中日の葬送 弍


 きょうの民は、境い目を神聖視する。

 

 水面の上と下、朝と夜のあいだ、生と死のはざま。これらに双対ふたついの神々、天ツ原あまつはらに在る己霊之御神きだまのかみたちと、地ノ泉ちのもとに在る殻郭之御神かくのかみたちを見いだすのだ。

 ゆえに多くの儀式――とくに生と死にまつわる儀式は早朝か夕刻に行われる。

 

 長いこと空席である日宿ひやどりの守部もりべにかわり、の国から呼び寄せた曙結あけむすびの守部もりべが儀式の進行役を担うらしい。曙結あけむすびの守部もりべはぼうぼうに長い白髭を蓄えたおきなの神官で、無数の鈴を備えた儀仗ぎじょうを何度も打ち付けて、しゃらん、しゃらんと音を鳴らしている。とうとうと何か呪文をとなえ、儀仗ぎじょうをかかげると、鈴の音がしんとまた止んだ。 

 そのすぐそばには、骨灰を海へ撒く、うつわかえしをする送りびとが立っている。白い骨壺を持つ、儀式装束の男で、身体は大きく、短い白髪まじりの顎髭を蓄えている――上皇だ。その表情は昏く、愛しい実の姉の死を心から悼んでいるようである。

 

 その様子を、南繋神宮なんけいじんぐうのある岬のうえから史紀ふみのりはのぞんでいた。

「盛大だねえ」

 ぽつりとつぶやき、横に立つ随身ずいじんを見る。

「君は近衛としての参加しなくてよかったのかい」

「私の役目は、貴方をお守りすることですから」

「そうかい」

 眼下ではすでに器還うつわがえしの儀が始まっていた。

 

 器還うつわがえしとは、器の最後の欠片である骨も地ノ泉ちのもとへ送り返すための儀式だ。方法としては単純で、骨を「境い目」の向こうへ送るのだ。その役目を担うのが送りびとで、送りびと骨壺こつつぼふたをはずし、高らかに掲げるのだ。吹き付ける潮風がその骨灰こつばいをさらい、海原へ運び、すべての骨灰こつばいが無くなれば完了だ。

 あの器還うつわがえしの儀が終われば、次の魂と器結びつきを祝うためのうたげが行われる。少し離れた場所に控える下級官人かんにんたちが、その宴のしたくに走り回っていた。

 

忠行ただゆき、私たちも飲もうか」

「構いませんが……。せめて冠を」

「あれ、暑いから嫌いなんだよ」

 男が頭をさらすことはきょうの民にとって大変不名誉なことである。無位の者ですら日々冠をして過ごすと言うのに、この主人にはその常識が働いてくれない。

「ほんとう、親子そっくりですね」

「ハハハ。父上に似ているなら喜ばしいことだ。光栄ですらある」

 岬の上で直に胡座あぐらをかいて座し、宴の始まった祭祀場さいしじょうを見物する。むろん、普通の人間には豆がうぞうぞ動いているようにしか見えぬのだが、史紀ふみのり狩人かりうどのごときよく見える目があるゆえ、よく見えるのだ。

「あ、どこぞの大臣おとどがうっかり禿頭はげあたまを見せてしまったね」

「実況しないでください」

 

 海辺のうたげはじつに賑やかだ。

 曙結あけむすびの守部もりべとともにの国の東繋神宮とうけいじんぐうより参列した巫女みこたちがしゃんしゃんと鈴のを鳴らしながら神楽かぐらを舞い、それを見ながら皇族や公達らが愉しげに言葉を交わしている。中には宵結よいむすびの守部もりべを知る者もおり、その破天荒ぶりを懐かしんでいた。

 

「……そろそろ動くかな」

 

 ふいに、史紀ふみのりは冷えた声をこぼした。忠行ただゆきが聞き返すより先に、崖下がいかの浜辺から甲高い悲鳴があがった。

 その声が鳴らされたのは、祭祀場さいしじょうのなかである。がしゃん、と食器の割れる音が響き、几帳が倒される。宮の女房たちは息を呑み、その乱入者へ瞠目している。

 

