思いを継ぐ者 参

 それは寛子ひろこが神官となってはくの国へ旅立って一年と少し経ったころ。なんとなく実光さねみつとともに春紀はるのりの屋敷を訪れてみたのである。

「……なんだか母親に似てきていないか、あの子」

「ハハハ、そうかなあ」

 どこか常識に無頓着な子どもを前に顔をしかめると、養父の春紀はるのりはからからと笑った。その笑顔は変わらず眩しいが、以前のような覇気がない。頬は痩せこけ、顔は紙のように白い。

「お前……ちゃんと食っているのか?」

やまいでね。長くない」

 その友の言葉に、忠行ただゆきは衝撃を受けた。実光さねみつも茫然として、何も言えないでいる。だって。あの、寛子に何度も手合わせを挑んでいた、春紀はるのりが。信じられない思い出いっぱいである。

 

「あの流行病はやりやまいで、私はすべてを失った。家族も、愛していた女性ひとも。私は寄り添える家族がただ欲しかったんだよ」

 

 ぽつりと言葉を落とす友に、忠行ただゆきは「え?」と眉をひそめた。

「あの子を引き取ることにした理由だよ。地位や名誉があっても、誰もいないことは寂しい。だから、地位や名誉を捨ててあの子を選んだんだ。でもまさか、自分が置いていく側になるとはなあ」

 名も決めてあるのだ、と彼は言う。途絶えてしまった家族の思いを、変遷を継ぐ、と言う意味で「ふみ」の字を与えるのだと。そう語る友のまなこは穏やかなようで、どこか寂しげ。彼は常に明るいように見えて、その実つねに孤独だったのだ。

 

(このままでは)

 

 このままでは、この友すら、誰の記憶にも残らない。その存在があったのだと、誰に知られることなく、ひっそりと消えて行ってしまう。

 ――彼のために、この孤独な友のために、何ができる。

 忠行ただゆきはその日誓った。ならばその子どもを証しにしよう、と。

 

「貴方はこの男とは違う。寛子ひろこさまの血を濃く引き、わが友春紀はるのりの思いをかたく継ぐ、誰よりも認められるべき御方なのです」

 

 友を生贄としたあの先々帝によく似た、凡庸で愚鈍な今上帝。忠行ただゆきはじろりと玲仁あきひと今上きんじょう陛下を見下ろした。

 だが史紀ふみのりは変わらず無表情で、呆れの様相すらあった。

「私は今の生活に満足しているのだよ。言ったよね。私は幸せだと」

「満足なさらないでください。貴方は世に知られるべき御方。貴方にはその責務がある」

 今上帝きんじょうていの頸を強く押さえつけ、忠行ただゆきは叫ぶ。

 

 史紀ふみのりの義父、春紀はるのりはあの翌年の稲刈月いねかりづきにこのきょうを去った。史紀ふみのりはまだ七歳。当初はその後見人として家で預かり、のちは彼を皇太子とすべく、「自分は随身である」と言い聞かせた。

 だが当人は元服したのち、あらゆる政争において「不干渉」を誓った。本来は神鏡かがみの男子である「仁」の文字を用いた名、「史仁あやひと」を名乗るべきだと忠行ただゆきに言われても耳を貸さず、そんなことをしてしまえば義父が不名誉を負ってまで守ったものがすべて崩れてしまうから、と「史紀ふみのり」の名を名乗った。

 

 そのことを忠行ただゆきはひどく悔しく思ったのだ。

 史紀ふみのりは血筋だけでなく、母譲りの破天荒ぶりにあわせ才も豊かだった。何よりもこのままでは春紀はるのりはいなかったことになってしまう――養父の職をついで日陰者になって怠ける主人を見て、その焦燥は日に日に増していった。

 

「まあ、よく考えたよね。皇后に官人かんにんたちの意識を向けさせて、そのあいだに手薄になった陛下の首に手を掛けるなんてね」

 むろん、それだけではうまく行かなかっただろう。

 まず第一に、今上帝きんじょうていが他人思いで自分の警護を少なくしてまで妻を救おうとするお人好しぐあいをよく理解していなけばならない。

 くわえて、協力者だ。

 近衛府で味方を着々と増やし、手薄になった警備を自称史紀ふみのり派――正確にはその実の母親、宵結よいむすびの守部もりべする男たちで固める。時おり近衛府に顔出しをしたのは他の官人たちから現役復帰の説得されるという時間もあったが、そのすきに味方同士で謀反むほんのくわだてをしていたのである。

「良くも悪くも、宵結よいむすびの守部もりべは人気があったからね。ああ言う、人間らしくないところに惹かれたのかな」

 はっと史紀ふみのりは鼻で嗤い、ゆっくりと続けた。

「もう一度言う。その手を離しなさい」

「その命には従えません」

 忠行ただゆき太刀たちを持ち上げ、振り落とした。今度こそ死を覚悟し、帝はぎゅっと目をつむった。

 

 痛みはない。かわりに、きいん、と刃の重なる耳障りな音が響いた。

 

「な……!」

 唖然とした忠行ただゆきが目を見開く。太刀たちが弾かれたのだ。いつの間にかすぐ傍らには黒装束に白い面をした何者かが小太刀こだちでこちらの太刀たちを受け止めている。その小柄な姿に覚えのあった今上帝きんじょうていはあんぐりとした。

「お前、葬儀で皇后をさらった」

「失礼」

 短くその黒装束が言い放つと、今上帝きんじょうていの襟首を掴んで後ろへ飛び退く。その勢いで思わず「ぐえっ」と叫んでしまうが、喉を圧迫されれば誰でもこうなるだろう。

「く……!お前、なんなんだ」

 悔しげに唸る忠行ただゆきに、その黒装束は何も答えない。今上帝きんじょうていの襟首からぱっと手を離してその場に捨てると、小太刀こだちをもうひとつ抜いて構える。

 二刀流の使い手らしい。その立ち姿には隙がなく、手練れだと武人でなくとも察せられた。

「この、クソ!」

 忠行ただゆき太刀たちを構えなおし、その黒装束へ向かう。友の春紀はるのりや、主人の史紀ふみのりに隠れて目立たぬが、忠行ただゆきはかなり腕のたつほうである。ゆえにしばしば、その腕を惜しまれて「戻ってこないのか」などと誘いを受けていたのだ。

 黒装束がひらりとかわしたのを認めると、忠行ただゆきはとっさに太刀たちを持ち替え、その面を蹴り上げた。

 

 からん、と面が床に放られ、淡い月光のした、その顔が露わになった。

 

「お前……ウツギか?」

 

 それはざんばらに束ねられた白銀の髪に、赤銅に日焼けたひたいに二本のつのと血よりも鮮やかな赤い目を持つ、幼い少年であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る