像は結ばる 弐


「まあ、成功したのかは知らないけどね」

 と苦笑して、肩をすくめてみせ、 

「記憶が混濁したのを見るに、何かしらの影響はあったんじゃないかな」

 と締めくくる史紀ふみのりに、忠行ただゆきは眉を寄せた。――それはつまり、ウツギが「まことの」形代かたしろとして選ばれた、ということか。

「では今のこいつは、いったい何の命令で動いているというのですか。それではただ実験で勝手に死んだだけですよね」

 それもそうである。

 それでは目覚めた彼には何も与えられた命はなく、ただの木偶人形でくにんぎょうとして彷徨うのみである。だが彼はたしかに姿をくらまし、ひそかに清涼殿せいりょうでんへ忍び込んで今上帝きんじょうを守った。皇后をさらったのもその一貫だろう。

 

 その問いへの答えは、少年当人が答えた。

「私は「きょう」を守れ、とだけ言われました」

「は?」

きょうとはすなわちこの地であり、今上帝きんじょうていまたはそれを継ぐ者と聞いております」

 それは官人かんにんたちが一番はじめに教わることである。今上帝きんじょうてい双対ふたついの神々、天ツ原あまつはらに在る己霊之御神きだまのかみたちと、地ノ泉ちのもとに在る殻郭之御神かくのかみたちのあいだに立つ生き神であり、それすなわちきょうである。

 むろんこれは単なる神話でしかないと官人かんにんちは考えて話半分に聞いているが、それを汲むことのできないこの少年は言われた言葉通りに従うのである。

 

「この少年の形代かたしろがすぐに機能するとは限らないからきっと、この「器」を自衛させるために命じたんだろうね」

 術を実行したその瞬間からこの器でが意識を持つかもしれないし、きっかけを持って突然にそうなるかもしれない。一生そうならないかもしれないが、それを覚悟で宵結よいむすびの守部もりべを愉しんであろう。

 そしていずれにせよ、探求の結論を知るためには、形代かたしよの器が生きていなければならない。そのためになきょうの地があり、彼を保護する誰かが必要である。

 それならば、形はどうあれ高位の人間に保護されるのが一番良い。今上帝きんじょうていやその後継を守れば恩を売りつけることができ、隷属という形だとしてもとりあえず息を保つことはできる。

 あの少年が史紀ふみのりの命にも従い、皇后の守護もになったのは、史紀ふみのり今上きんじょう陛下の弟であり、皇后のはらの子が皇子かもしれないからだろう――のんびりとした口調で語る史紀ふみのりはさいごに、

「きっと記憶が混濁して動けなくなったのは誤算だったんだろうねえ」

 と呑気な呟きで締めくくった。そんな主人の言葉に、忠行ただゆきはただただ呆気に取られた。

 

 忠行ただゆきの実の母親の頭の螺子ねじが数本抜けていることは、すでに知っていた。子を生んだら捨てればよい、などと発言する女だ。

 だがそんな女を恨めしそうにすることなく、まるで他人事のように語る彼は彼で、どこか普通ではないのだ。そしてそんな彼に可能性を見出し、心酔したのも事実である。

 

 だがそれでも、どうしても呟きたくなる。

 

「どうかしている……」

「そのどうかしているのが、宵結よいむすびの守部もりべだよ。周囲が勝手に神聖視しているだけで、彼女はそういう人なんだよ」

 常識に囚われないのではなく、非常識。人間味がないのではなく、人でなし。そこに能力が加わり、わかりやすく危害を被る者がいなかったため、その破天荒さに自由を感じ、神々しさを感じて持ち上げられていただけである。

 

「そして史紀こいつもまた、そういう奴だ」

 

 やにわに、聞き覚えのある男の声が響かれた。

 それはここにいるはずのない、現頭のとうの中将ちゅうじょう重行しげゆきである。小柄で忠行ただゆきよりひと回り若いその従兄弟の男はすたすたと室内へ歩き寄っていた。その姿に忠行ただゆきは驚きを隠せない。

「お前……どうしてここに。捕縛されていたはずでは」

「あ?このクソ野郎の屋敷に留め置かれただけで、捕縛なぞされておらんが」

 よくもやってくれたな兄上、と悪態づく男の視線は鋭い。その暗雲たちこめる雰囲気をぶち壊す勢いで、史紀ふみのりは明るい声をかけた。

「ナイスタイミングだ。上皇はちゃんとお遣いができる男みたいだね」

「上皇を顎で使うのは貴様くらいだぞ」

 