 それは黒装束に白い無面をした、明らかに不審な者である。背は低く、体格も細いように思われる。だと言うのに片腕で皇后を抱きかかえ、もう片方の手で太刀たちを近衛たちへ突き付けている。

 

「皇后さま……!誰か皇后さまを……!」

 青ざめて叫ぶ信子のぶこだが、誰ひとりその侵入者を排除することが出来なかった。その黒ずくめの侵入者は皇后を人質に取っているだけでなく、素早く動き、太刀たちの扱いも巧み。どうにか攻撃しようとした近衛たちを難なく退き、気付けば祭祀場そとへ躍り出ていた。

 うたげを堪能していた公達らも蒼白顔で悲鳴をあげた。その侵入者は風のごとき速さで走り抜け、壁になりうる者たちをひょいひょいとかわして行く。牛車のひかえる場所まで到達すると、人間離れした跳躍力で宙を舞った。

「なんてやつだ……!」

 近衛たちが呆気に取られて頭上をあおぐ。

 その侵入者は皇后を抱えたままひらりと屋形やかたの上へ降り立つと、停められた車の屋形やかたのうえを飛び移る。最後は牛を蹴飛ばして暴れさせ、その騒動のすきに町の中へ駆け抜けて行った。

 

「いったいどうしたんでしょうか」

 岬の上からゆえによく見えない忠行ただゆきが声をこぼした。

 見えなくとも、何か異常な事態であることはひしひしと伝わるものだ。史紀ふみのりは黙しており、何も答えない。そのことに何かよくないことが起こったと感じたのか、忠行ただゆきははいた太刀たちをぐっと掴み、立ち上がった。

「少し見てきます。史紀ふみのりさまはおとなしく倉に籠もっていてください」

「えー……」

「いいから、おとなしくしていてくださいよ!」

 ばたばたともりの奥へ随身が走って行くのを史紀ふみのりは見届けた。

「忙しいねえ」

 ふたたび視線を海辺へおろすと、非常事態によりうたげを中止し、急ぎ帝を安全な皇居へ移すべく近衛たちが走り回っている。帝に命じられたのか、半数は皇后の連れ去られた町へ向かっているように見受けられる。史紀ふみのりはすくりと立ち上がった。

「さて、下りるか」

 まったく随身の言うことを聞く気がない。

 

 祭祀場さいしじょう前は大騒ぎであった。それも当然で、目の前で皇后がさらわれたのである。きっと重行しげゆきの手の者の残りに違いないと騒ぎ立てているが、帝や妃たちの側近はそれどころではない。口々に「はやく陛下をお連れせよ」「妃さまがたもお早く」と言って牛車の用意を終わらせる。

 そのそばへ駆けつけた忠行ただゆきは、他の近衛の肩を摑んで呼び止めた。

「何事だ」

「た、忠行ただゆきの朝臣あそん。なぜこちらに」

「私が常に南繋神宮なんけいじんぐうに留まっているのは知っているだろう。それより、何があった」

 近衛は早口で、皇后がさらわれたことを説明した。忠行ただゆきは顔を険しくして「なるほど」とつぶやき、その近衛へ礼を述べてきびすを返そうとした。

「おやおや、大変な騒ぎだねえ」

「はあ!?史紀ふみのりさま、おとなしく待てと言いましたよね!」

 なぜか降りてきていた主人の姿に、目玉が飛び出る気分である。

「なに。史紀ふみのりだと?」

 声を上げたのは、側付きたちに付き添われて車場へ向かおうとしていた今上帝きんじょうていである。冕冠べんかんの下で驚いたように目をまばたかせている。

「ハハハ。お久しゅうございますな、陛下」

「めったに穴倉からでない智の蔵ちのくらも、この騒ぎでは出てきたのか」

「ちょいと気になることがありましてね。同行しても?」

 史紀ふみのりの突拍子もない申し出に、随身は悲鳴のように「はあ!?」と声を上げた。

 

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