雁舞の家 壱
それで今度はここかよ、とウツギは思わず小さく呟いた。
翌日の昼も茹だる暑さの快晴であった。
ジリジリと町内を木霊して反響する蝉の声が実にやかましい。照りつける陽光はまぶしく、それでいて熱い。長い袖の下や
「ごめんください、
門前で声を張って訪問を報せると、
「なんだ、珍妙な格好をした
「
「
まったくもってその通りである。
そもそもまともに
「あの、お
ふところから一枚の
そこにはあの熊のような見た目のわりに流麗で繊細な
その文字に覚えがあるらしく、その無表情な家人は「確かに、そのようだが」とわずかに眉を寄せた。
「おい。何事だ」
「なんだウツ
あのたった一回の訪問のどこかで名を覚えたらしい。一文字違うが。ウツギはへこりと小さくこうべを垂れ、ふたたび用件を伝えた。
「
「構わん、通してやれ」
あっさりと認めて背を向ける屋敷の主人に、あの無表情な家人も呆気に取られて「え?」と聞き返している。
「あんな顔を隠した者、怪しくて通せません」
「あれは火傷痕が醜くて隠しているらしいぞ」
「そんな馬鹿な。婚前の娘でもあるまいし……」
いいから通してやれと冷たく言い放つ主人に、家人は渋々と従う様子でウツギを通した。どこも仕える者は主人に振り回されて大変だ。
邸内の造りは多少の違いがあれど、広いことには違いない。
「急ぎの仕事をせねばならん。調べ物をしながらで構わんか」
正殿前で振り返ることなく
(うわ)
想像以上に散らかっている。
この屋敷の主人にとって不要とみなされたのか、
(これ、参考にならないんじゃあ)
むろんこの板の間も、
「そのへんに好きに座れ」
そのへん、の範囲が広すぎてどこへ座るのがよいのか判断つかない。というより足の踏み場がない。しばらくうろうろして、見つけ出した隙間にぽつんと正座した。
「なぜそこに座る」
「ここしか空いていなかったので」
「
「屋敷の者でもない者が、勝手に触れるわけにもいきませんので」
きっぱりと言い切る少年に、男は顔を引きつらせた。
「
対してウツギはとくに何も否定も肯定もしない。変わらず背すじを伸ばして座している。
「……それで。
「この
差し出したのは先ほど家人に見せたものとは別のものである。
その文を受け取り、ぞんざいな手つきで開いて目を通す。そこそこ長い文章だったのか少し時間を要し、しばらくしてようやく文をぐしゃりと畳んで閉じた。
「しばしここで待て」
「はあ」
なかなか戻ってこず、ぽつりと残されたウツギは少しだけきょろりと周囲を見渡した。あまりに違いが多すぎて比べる対象にならないが、それでも本来の目的は果たせるだけ果たせねばならない。
(ここじゃ何もわからないな)
音を立てぬようにして立ち、わずかな足場を歩いてみることにした。
不思議と
おっと、と声に出しかけて押し留める。
何かを蹴飛ばしたのだ。そっと拾い上げてみれば、それは蝶とも鳥ともとれる、不思議な形をした朱色の組紐飾りである。ちょうどあの皇后が首から下げていたものによく似ているが、こちらはより紐が古びているように見受けられる。
いったい何に使うものなのだろうか。何かを示すものなのだろうか。
ウツギは屈んで、その組紐飾りを元あった場所へ戻そうとした。勝手に触るのはいけないことだ、と
だがふと、一枚の
(この筆跡、どこかで)
何処かで見たのだが、思い出せない。普段から主人の代わりに何枚も読んでいるから、そのいずれかかもしれない。
そのまま読み進めそうになってすぐ、我に返ってウツギはその文を閉じた。
(あっぶな……)
ついうっかり中身まで見そうになった。余計なことはしない。その文も組紐飾り同様に元の場所へ戻しておき、自分も元いた場所に座った。
ちょうどその時、
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