無の混沌 参
普通の家族、というものを知らない。
父がいて、母がいて。兄や弟、姉や妹がいて。妾の子であればあまり父は近くないかもしれないが、それでも母ときょうだいというものがあり、彼らとどうってことのない日常を過ごす家族というものを自分は知らない。
けれどもそれでも構わない、と感じていた。きっとそれだけ、今の自分に満ち足りていたのだと思う。
「お前に、母はないと思え」
その言葉に、感じるものはあった。
悲しくもあったかもしれない。けれども、それはしだいに感じなくなった。それほどに、周囲に恵まれていたもかもしれない。
ゆえに、
目を閉じれば、
「ひとつ、お願いがあります」
そう、申し出るとその人はうっすらと面白い、と笑った。
ならば
そこにはもう、何も無い海原だけが残った。
❖ ❖ ❖
「大丈夫かい、
彼女は岬先の
「くうう……!」
「急に起き上がらないほうがいい。それより、君がどうしてこんなところにいるんだい?」
熊のように大きな男の腕には、子どもの替えの衣がある。倉へ戻って書き置きを読んでそのままここまで訪れたのかもしれない。
「ウツギは……ウツギは見ませんでしたか、
「ウツギ?見ていないよ。君と一緒にいたんじゃないのかい」
それならここにいるはずだろう。
「なぜか急にあたしを殴って消えたのです。はやく探さないと」
その行動の理由を知りたい、というのが第一の理由である。だがそれ以上に、心配もあった。平気そうに歩いていたが、あの傷は深い。あまり無茶をすればまた開くかもしれない。
急ぎ
そうこうしているうちに、日は天頂に上がっていた。
「まいったね。あの見た目でどうやって人目を盗んで逃れたのやら」
「それより、あの傷でよく歩き回れるなと……」
「そうだねえ。まあ、その理由はなんとなく察しはついているんだけどね」
え?と問い返すが、
「
「ああ、先月からそばへ置くようになったからね」
「先月って……」
「お屋敷で見ましたけどウツギ、あの細さから想像もできない身のこなしですよね」
大人の男ですら背伸びしてもその先が見越せない高さのある
「あのやけに痛みに鈍いことや、全身傷だらけなのもそれに関わるのでは?」
まっすぐと見据えるその女の目に、
「さあ、どうだろうね」
「しかし、君も大きくなったねえ」
「話がよく逸れますね」
すかさず指摘する少女に、
「少し前はよく、小さな君たちきょうだいを連れて屋敷に集まったなと思ってね」
「あまり覚えておりませんが……。
「そうだよ。父上は愉快なことが好きだったから、君の父君に無茶振りな一発芸をよく求めていたよ」
「今もじゅうぶん、求められているような……」
いえ、なんでもないです。
「あ、噂をすれば」
だしぬけに
そこには近衛府からの呼び出しから帰路につく、
「このようなところで何をなさっているんです、
「んー。隠れ鬼かな」
「隠れ鬼……?」
その鬼が深手のままどこかへ姿をくらませたことを知らせると、
「はあ?ウツギがどうしていなくなるのですか」
「さあ。理由なんて知らないよ。まあ、そのうち腹をすかせて戻って来るでしょう」
「貴方にとって、ウツギは犬か何かですか」
呆れたように顔を引きつらせる
「そうは言っても、そろそろ
すでに一刻半も探し回っているが、一向に見つかる様子もない。しかも、
「安心なさい。すぐにまた会うことになるだろうよ」
いったいどこから生じているのか、その言葉には確信がある。随身とその娘は、その不確かな自信のある主人に、しぶしぶと従った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます