雁舞の家 弍


 小柄な公達は一瞬、ウツギを見て顔をしかめた。

 

は済んだのか」

「はあ、まあ」

 何とも言えぬ少年の答えにいっそう眉間の皺を刻んだが、指摘するのも面倒になったのだろう。小さく息をつき、ずいと一枚のふみを差し出した。

史紀ふみのりさまに渡せ。それと、余計なことには首を突っ込むな、この返信はしろクソ野郎と言っておけ」

「返信、ですか」

「そうだ。必要なときも読まず塵紙にしているんだろう。顔に叩きつけてでも返事を書かせろ」

 三日以内に文を寄越さなかったら、忠行ただゆき兄上に言いつけるでもいいぞ、というきっと史紀ふみのりにもっとも効果のある脅迫も付け加えた。

「……必ず、言伝しておきます」

「そうしろ」

 

 ふんと鼻を鳴らすと、少し何かを考えたような素振りをして、ウツギをまた見た。 

「少し付き合え」

「え」

「お前もが何もできないよりはいいだろう」

 この男は、ウツギがただふみを届けに来ただけではないと確信しているらしい。事実、実光さねみつの屋敷の「違和感」を突き止めるための手がかりを掴むこと、が本来の目的なので的を射た確信と言えるだろう。

 何も応えず押し黙る少年に、重行しげゆきは小さく息を落として続ける。

「詳しいことは知らんが、何かしに来たのだろう。あの史紀ふみのり殿がわざわざ忠行ただゆき兄上の目を盗んでお前を寄越したのだから」

「よくご存知なのですね」

「同年だからな」

 確かに、彼らは同じ二十五である。だが年齢と理解がなぜ一致するのかウツギにはわからない。だが、とにもかくにも、この男がどこへ連れて行こうとしているのかを知るのが先であろう。

 

「それでどちらに伺えばよろしいのですか」

忠行ただゆき兄上の宅だ」

 思わず、「はあ?」と声を上げてしまった。史紀ふみのりに仕えてから初めてこんなにも大きな声を上げたかもしれない。

「あの。忠行ただゆきさまにだけは気取られるな、というご命令なのですが」

「たまたま市で遭ったとでも言えばいい」

 そんな馬鹿な。なぜいちでばったり遭遇したからと、一緒に仲良く訪問なぞするのだ。呆気に取られて口を閉じることも忘れているウツギを他所よそに、重行しげゆきはさっさと身支度を整えて、「ぼさっとするな、早く来い」などと強い語調で言い放った。断らせる気はないらしい。

 

 しぶしぶ後を追って屋敷を出れば、この男も徒歩らしい。史紀とは別の方角で彼もかなり変わった公達で、とろとろ進む牛車が耐えられないとのことだ。なるほど、すたすたと大股で歩く速度が貴族らしからぬ速さで、まだ子どものウツギは自然と小走りになる。

 ここ、央鳥なかばとり大路おおじきょうの中央を走る神対かむかい大路おおじのすぐ西隣にある通りで、ふたつあるいちのうち、秋市あきのいちと呼ばれる市がある。ふだんウツギが通うのは東側にある春市はるのいちなので、こうして横を通るのは初めてだが、品揃えが少し異なるらしいことを知った。

 

 歩きながら何を思ったのか、重行しげゆきが口を開いた。

忠行ただゆき兄上もめったにご自宅へ戻らぬゆえ、こうして時おり屋敷の様子を見に行っている」

 出掛ける理由を今さらに説明しているつもりなのだろうか。ウツギは首を傾げながらも、「はあ」と相づちを打った。

「確かに……忠行ただゆきさまも滅多にお帰りにならないですね」

「あの御方はとにかく史紀ふみのりさまの世話焼きばかりを考えておられるからな。本来はもっと高い役職にあるはずなのに。まったく、どうしようもない」

「はあ」

 その従兄弟の世話焼きをしているのだから、雁舞かりまいは世話焼きの多い血筋なのかもしれない。

 