 彼らの言葉遣いにはもはや他人行儀さはない。彼らは「同年」なのだ。初氷ういごおりの屋敷で育った史紀ふみのりの遊び相手は、随身の従兄弟で同年である、彼なのだ。春紀はるのり実光さねみつ忠行ただゆきが幼馴染だったように彼らもまた、幼馴染なのである。随身の忠行ただゆきが礼儀を重んじるのでしばらく他人行儀に接していたが、敬称なしで呼び合うほどのふたりの仲は健在だったのだ。

 

 重行しげゆきはいっそう顔を険しくして、ぶつくさとぼやいた。

「お前、からかうのも大概にしろよ。ウツギを探すためとか言って屋敷まで来おって。おかげでとっさに息をひそめてたんだぞ」

「いやー、想像するだけで愉しかったよ」

 けらけらと史紀ふみのりに、重行しげゆきはいっそう眉間の皺を増やす。

「まったく、宵結よいむすびの守部もりべなぞ助けてから踏んだり蹴ったりだ。皇后をかくまうから物資の調達をこっそりよろしくだと?お前の屋敷と私の屋敷、どれほど離れていると思っているんだ!」

 

 春先に宵結よいむすびの守部もりべを救い、はくより逃がしたのは彼である。遺体が発見される前日まで泊めてやっていたのも彼なので、私物があったのもそのためである。

 加えて、史紀邸ふみのりていに皇后を留め置いているあいだ食材やらを送っていたのも彼である。ウツギは皇后の護衛で屋敷を離れられず、ならば他の女房が、というわけにはいかぬ重たい荷物はすべて彼が手配し、夜中の誰もいない時間に送り届けていたのである。

 

「どんなに面倒なことと理解してもけっきょく君は、陛下のためならば手を差し伸べていただろう」

「……私たち雁舞かりまいの使命は今上きんじょう陛下を支えることだからな」

狗舞いぬまいとかに姓を変えたらどうかな」

「貴様殺すぞ」

 遠慮なく胸ぐらを掴み、重行しげゆきは拳を振り上げるが、背の高さで完全に負けているゆえ、ぶら下がっているようにしか見えない。どこまでも残念な男である。

「しかし忠行ただゆき。いくら重行しげゆきが邪魔だからって鬼人きじんを使うのは愚策だよ。仲のいい従兄弟なのに知らなかったのかい?」

「何をですか」

重行しげゆきは鬼人の隷属に反対しているからね」

 

 重行しげゆきは目をかけてやったというのに、いわゆる史紀ふみのり派に最後まで加わろうとしなかった。ゆえに謀反のためには今上帝きんじょうていのそばから引き離す必要があり、そのためにあの鬼の下手人は使われたのである。忠行ただゆき雁舞かりまいの男。家門の焼印を押すことは容易だ。

 だがそれが愚策だった。

 その理由を知る機会がないほどに、雁舞かりまいの家へ帰っていなかったのは、この男の落ち度である。史紀ふみのりのことといい、手元にあるものほど目が行き届きにくくなる――彼は周囲ばかりに気を取られてしまったのである。


 史紀ふみのりは「さてと」と呟いてまた忠行ただゆきを見た。

「というわけだ。今ごろ信子のぶこ殿ふくめ、君の味方は捕縛されている。諦めてお縄に付くんだね」

「……私はずっと、貴方があるべき評価を受けられることを願って動いておりました」

 そうだね、とあっさりと史紀ふみのりはうなずく。よほどの執着がないかぎり、身分も不明瞭で奇行の多い男に仕えようなどとするはずがない。

 忠行ただゆきは血が流れるほどに唇を強く、強く噛み締めた。

「貴方は文武において才があるのに、無意味な役職で暇を持て余していらっしゃる。それでも、いいのですか」

「私の父は春紀はるのりひとりで、私は平凡な役人にすぎないんだよ」

「……仕方なく父親の真似事をしていただけです。貴方の真の父親は上皇であり、母親は宵結よいむすびの守部もりべです。誰が何と言おうと、神鏡かがみの血のみをひく、誰よりも帝位にふさわしい御方です」

 まったく引く気がない。史紀ふみのりは深く嘆息すると「まだわからないかな」とつぶやき、笑みを消して言い放った。

「私のすることに邪魔するなと言っているんだよ」

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