思いを継ぐ者 壱


 先々帝の御代は早く、そして短い。

 

「本日より陛下の側仕えの任を承った、雁舞かりまい忠行ただゆきと申します」

 

 よろしくお願いいたします、と平服する忠行ただゆきの向こうには、御座に座す今上きんじょう陛下、神鏡かがみ由仁よしひとの姿がある。

「う、うむ。宜しく頼むぞ」

「は」

 年齢とし忠行ただゆきと同じ十五。即位して間もない所為か、その受け答えはぎこちない。ぎこちないだけならばよいのだが、もっとも威厳を保たねばならない陛下がびくびくとしているから、いっそうやりづらい。

 仕方がないと言えば、仕方がない。

 この今上きんじょう帝は次代つぐしろ銅鏡かがみを父陛下より賜った皇子ではない。血筋こそ、父母ともに神鏡かがみの血を引くもっとも高貴なものであるが、彼は皇后の長子ではない。ではなぜ今御座に座しているのかと言うと、流行病はやりやまいで先帝や兄宮たちが次々と急死したためである。つまり、棚ぼたなのである。

 加えて、この陛下は生まれてこのかたずっと「自分は凡庸で愚鈍である」と痛感しながら生きてきたのである。

 

「なんじゃ。おぬしも侍従になったのかえ」

「……寛子ひろこさま」

 

 振り返れば、同年の女人の姿がそこにある。

 狐のように胡散臭い目をした女で、絶世の美女というわけでもないのだがどうにも人目を惹きつける雰囲気がある。彼女こそが今上きんじょう陛下の自信というものを根こそぎ奪った張本人で、今上きんじょう陛下の双子の姉である。

「あのう。いちおう裳着を済まされた御方おかたがかように人前へ出てよろしいので?」

「なんじゃ、忠行ただゆき。今さらじゃろうて。ついこの間、大学寮でも顔を合わせたじゃろうて」

「博士、泡を吹いて倒れましたよ」

 裳着を済ませていなくても、皇族の姫がうろうろしていれば誰でも生きた心地がしないだろう。

 

 寛子ひろこは幼いころから後宮を抜け出してはあっちこっちへ赴いて大人の男たちを「うげ」と言わせている。年齢としも同じである忠行ただゆき実光さねみつは、何かと行事で出くわすので、もはや幼馴染と言っていい。大学寮で学んでいるころには、毎日顔を合わせ、その都度「こんなのも理解できんのか」と寛子ひろこに鼻で嗤われ、そのあと博士に「なんとかしてくれ」と相談されるのが日課であった。

 

「ふん。おなごに論破されるような博士は一から学びなおしたほうがよいじゃろうな」

 「貴女に言われたら誰もが一から学びなおしですよ……」

 はあ、と忠行ただゆきは嘆息して頭を抱える。この女はとにかく、優秀なのだ。

 文武両道で、学問だけでなく武術も達者。年に一回の武術大会も飛び入り参加して、屈強な兵士たちの自信をぼっきり折ってお帰りになる、嵐のような女人だ。ゆえに同い年の弟である由仁よしひと陛下は生まれながらに自尊心というものがない。即位が決まったその日も「姉上にお任せした方がいい」と言って部屋に籠った。けっきょくその姉上が、「まつりごとは好かん、却下」と言って次代つぐしろ銅鏡かがみを叩きつけたので、しぶしぶ弟が即位をのんだのである。

 

「姉上、今日はいらしてくださったのですね。先日から実光さねみつに呼びに行かせたのに、いっこうに足をお運びくださらず、由仁よしひとは寂しゅうございました」

 「ふん。今日はそのことでひと言言いに来たのじゃ。毎日毎日、こんなつまらん男を送りつけおって。やるなら一つ目や三本足の人間でも寄越せ。でなければわらわと学問か武術で渡り合える味のあるやつにせよ」

 そんな無茶な。つまらない男と一蹴された忠行ただゆきの幼馴染で同じく侍従をしている錦瀬にしきぜ実光さねみつはしゅんと肩を落としてしまっている。安心しろ。この御方おかたを満足させられるのは人間ではない。などと声を掛けられるはずもなく、忠行ただゆきはあきれ顔で黙していた。

