像は結ばる 参


 その、今まで聞いた中でもっとも冷たい史紀ふみのりの声に、忠行ただゆきは息を呑んだ。

 

 この常にのんびりとしている男は怒りというものを見せたことがない。嗤われようと罵られようと、子どもの頃から常に穏やかに笑って返した。その様子は頭の軽いようにも見えるが、その実わらっていない眼差しを見れば、彼があのくだらない者たちとはどこか別の場所を見ているのだと感じ取れ、誇らしくも思った。

 だから、こうして怒りを表すような言葉を吐く史紀ふみのりには驚かされてならない。

 

「邪魔だてなんて、そんなつもりは……」

「君はね、昔からじつにしゃくに障ったんだ。でもほら、いい感じに働いてくれるからそばに置いておいたんだ。家事するのが面倒なときとか使えるからね。でも私のいらないと言うことをするなら、話は違う」

 今度はにっこりと、穏やかな口調で返す。そのとろんと垂れた目は笑っていない。その笑っていない目で弧を描かせて、史紀ふみのりはゆっくりと歩き、少年の横を通り、忠行ただゆきのすぐ目の前で立ち止まった。

 

「君、もういらないよ」

 

 忠行ただゆきは世界が暗くなるような感覚に陥った。史紀ふみのりはまたすっと笑みを抜き、そんな男を虚ろに見下ろした。

 後ろから、少年は抑揚のない声で問う。

「始末しますか?」

 その手にはきらりと鈍く光る、小太刀こだちがある。史紀ふみのりは振り返ってその表情のない二本角の少年を見ると、ううむと腕を組む。

「私としてはいいよ、と言いたいけど。一応ここは今上きんじょう陛下に従ったほうがいいんじゃないかな」

「おい史紀ふみのり。そこまでにしてやれ」

 横から、従兄弟の重行しげゆきがさえぎった。史紀ふみのりは「えー」とわざとらしくぼやいて見せるが、やはり笑っていない。

「あの妄信者は、あれでもかつて私が兄上と仰いだ御方なのだ。あまり言ってくれるな」

「君は義理に厚いねえ」

「お前が薄情すぎるんだ」

 

 きっぱりと跳ねのけると、重行しげゆきは相変わらず尻餅をつきっぱなしの今上帝きんじょうていの前で片膝をついた。

今上きんじょう陛下。この者は私ども近衛の方で処理いたします。皇后さまももう間もなく後宮へお戻りになりますので」

「そ、そうか。よくやった」

 今上帝きんじょうていもようやく我に返ったのか、すっと立ち上がり気を取り直す。彼も史紀ふみのりという男を理解していたが、それでも目の当たりにして「そこまで言うか」と顔を引きつらせていたのだ。命を狙われたはずなのに、肩を落として何も言えなくなってしまった忠行ただゆきに同情している自分がいる。

 

重行しげゆきさま、ご命令通り、捕らえましてございます」

 蹴破られた戸の向こうから、近衛と思われる男の声がした。いつの間にか外は騒々しく、数人の男女が縄についていた。その縄につく者のなかには舎人とねりをはじめとした近衛や他の官人かんにん、それから皇后付き女房の信子のぶこの姿があった。

 史紀ふみのりはいつものぼやっとした表情に戻すと、すたすたとその年老いた女房のそばへ寄った。

 

「やあ。君とは一度、話してみたかったんだ」

「……貴方は、春紀はるのりさまの無念を晴らしてはくださらなかったのですね」

 鋭い目で、熊のように大きな男を見上げた。

「あんな理由わけのわからない、血筋だけの女の代わりに汚名を被って、春紀はるのりさまはなんてお可哀想なのでしょう」

 彼女は「復讐」というもっともわかり易い行動原理のもと動いていたのである。我が子のように育てた男の人生を踏みにじり、それを良しとした朝廷に。本当であれば、上皇と宵結よいむすびの守部もりべを真っ先にその手で殺めたかったであろう。

 だが表に出ることが許されぬのが女というもので、それゆえに悔しさを堪え、ただただ機会を待っていた。もしかすれば、この謀反むほんが成功すれば、好きなだけ手でも脚でも首でも持っていけ、とでも伝えてあったかもしれない。

