像は結ばる 壱


「……また、史紀ふみのりさまが手を回したのですか」

 忠行ただゆきは悔しげに顔を歪める。

 

 皇后の件といい、自分よりもこの子どもを選ばれる事実は悔しさしかない。

「心外だなあ。ウツギが自分で考えて行動したのかもしれないじゃないか」

 横から茶々を入れる史紀ふみのりに、忠行ただゆきは鼻で嗤う。

「ご冗談を。貴方だって知っているでしょう。こいつは、自分でけっして

 

 に気がついたのは、共に暮らすようになってすぐだった。

 

 この少年は本当に「言われたとおり」にしか何もかもこなさなかった。洗濯物を取り込め、と言えば取り込むだけで気を利かせて畳みはしない。当初はひどい怠け者なのかと思ったが、指示をすれば「今日は眠らず番をしろ、翌朝はそのまま走って米と油と酒を買いに行け」などというど理不尽な命令でもまったくその通りに従った。

 彼は指示された通りに行動し、これまでの指示を組み合わせて物事を判断する。

 

 史紀ふみのりは愉快そうにからからと笑った。

「残念ながら、私ではないよ。正確には常に、彼の最優先は宵結よいむすびの守部もりべの命令だよ」

「……記憶を失っているのではなかったのですか」

 それはもっともな問いである。そして事実、この少年は記憶は失っていた。だが行動の節々で無意識に宵結よいむすびの守部もりべの命に従っていた。

「でも今は思い出しているんだろう、ウツギ」

 史紀ふみのりの言葉に、ウツギはふう、と小さく息をついた。

 

宵結よいむすびの守部もりべ形代人かたしろびと。名を虚鬼うつろき宵結よいむすびの守部もりべの命により、ここへ参上つかまつりました」

 

 淡々と告げるその子どもの声は冷たく、感情を感じさせない。その顔には表情はなく、真朱まほそのまなこは虚ろである。

「虚ろの鬼……。なんとも的を射た名だな」

 思わず独り言つ忠行ただゆきは、顔を引きつらせた。

「そう言えばひとつお聞きしてもよろしいですか、史紀ふみのりさま」

「ん?答えられることなら構わないよ」

「ずっと気になっていたのですが。この少年とは、どこで知ったのですか?」

 ウツギ――いな虚鬼うつろき宵結よいむすびの守部もりべに付き従う者である。つまりずっとはくにいたはずなので、誰とも文通をしない史紀ふみのりは知り合う機会がなかったはずなのである。

「ああ、そんなこと」

 史紀ふみのりはのんびりと答え、そしてうっすらと微笑んだ。

「今年の春、直接宵結よいむすびの守部もりべに会ったとき知ったんだよ」

「は……?」

 

 すべての始まりは、今年の雪どけの始まったころ。

 

 随身ずいじんが近衛府へ「呼び出された」と言って一日空けた日であった。

「おや、行方知れずの御人ではないですか」

 倉に訪れたのは実の母親、寛子ひろこである。外で護衛と思われる少年を控えさせて、その不敵な笑みを浮かべる女がそこに立っていた。

「お節介焼きな若者がおってのお。今はそこで悠々自適に暮らしておる」

「そうですか。愉しそうで何よりです」

 皇后の懐妊で、魂結たまむすびの依頼を受けた宵結よいむすびの守部もりべは命を狙われた。

 狙ったのは忠行ただゆきたち、自称史紀ふみのり派の者たちであることはすでに両者とも知っていた。「皇后が狙われている」と思わせるため、春紀はるのりを巻き込んだことへの復讐をかねて命を狙われたのである。後者に関してはとてつもなく自業自得この上ないが、そのていどの企みに敗れるような女でないことを、史紀ふみのりは誰よりも知っていた。

「外のあの子どもは何なんです。まさかまた、子どもを身籠ってみたいなどという気分になったのでは?」

「いや。あれはその日で飽きた」

「そうですか」

 ではなんなのだと問うと、宵結よいむすびの守部もりべは実に愉快そうに微笑んだ。

「あれは死人しびとから生まれた子じゃ」

死人しびとから?」

 そうじゃ、と首肯すると女は嬉々として語った。

 その女はある日突然、宵結ノ湖よいむすびのあふみのほとりに現れたのだと言う。黒い髪の、普通の人間の女だ。発見したときにはすでに息絶えており、大きく膨らんだはらの子も死んだものと思われていた。

 だが火葬しようとしたその矢先、その子どもは生まれ出た。産声をあげるその子どもは二本の角をもち、髪も目もがない――この子どもは鬼人きじんとのあいの子なのではないかと考えられたが、宵結よいむすびの守部もりべの考えは異なる。

 

「あれは死に面した、すなわち魂と器をながらく引き離された子じゃ。あれは鬼人きじんではなく、奇形児きけいじなのではなかろうか、とわらわは考えておる」

 

 それは好奇心旺盛な彼女が飛びつかないはずのない「玩具おもちゃ」である。その日からつの持ちの子を育て、観察した。時には非道にすら思える「実験」をほどこした。あの体中のあざは彼自身が付けたものもあるが、その実多くは育ての親である宵結よいむすびの守部もりべによるものなのである。

 本来、痛めつけられたらいつかは逃げ出すものだろう。洗脳でも施さなければ忠実に従うはずもない。

「え。貴女って洗脳の心得もありましたっけ?」

「いいや。ぜひ知りたいものだが、書が手に入らんでなあ」

「ハハハ、何でも好きですねえ」

 

 ではいかにして従わせたのか。

 

 いな。そもそも彼自身、痛いとも苦しいとも感じていない。彼は耳と鼻以外の感覚が弱い。目は色がなく、魂のないものはそのまま見ることができるが、魂を持つものははっきりと見ることができない。顔の認識をする前に魂と器の重なりがずれて見えて、形にならないのだ。味覚はなく、痛覚をふくめた触覚もほとんどない。

 くわえて魂という「性質」の結びつきが弱いため、感情の理解にも疎い。

 

「そのまま放っておけばあれは人間らしく振る舞えん。運が良いのか記憶は得意そうゆえ、知識の蓄積として感情「もどき」を覚えさせておる」

 その知識を意図的に選び抜けば、彼女にとって都合の良い人間となりうる。

「だがどうにも、それも詰まらなくなってのお。面白いことはないかと思うたが、ちょうどあった」

「それはよかったですねえ」

 適当に聞き流していたが、彼女の笑みは悪戯っ子のそれだ。

「実験しようと思うてな」

「はあ。何を実験するんですか」

わらわはもっとも知りたいこともできる、たいへんおいしい実験じゃ」

 いったい何なのですか、と史紀ふみのりがおそるおそる問い返すと、彼女はじつに晴れやかな顔で言った。

 

「それは、何なんですか?」

 

 ごくりと固唾かたずを呑み、忠行ただゆきが問うた。

「死の形代かたしろの実験、じゃよ」

「……は?」

 死――それは魂と器の完全なる分離。魂読たまよみの術者ならば擬似的な体験を行えるが、それは一瞬の出来事で、本当のものではない。

 そして何よりも彼女が追求したのは、「魂の移し替え」である。彼女は不死に憧れているわけではない。単純なる知的好奇心が、彼女を突き動かしたのである。

「そして彼女は、その実験を見事に実行してのけたわけだ」

 史紀ふみのりの言葉に、忠行ただゆきだけでなく尻もちをついていた今上帝きんじょうていも唖然とした。

 

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