無の混沌 壱


 翌日。皇后たち一行は後宮へ戻り、頭のとうの中将ちゅうじょう雁舞かりまい重行しげゆきは囚われた。

 触穢しょくえで休むなどということもしたことのない生真面目な男がまさかそんなことを、と朝廷では大騒ぎになっているらしい――南繋神宮なんけいじんぐつへ足を運び、史紀ふみのりのもとへ挨拶に訪れた大納言錦瀬にしきぜ実光さねみつがわざわざそう報告した。

 

「いやはや、驚きですなあ。なんと、奴の屋敷から宵結よいむすびの守部もりべの私物も見つかったらしく」

「そうかい。それはよかったねえ」

 上機嫌な実光さねみつに対して、史紀ふみのりはいつも通りの、のんびりとした声で返す。

 どこで聞きつけたのか、鬼人きじん雁舞かりまいの家紋の焼印がされていたと知った皇后付きの女房、信子のぶこが告発したのである。それにより、重行しげゆきは捕縛され、屋敷もあらためられたのだと言う。

 それで、屋敷の一室から宵結よいむすびの守部もりべの神官装束の替えや白陰びゃくいんの匂い袋などが見つかったらしく、いっそう朝廷は噂話にお祭り騒ぎである。重行しげゆきを目の上のたん瘤と感じていた一部の官人かんにんは喜びで踊り狂っているのだとも。

 その従兄弟が史紀ふみのりの横に控えているというのに、この男もまた嬉々としている。

 

宵結よいむすびの守部もりべを殺めたのも奴に違いないという、私の予感が的中したわけですな!」

「そうだねえ」

「ここまで事がうまく進むとは、気分がよいものですなあ」

 愉快そうに笑う男に、とうとう堪忍袋の尾の切れた忠行ただゆきが声を上げた。

「おい貴様。こっちは家人がひとり、重体なんだぞ」

「ああ、鬼人の小童ですか。まさかウツギが鬼人とは予想だにしませんでしたが、娘をよくぞ守ったと私からは礼を述べておこう」

 この男からすれば、飼い犬か飼い猫が刺されたていどの考えなのである。よくも皇后たる娘に穢らわしいものを近づけてくれたな、と怒り狂わないだけましとも言えるが、娘のためにいからないのかとも言える。忠行ただゆきは何からいかればいいのかと頭を抱えた。

 

 対して、史紀ふみのりは変わらず目をとろんとさせていた。

「それで、葬儀のときの護衛は誰が担うんだい?」

「近衛府の他の者でしょうな」

 皇后の命を狙っただけでなく、皇家の血を引く宵結よいむすびの守部もりべを殺したと考えられる男をそばへ置きたくはあるまい。実光さねみつはそう説明すると、さらには、

「が、そもそも犯人を引っ捕らえたのですから、さほどの危険はありませんでしょう」

 と自信満々に続けた。史紀ふみのりは微笑んだまま、「そうだといいね」と返す。その目が笑っていないが、そのことに実光さねみつは気が付かない。

「めずらしく悲観的ではありませんか」

「そうかな」

 どうして今回の件と皇后の話と宵結よいむすびの守部もりべの話をそこまで簡単に結びつけられるのか私にはわからないだよ、と続ける史紀ふみのりに、実光さねみつは眉をひそめた。

「わざわざ史紀ふみのりさまのお屋敷へ下手人を寄越すなぞ、皇后が狙いに決まっておりましもうぞ。それに、宵結よいむすびの守部もりべに関しては、私物が出ているのですから言い逃れようがあるまい」

「そうだね。まあ、何事もないことを祈るよ」

 夕刻から執り行われる葬儀に関する仕事があるらしく、実光さねみつ大内おおうちへ帰って行った。その背を見届けながら、史紀ふみのりは笑みを浮かべたままこぼした。

 

