夏の来客 参


 声主は、つかいから戻った忠行ただゆきだ。

 

 開け放たれた戸のかたわらに立つ彼のその背にはかごが携えられ、塩や味噌みそ、夏野菜やらが詰め込まれている。今日の朝餉と夕餉の材料である。

 そんな随身をねぎらうように、史紀はひらりと手を振った。

忠行ただゆき、おかえり。暑かったろう」

「そりゃ毎日暑いですが、なぜここに弟が」

 唖然としながらも中へ入り、ばちりと実光と目が合う。すると今度は眉間に皺を寄せて顔を歪めた。

「うげ。実光さねみつの……」

 クソ野郎までいるのか、と付けかけたが、理性が米粒ほど仕事をしたのか、萎んだ小声で続けるに留めた。むろん口にはしているので耳に届いており、実光さねみつはにこにことして言い返した。

「変わらず犬畜生の精神を耕しておるようだのお」

「半端なたぬきよりはマシだ」

 そこには見えない火花が散っている。

 

 そのかたわらで重行しげゆきは頭を抱えていた。このふたり、とにかく仲が悪いのである。

 激しい火花を散らし合うふたりを前に、史紀ふみのりはのんびりと言う。

同窓会どうそうかいかな?ならば私は席を外そうか」

「ご冗談を。わたくしどもは貴方さまがろくに読まず塵紙ちりがみにしたふみの件でうかがったのですよ。あと私は年が離れております」

 早口で捲し立てる重行しげゆきに、史紀ふみのりは頬を掻く。

「そうだったっけ。と言ってもさほど年の差なんてないだろう。というか今のだとまったく訪問の理由がわからないよ」

「違います。私は貴方さまと同じ二十五で、あっちのふたりとは二十にじゅうも離れています。それと理由は文をしっかりお読みになればわかったはずです」

 何やら年齢の話もごたまぜだが、文に関して言えばその通りすぎて返す言葉もない。史紀ふみのりは困ったな、と苦笑した。

「悪かったよ。ほら、たいてい届くのは最近いかがですか?みたいな内容の薄いふみだからさ。つい適当に扱ってしまうんだよ」

 はあ、と深々と息を落とすと、いまだに睨み合うふたりのうち、従兄弟である忠行ただゆきすねを蹴飛ばす。

「どうせお読みになっていないだろうと思っていましたから、もう一枚用意しております。まずそちらをお読みになっていただけますか」

 まさかのスペアの持参。しかもすでに何回かやったやりとりのようである。

 

 史紀ふみのりはそのふみを受け取り開くと、とろんとした目をゆっくりと上から下へ、右から左へ動かし、記された文字を追った。

「ああ、なるほど。却下」

「それを却下します」

「じゃあそれを却下」

 幼子のような言い合いを重行しげゆきと繰り広げ始め、ウツギは何とも言えぬ顔で忠行ただゆきを見ると、彼は赤面して顔を覆っていた。

「あのお、忠行ただゆきさま。あれ、どうしますか。放っておきます?」

「その提案を却下する!」

 もはや忠行ただゆきにまでふたりの掛け合いが感染っていたが、ウツギは否定しないでおいた。

 

 ずかずかと畳上で座す史紀ふみのりとウツギの後ろで立つ重行しげゆきの間に立つ位置まで移動すると、忠行ただゆきは叫ぶように言った。

史紀ふみのりさま、従兄弟をからかうのはそこまでにしてください!重行しげゆきも冷静に剥きになるな」

 止めに入った彼の言葉に、冷静に剥きになる?とウツギは首を傾げたが、注意された当のふたりは無意味な言葉の掛け合いをあっさりやめた。だがその一方でぼそりと実光さねみつが、

