中日の葬送 参


 急ぎ戻った大内おおうちのなかは混乱に見舞われていた。

 

 妃やその子どもたちは各々の殿舎でんしゃへ、今上帝きんじょうてい清涼殿せいりょうでんへ送られた。上皇は落ち着いたら臣籍にしんせきくだった親戚の屋敷へ移動する予定である。

 史紀ふみのりとその随身ずいじん今上帝きんじょうていたちと同じ清涼殿へ通された。

 

「上皇さまもお久しぶりですな」

 のんびりとした声で挨拶する史紀ふみのりに、上皇は深く息をついた。

「まったくだ。おぬしは元気にしておったか」

「この通り。頑丈が売りゆえ」

 熊のように屈強な肉体を見れば、誰もがうなずくことである。狩衣かりぎぬに着替えた帝も上皇同様に嘆息して、横から言葉をさした。

「それより今さら会う気になるとは、どういった風の吹き回しだ?木染月こぞめに呼んだ時は来なかったではないか」

「あのときは、そういう気分ではなかったのですよ」

「気分か。ならば仕方あるまい」

 そんなわけないだろう、と他の官人かんにんが聞けば目を剥くところだ。だが彼らは初氷ういごおり史紀ふみのりという男をよく理解している。ゆえにその非常識な発言を当たり前のようにとらえているのだ。

 

「ちょっと史紀ふみのりさま。どういうおつもりですか」

 帝たちに聞こえぬように、忠行ただゆきが忍び声で耳打ちする。史紀ふみのりはまったくいつも通りの、のんびりとした声で、

「え。ご挨拶しに来ただけだが」

 等というので、忠行ただゆきの頭痛はおさまらない。

「お立場をお忘れですか!」

「まあ、私も片足をつっこんだゆえ、無関係とはいくまい」

「興味ないことならば、途中でも関係を切るくせに、どつして今回に限って切らないんですか」

 その指摘に、史紀ふみのりはふむとこぼし、すぐに「気分?」と返した。終始気分で説明する男である。

 

「して史紀ふみのり。何を聞きに来たのだ」

 

 いつまでもこそこそと話し合うふたりに、帝は呆れた様子で声をさした。

「挨拶なんという、つまらぬもののために足を運んだのではあるまい」

「さすがは陛下ですな。よくわかっていらっしゃる」

「当然だ。何者だれと心得る」

 ハハハ、と史紀ふみのりは笑い、ふところからおうぎを取り出して口元へあてた。

「私じゃあ、あのときの鬼人きじんのその後を知り得ませんからね。少し詳しく伺おうと思いまして」

鬼人きじん?そなたの屋敷に現れたという、鬼の下手人か」

 はい、と首肯した。

 

 史紀ふみのりはじっさいに雁舞かりまいもんが刻まれているのは認めたが、そのさいに鬼人きじんは気を失ったゆえ、話を聞くなどということは叶わなかった。

 

もすべてを知っているわけではないが、例の鬼人きじんの性別は男、年齢よわいは三十前後、舌が切り取られていたうえ文字も書けないゆえ話を聞けなかったのだと言う」

「情報が漏れるのを防いだのでしょうな」

 なるほどと呟き、史紀ふみのりは顎に手を添え、何か思案しているそぶりをした。熊のような男が沈黙する様子をじっと見つめ、今度は帝が問い返す。

からもよいか?」

「私が記憶している限りでは」

「皇后には何が起こったというのだ?」

 

 真っ先に狙われたのは今上帝きんじょうていや他の高級官吏ではなく、皇后であった。そのあとも皇后をさらって消えたが、止めに入った近衛をのぞき、他の者には危害は及ばなかった。

 つまり狙いは皇后。やはり皇后が皇子を産むのを阻止するため、このような騒ぎが起こされたのか。他の官人かんにんたちが噂するように、この皇后の一件と宵結よいむすびの守部もりべの件、関わりはあるのか。そしてその中心は、あの雁舞かりまい重行しげゆきなのか。

 

はどうにも信じられぬのだ。重行しげゆきは忠義の厚い官人かんにんであった。くわえてに対しても率直な意見を申すところもあった。とても裏表なぞあるように思えぬのだ」

「狙いやら関わりやらは私が知る話ではありませんが、皇后を苦しめていた術ならば知っております」

 けっして核心は話さず、誰の側にも付かない。その立場は変わらず守られているのだと帝は理解し、うなずいて「続けよ」と言った。

「いわゆる魂呼たまよびの一種で、戻すのではなく離すほうに適用している」

「つまり、犯人は神官だと?」

「神官でいま、結師むすびは少ないでしょう。密かに修行を積んだ者でしょうな」

 

 残る正式な結師むすびは二、三人の神官しかいない。そのうちのひとりが、葬儀を取り仕切っていた曙結あけむすびの守部もりべである。どちらにせよ、彼らが事を起こせば、いやでも特定を許してしまう。

 

「いや、密かに結師むすびの境地に達した神官という可能性は?」

「私の知る者いわく、その術はなんだそうです」

「中途半端……?」

 帝を含め、上皇や忠行ただゆきが眉をひそめた。

「はい。乱雑に引き離したような感じ、とのことです。神官は魂の扱いに慎重ゆえ、そんな真似はしないでしょう」

 

 欠けた魂が天ツ原あまつはらへ還り、また器と結びついてきょうで生まれ落ちると、「心」や「感覚」の欠落した子どもとなる可能性がある――と言われているのだ。ゆえに無意識でも、魂を丁重に扱うよう訓練されるのだ。身に沁みた癖はそう簡単には抜けない。

 

「ゆえに、正規の訓練は積んでいない者と思われます」

「となると、神官と強い関わりのある家門……やはり、重行しげゆきが?」

 雁舞かりまい従八家じゅうはっけのなかでも古い家門に属する家門で、神官と深い関係がある。ゆえに、神官の術に関することならば自然と雁舞かりまいを彷彿させるのだ。

 史紀ふみのりは肩をすくめ、「さあ」と言って続けた。

「とにかく、早く皇后陛下を見つけて差し上げることですな。魂と器を離すいぜんに、器を破壊されてしまえばどうにもなりませんからな」

 器を破壊される、とはつまり「殺される」ということだ。その言葉に帝は青ざめた。

「それはあまりに哀れだ。皇后は妃のなかでも特に若いのだ。そんな若い娘がまつりごとの争いで命を落とすなど、あってはならないことだ」

「さすが、陛下はお優しい御方だ」

 にっこりと史紀ふみのりは言葉を返すと、随身ずいじんの肩を摑んでぐいと引き寄せた。

「近衛も人手が必要でしょう。私の随身も貸し出しますよ」

「ちょ、史紀ふみのりさま!」

「私はおとなしく自邸にいるから、心おきなく働きなさい」

 大内おおうち環栄かんえいの北に位置し、海より山のほうが近い。史紀ふみのりの自邸は比較的この大内おおうちの近くにあるのだ。忠行ただゆきはじつに不服そうにしているが、史紀ふみのりは認めない。

「では私はこのあたりで失礼します」

 軽くこうべを垂れると、別の屋敷へ移る上皇とともにその場を立ち去った。嵐のようなひとときである。

 

 清涼殿せいりょうでんを出た史紀ふみのりは、大内おおうちの南門前まで上皇と歩いた。ふたりは言葉をかわさず、気不味い沈黙だけがそこにある。史紀ふみのりを苦手としているのか、とくに上皇の顔が強張っている。

「さて、私はこのあたりで」

 ぴたりと足を止め、史紀ふみのりは向き直る。

、よろしくお願いしますね」

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