「それにしても、私の屋敷に留め置いていることとか、誰が漏らしたんだろうねえ」

「さあ……。女房のなかに、重行しげゆき間諜かんちょうがいたんでしょうね」

 忠行ただゆきの返答に、史紀ふみのりは何も応えない。くるりときびすを返して、倉のなかへ戻った。

末の姫すえのひめ殿、ウツギの具合はどうだい?」

 倉の奥、畳の敷いた区画に今日は几帳きちょうを立てていた。その後ろに、ウツギを横たえて寝かせているのである。そしてそのかたわらには、実光さねみつより先に見舞いへ訪れていた忠行ただゆきの娘の姿がある。

「意識が戻らず、熱も引きません。かなり血も流したので……。医師を呼んだほうがよくありませんか?」

「ウツギはこの見た目だからね。呼ぶわけにもいかないんだよ」

 鬼人きじん人間ひとではなく獣。獣医がいればきっと、大真面目に獣医が呼ばれることだろう。だが残念ながら、きょうには獣医はいない。

 

 主人に続いてそばへ寄った忠行ただゆきは気不味そうに眉を寄せた。

「それより末の姫すえのひめ、お前は平気なのか」 

「何がです」

「鬼子だ。ふつう、気持ち悪いとかあるだろう。……私もはじめは抵抗があった」

 抵抗があるのがふつうなのだ。ウツギは肌の毛が薄いぶんその恐ろしさが感じづらいが、鬼人きじんは全身毛むくじゃらで角や牙の鋭く、力が強く、獰猛な性質を持つと言われている。

「そりゃあ、あたしだって驚きました。でも角が生えてようが生えてなかろうが、ウツギはあたしの友達です」

 きっぱりと言い切る少女に、史紀ふみのりは微笑ましげに笑った。

「いつの間にか、ウツギにも友達ができたんだねえ」

「父としては複雑だ……」

 男女の友情を信用していない忠行ただゆきだ。

「結婚するなんて話はしてないからいいじゃないか」

「貴方はご存知ないからそういう事が言えるんです」

末の姫すえのひめの好みは強い男、と妻から聞いております」

「背が高くてーとか筋肉がついていてーとかはないのかい」

 

 背が高く逞しく、富と権力がある、美丈夫。たくましく、の下りはあまり求められることはないが、よくある貴族の娘の理想の男像である。ここに風流に理解があって、だとか文字が美麗だとかが加わるとなおよい。

 

「それは……あるかもしれませんが」

「なら問題ない。今のウツギは短躯で華奢。顔もまだまだ女の子みたいなものだよ。まあ、整っているとは思うけど」

 彫りが異様に深いのでわかりづらいが、ウツギの顔はつり合いの取れているほうだしね、と言葉を添えると忠行ただゆきはまた複雑なおももちをした。

「こいつ、文字は綺麗だったような……」

「父上、史紀ふみのりさま。勝手に下世話な話をしないでください。それと怪我人をけなさない」

 横からぴしゃりと叱りつける少女に、大人の男ふたりは「あ、はい。ごめんなさい」と静まった。はあ、と小さく息をつくと、末の姫すえのひめは腕を組み、男たちの言葉に修正を加えた。

「それと、ウツギは子どもだからちっさいのであって、そのうち大きくなると思いますよ。手足大きいですし」

末の姫すえのひめ、結婚するなら血筋のよく、高い役職でそこさこよく働く男にしなさい」

 そこそこ、というのがミソである。働きすぎると宿直とのいを繰り返して帰ってこない。そうなると正妻でなかった場合、機械に恵まれなく干される可能性がある。

「めったに帰らないくせに余計なお世話だよ」

 正論である。とくに、末の姫すえのひめは正妻の子なので、普通に帰ってきていれば顔を合わせるはずなのだ。頭痛が痛い、と痛いを二回言いたくなるような気分になった忠行ただゆきは、頭を抱えてうなった。

 

「あの。ここ、どこですか……?」


 突然にぽつりと落とされた子供の声に、三人は振り返った。いつの間にか、ウツギがうっすらと真朱まほその目を覗かせていた。

 

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