうことになるんですよ。すぐそこまでいらしていますから、急いで」

 適当に放りだしてあった烏帽子えぼしを畳上でくつろいでいた史紀ふみのりへ投げて手渡し、襟元を正すように促す。まだ洗っていない昨日の服をかごに詰めて棚裏へ隠し、暇つぶしのため持ち込んだ書物の山をせめてとばかりに端へ追いやる。

 うっかり片付け損ねた碁盤ごばんをしまおうとしたその瞬間、男の声がさしこまれた。

 

忠行ただゆき兄上はご不在なのですか」

 

 いつの間にかくらの戸が開かれ、そこには先ほどのふたりの公達きんだちの姿がある。

 双神殿そうしんでん前で待っていてくれという言葉は聞いてくれなかったらしい。

 

 さらにふたりの公達はゆっくりと空の棚横を歩いてくる始末で、畳からおりてすぐに立ち止まったウツギのすぐ後ろまで来てしまった。もはや言い逃れようがない。

 彼らはウツギの手にある碁盤を見て明らかに呆れた顔をして、小柄な方がハッと鼻で嗤い「暇そうで何よりです」と皮肉の籠もった挨拶をした。

 このふたりを含み、普通の官人かんにんは多忙なのだ。職務によっては深夜残業など茶飯事である。そんな彼らからすると、優雅に碁をさして暇つぶしをしている史紀ふみのりはなかなかに憎らしい。

 

「おや。久しぶりだね、重行しげゆき殿に実光さねみつ殿。文の差し出し人は君たちだったのか」

「文の存在はご存知だったのですね」

「いいや。この子がさっき教えてくれた。訪問理由までは聞いていないけど」

 あっさりと白状する史紀ふみのりに、客人ふたりは顔をひきつらせる。

「そこはお認めになるところではないでしょう」

「その嘘をおっしゃらないところも変わらずですなあ」

 思わずとばかりに後ろから恰幅かっぷくのよい公達きんだちが感想を述べる。

 まったく褒めていないのに、なぜか照れくさそうに史紀ふみのり「ハハハ、つい面倒で」と笑った。その反応に頭痛でも覚えたのか小柄な公達が頭を抱えて深く嘆息した――そのとき。

 

「し、重行しげゆき!?」

 

 やにわに、頓狂な五人目の声が響き渡った。

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