忠行ただゆき殿に言われると、説得力が失せますなあ」

 などと嘲笑うと、忠行ただゆきは今にも刺しに行きそうな勢いで低く一喝した。

「黙れ実光さねみつ、その口を縫うぞ」

 おお、声色がいつもとちがう。

 随身の声とは真反対の明るい声で呟く主人に、客人ふたりはがくりと気抜けしたようなおももちをした。

「……それで、何を却下するしないを揉めていらっしゃるのです」

 何とも言えぬ空気の中、こほんと咳払いして忠行ただゆきは問う。その問いには、恰幅のよい客人が応じた。

「実は今上帝きんじょうてい史紀ふみのりさまに相談したいことがあるそうで」

今上帝きんじょうていが?何をまた」

「さあ。わたくしどもも知らぬことで。おそらく宵結よいむすびの守部もりべの死にまつわることではと」

 

 この倉のなかでは忘れかけていたその名に、忠行ただゆきは一瞬、息を呑む。

 

 実光さねみついわく、相談内容は次のようではないかと言う――不敬にも尊い血を継ぐ者を殺めたのは「どこ」の下手人げしゅにんか、と。

、だと。だれ、ではなく」

 眉を寄せる史紀ふみのりの随身に、実光さねみつはさようと言ってうなずく。

 その死体があがったとき、血まみれの奇妙な人影があったというのは町人の証言から明らかになっている。むろん、その奇妙な人影が最たる容疑者であり、検非違使けびいしが血眼になって探している。

 

 だが問題はその者の「裏」にいる者である。

 

「……なぜ、そのようなことを史紀ふみのりさまに?相談ならば、貴方がた含め側近どもにすればよいでしょうに」

「相談しづらいのでしょうなあ」

「だからなぜ」

「春先に、宵結よいむすびの守部もりべが行方知れずになったというのはご存知か」

 横から小柄な客人が言葉をさしこむ。

 知っていると忠行が首肯すれば、その客人はすぐに言葉をつぐ。

「その直前、皇后がちょうどご懐妊になったのです」「それとこれに何の関係が」

「皇后はいまだ皇子をお生みになっておらず、ゆえに魂読たまよみを宵結よいむすびの守部もりべへ依頼しておったのですよ」

「……神祇官にも腕の立つ神官はいるだろうに」

 その疑問は愚問だ、と口にした当人も気がつき、口をつぐむ。宵結よいむすびの守部もりべほどの神官はいない、ということはきょう官人かんにんならば誰でも知っている事実である。

「彼女は「魂呼たまよび」と「魂結たまむすび」ができますからなあ」

 とこぼされた実光さねみつの言葉で、史紀ふみのり忠行ただゆきも大体の察しがついた。

 

 きょうの民は魂と器が合わさって生まれた民である。この魂と器の組み合わせはすべて運であるが、そこに人意の余地を与えうるのが高位の神官である。そして宵結よいむすびの守部もりべはそれを成功させたいう噂がある。

 

 史紀ふみのりは顎に手をやり、ぼんやりとつぶやいた。

「なるほど。その依頼の直後にと考えているわけだ」

「さようでございます。それこそ、やりそうな家門と言えば、雁舞かりまいが筆頭でしょうなあ」

 脂ぎったにやにや嗤いを向けられ、小柄な公達はぴくりと眉を震わせる。

「そんな卑怯な真似、我が家門がすると」

雁舞かりまいは実直が売りな家門ですが、そんなもの隠そうと思えば隠せる」

「不都合な結果を隠すためにそちらがやったかもしれぬではないか」

 今度は客人同士で火花が散らされる。なるほど。帝が相談できないわけだ。

「……ああ、うん。状況はわかったよ」

 と史紀ふみのりは手を挙げて客人たちの口論を制し、ゆっくりととろんとした目を伏せた。

 

「それにしても、私に相談するのはお門違いだよ」

「貴方だからではないですか。貴方はどちらにもつかぬと確信しているからこそ」

 重行しげゆきにまっすぐと見据えられ、熊のように大きな男は苦笑する。

「ならば、その相談に乗るはずもないこともわかるだろうに」

「だからこうして直接お願いにまいったのでございます」

「ならば申し訳ないが、答えは「いな」だ。わざわざ睨み合ってる火の中に入る気はしないね」

 何を言っても結論は決まっている。

 すでにこの倉を訪れる前からその予感がしていた重行しげゆきは深く嘆息すると、小さくこうべを垂れてあっさりと「承知しました」と応じた。

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