「私は君の復讐心にはまったく露ほども興味はない。それよりも君のその術。どうやったんだい。顔は……まあ、誰がやったのかは想像できるけどさ」

 

 白陰びゃくいんの入手と白陰びゃくいんを用いた魂読たまよみの取得は人脈と知識さえあればどうとでもなりえる。忠行ただゆきも神官と強いつながりのある雁舞かりまいの男だ。その術の方法を聞き出すのは可能だろう。もしかすれば、北の方の治療に来る医師から色々と横流ししていたのかもしれない。

 

 だが魂呼たまよびやそれに類する術となると、生半可には手に入らないし、出来るようにはならない。少年のような特殊な体質ならばいざ知らず、常人であればまずできない。

 

 顔を変える、すなわち器を操作するならば自分ではなく他人に施させることはできる。それこそ、宵結よいむすびの守部もりべなどに。器の実験に付き合う、とでも言えば、そんな気分でさえあれば宵結よいむすびの守部もりべはその提案に乗ってやっただろう。

 だが日々の、皇后の魂離たまはなれは、おのれの力のみで行わなければ実現しえない。

 

「もしかして器を意図的に壊したかな?臓腑ぞうふのひとつやふたつ抜いて、死のまぎわに近しくする、とか。それともそこもやってもらったのかな?」

「貴方さまには関係のないことです」

「そうだ。君が早死しようと、私には関係ない。でも、不思議に思うのは自由だ」

「つくづく、あの憎らしい女に似ていましたな」

 まったくだ、と駆け寄った重行しげゆきも同意した。

史紀ふみのり、真面目にそのへんにしろ。業務妨害としてお前も捕縛してやろうか。いや、させろことクズ」

「友達になんてひどいことを言うんだい」

 友達という言葉に寒気を感じたのか、重行しげゆきはなんとも言えない顔をした。

 

 まだその一部であろうが、一連の騒動に関わった者たちは連行されて行った。長年、謀反などというものと無縁だったのもあり、「こういうときって検非違使頼るんだっけ?」みたいな呑気な会話を近衛たちが耳打ちしあいながら進んでいると、御所ごしょを出かかったところでひとりの女人の出くわした。少年が密かに保護していた皇后、徳子さとこだ。上皇に寄り添われて後宮へ戻ろうとしていた彼女は立ち止まり、連行されていく見知った顔に声をかけた。

信子のぶこ

「……皇后陛下」

 信子のぶこは気まずそうに応える。徳子さとこはわずかに涙を浮かべてその女房を見た。

「きっとわたくしのことも憎かったのでしょうが……。それでも、あなたと過ごした日々は楽しゅうございました」


 

「おい史紀ふみのり。あの似非えせ鬼子おにごは頼んだぞ。扱いづらくてかなわん」

 いまだ清涼殿せいりょうでんの片付けに追われていた重行しげゆきは、眉間に皺を刻んでいた。

「言うことをきく、いい子なのに」

「その言葉の頭に「都合の」をつけろバカ。私はああいうのはどうにも好かん。お前の倉で見た時は心の臓が止まるかと思ったぞ」

 それは夏の終わり。今上帝きんじょうていの命で智の蔵ちのくらを訪れたときのことだ。

 まだあのとき、宵結よいむすびの守部もりべを匿っていたという事実を史紀ふみのりにも伏せていた。知らせたのは、そのあと少年が重行しげゆきの屋敷を訪ねられたあと、必ず返信するように仕向けたふみでだ。この少年が「嘘を吐く」という高等な芸当ができないことを知っていたゆえ、先に話してしまったのではないかと内心焦ったが、どうにも様子がおかしいのでさらに焦ったのだ。

「……だが。いつまでもあの御方――あのクソな女に付き合わされているのは哀れだとは思う。それはお前がどうにかしてやれ」

 どんなに気に入らなくてもつい世話を焼いてしまう。そんな友に史紀ふみのりは声を上げて笑った。

「じゃあウツギ、とりあえず今日は私の屋敷で休もうか」

 清涼殿を出るとあの鈍色の雲は流れ、東のふちには淡い白色の光が覗いていた。

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