 忠行ただゆきの屋敷と重行しげゆきの屋敷は比較的そばにあったらしく、すぐに到着した。本当に頻繁に通っているらしく、重行しげゆきは顔パスで屋敷へ通された。

「あ。重行しげゆきさまだ!」 

 入ってすぐ、庭園で遊んでいた少年ひとりが声を上げた。なんと忠行ただゆき、子がいたのでいたのである。駆け寄ってきたのは少年はとおくらいの三白眼さんぱくがんの子どもで、女房たちとまり遊びをしていたらしい。

 その相手をしていた女房たちのなかにはもうひとり、しろ中青なかあお汗袗かざみというわらわ衣をまとう少女のすがたがあり、その少女が顔を上げると、呆れたように目を据わらせた。

「おや、重行しげゆきさま。今日もいらしたのですか」

 年齢としは皇后と同じくらいか少し上くらいで、背丈はウツギより少しだけ高いくらいある。そっくりな三白眼からして、少年の姉だろう。きりりとした眉が特徴的で、弟と同じ水干すいかんのほうが似合いそうな凛々しさがある。

 少女はその切れ長のまなこをウツギへ向けると、きょとんと瞬かせた。

「その奇っ怪な格好のは誰です?」

忠行ただゆき兄上とともに、史紀ふみのりさまに仕える者だ。末の姫すえのひめ、兄上はいらしていないな」

「ここ数月すうつきは戻っていないですよ。何かご用で?」

 いないならよい、と返すと、重行しげゆきは顎でくいと正殿せいでんを指し示して「行くぞ」ウツギをうながした。

 いわく彼女は今年十四になる忠行ただゆきの末娘らしい。裳着もぎを目前に控えているというのに、かなりのやんちゃ娘で、ああして弟と一緒に遊んでいるのが常なのだとか。

「ちなみに他にも子がいるが、上の娘ふたりは嫁ぎ、長男は官人かんにんとして働いている」

「そうなんですね……」

 考えてみれば、忠行ただゆき史紀ふみのりよりふた回りも年かさが高いのである。子がいて当然であろう。

 

 ふいに、渡殿わたどのの向こうからこちらへ進む、直衣のうし姿の男とこの屋敷の家人と思われる男が視界に入った。彼らは車場のある東門へ向かっているようだ。その様子を見て重行しげゆきは「病で伏せがちな北の方を訪れたのだろう」と耳打ちした。

 ウツギは「はあ」と返事をしながら、その医師の胸に下げられた朱色の組紐飾りに目を留めた。

 皇后の女房や自分では身につけていないものの重行しげゆきも持っていたものと同じ形のものだ。いったい何なのだろうか。頭巾ずきんの奥で首を傾げながらも彼らの横を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。

「どうした?」

 突然に立ち止まった少年を重行しげゆきは怪訝そうにしている。しばし沈黙してじっと医師の背を見つめていたが、ウツギはくるりと振り返って「なんでもないです」と応じた。

 

 ふたたび少し歩くと、正殿の母屋もやへたどり着いた。

 家主のない部屋はがらんとして、よく整えられている。ここの家人は念入りに掃除をする性格らしい。埃も被っていない。しかも空薫物からたきものもしっかりなされていて、ほんのりと花の香りがする。

 重行しげゆきは無遠慮にずかずかと中へ入ると、ひっそりと構えられた二階厨子にかいずしの上段勝手に漁って一冊の書を取り出し、手渡してきた。

「あの、これなんですか」

「お前の主人が、ついでに取ってこいと文に書いていた品だ」

 なんと、ふみに「だいぶ前に随身の屋敷へ置きっぱなしにしていた書を取ってきて欲しい」と記してあったらしい。何をさせているんだ。もはや主目的が何かわからなくなる。

 

「さて、後は海ノ端あわのはまで送ろう」

 ひと通りの用事も済んだしな、と続ける男に、ウツギはきょとんとする。

「ひとりでも大丈夫ですが」

「ついでだ。葬儀の執り行われる場所の事前確認をせねばならないのでな」

「葬儀、ですか」

「そうだ。宵結よいむすびの守部もりべのだ」

 近々、宵結よいむすびの守部もりべの葬儀を執り行うのだ――その言葉に、ウツギは少しだけ赤いまなこを揺らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る