 

「ハハハ!ならば私と手合わせ願えないですか?」

 

 突然に差し込まれた若々しい男の声に、忠行ただゆきはぎょっとした。

 いつの間にか、部屋にもうひとり通されていたのである。がっしりとした体躯の、なかなかの美少年。おそらく忠行ただゆき実光さねみつ、陛下やその姉とも年齢の変わらない――先に物申したのは、侍従実光さねみつである。

「おいお前、陛下の御前であるぞ。挨拶もなく失礼ではないか」

「これは失礼。私は初氷ういごおり春紀はるのり。本日より陛下の侍従としてお仕えいたすものです」

 からからと笑いながらも、さっと膝をついてこうべを垂れる所作には品がある。帝にはかならず八人以上の侍従がつけられるが、その八人というのは従八家のそれぞれの代表とも言える。その代表に相応しいだけの教養がこの少年にも施されている、というわけだ。

「そなたが春紀はるのりか。はくでの噂はかねがね。宜しく頼むぞ」

「は。――して」

 にやりと笑い、春紀はるのりと名乗った少年は寛子ひろこへ視線を移す。それは溌溂とした、悪戯っ子の目である。

寛子ひろこさまの噂は父よりうかがっております。ぜひ、手合わせ願いたいのですが」

「ほう。わらわの噂を聞いて挑戦するとは面白い。よかろう、乗ってやろうではなかろうか。どちらが多く獲物を仕留めたか、勝負じゃ」

 

 だからここは陛下の御前だって、と声を掛ける実光さねみつの言葉もむなしく、寛子ひろこまで乗り気である。

 悲しいことか、今上陛下まで「姉上の勇姿をぜひ見たい」などと言い出す始末で、大内の裏手、木群ノ端こむらのはのあたりまで狩りへ行くためお忍びで出かける羽目になった。

 公務はどこ行った?などと問うてはならない。この自信喪失陛下はその原因を恨むどころか信奉しているのだから。たまにこうして会わせてやらないと、「やる気が出ない」ともとより存在しないやる気がいっそう失われてしまう。それにそもそも、まだ若く自分で判断できないのも相まって、多くは関白である実光さねみつの祖父君に任せきり。今さらである。

 寛子ひろこさまと春紀はるのりの勝負は僅差きんさ寛子ひろこさまの勝利であった。

 だが、である。これまで圧勝だったことを踏まえれば大進歩。聞けば春紀はるのりは北のはくの軍団に混ざって育った、貴族の子息とは思えぬやんちゃっ子で、現地の兵士たちからも「将来有望」とされる少年であった。なるほど。北のはくは気候も厳しく、治安もあまりよくないことで有名。そんな場所で治安維持を務める兵士たちから折り紙付きなのだから、かなりのやりてである。加えて、

 

「え、お前。神官の術が使えるのか?」

 

 呆気に取られた忠行ただゆきに、春紀はるのりはきょとんとして、

「とは言っても、卜師ものうら程度だぞ?さすがに魂に触るとかはできないさ」

「いやそれでも十分すごいことだと思うが……」

 と添える実光さねみつの言葉ももっともである。多くの神官が卜師ものうらにも慣れず、知識だけで魂と器の状態を判じ、処方する医師で留まるのだから。

「それに私は武官志望だから、神官の術ができてもなあ」

「これで学識もあったらさすがに私もイラっとくるぞ」

「大丈夫だ忠行ただゆき。あまりの不出来で博士に出て行けと言われたことがある」

 威張って言うことではない。呆れ果てていると、春紀はるのりは白い歯を見せて笑った。

「とにかく、これからよろしく」

 

 春紀はるのりはとにかく少年だった。騒がしくて、何かと脳筋なところはあったが憎めないやつで、忠行ただゆき実光さねみつはむろんのこと、あの引っ込み思案な今上陛下にも馴染んでいた。寛子ひろこやお妃さまがたの女房たちにも人気で、「将来が楽しみですわ」といつも言われていた。それは忠行ただゆきも同じで、きっとこれからの官人かんにん生活で長い付き合いになるだろうと考えていた。

 

 ――そう、あの日までは。

 

 

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