第15話 雪の世界で君を探す
「舞代? 本当に舞代なのか?!」
思わず幽霊でも見たかのような反応をしてしまった僕。もちろん、電話とはいえ彼女の声を聞き間違えることはないが。
『…………………………………………はい。舞代です』
もう、探すことに必死で連絡手段のことなど一切忘れていた。最初からこうしていれば、今更ながらに後悔の気持ちが湧くが、それ以上に今は連絡が付いたことへの安心がある。
「良かった……………………それより、今どこにいるんだ?」
少し早口になってしまっている自覚はない。けれど、僕は落ち着きなく、舞代に問う。
『ごめん…………………………………………言えない』
予想だにしなかった答えが電話から返ってきた。
「どうして…………」
思うよりも、問うよりも、先に喉を通り過ぎた言葉。感情を込める隙間なく口から零れ落ちる。
『私………………………………もう分からないよ』
ガチャリ。そして、ツーツーと電話の切れた音がする。
たった一言。最後、舞代が零した声はもう、今にも消え入りそうなほど、弱く、儚く、冷たかった。
「舞代?! おい、ちょっ……………………って切れてるか」
券売機の前で止まり、一度、僕は携帯を閉じる。
「灯、六花は? 何か言ってた?」
ほんの数秒ほど経って、僕を追ってきたのか葵木も券売機の方へとやって来た。心配の色濃い表情が余計に僕の不安を煽る。
「……………………何も言ってなかった」
どうして、こうなった。
そんなことを考える余裕はないが、どうしても原因を知りたくなる自分がいた。だが、同時にそこに考えを向けたら駄目だと、もう一人の自分がストッパーを掛けている。
「どこか、心当たりは?」
「そんなこと言われても…………」
つい数秒前の記憶を手繰る。当時の動揺が今は靄になって思考を邪魔してくる。何か、大切なことを見落としている気がするが、それが何か分からない。
「せめて、六花の声以外にヒントがあればいいんだけど…………って私は六花の声すら聞いてないじゃん!」
舞代の声以外のヒント。
自分で思い付いての、ツッコミ。普段なら日常的な光景の連想できる彼女の反応が、僕の記憶を刺激する。今までにない視点と、着眼点に光が灯って思考の暗闇にランプを灯した。
記憶を覆う、不快な靄が確かに消えていく。
「…………ちょっと、待った」
舞代と言葉を交わした数秒。少しだけ、音が聞こえてきた気がする。強い風と吹雪の音などもろともしない確かな音。長針と短針が示したその時間を周囲に告げる鐘が電話越しにその存在を教えてくれていた。
「まさか……………………駅前の大時計か」
この時、舞代が電話をかけてきたと思われる場所に、一つ心当たりが生まれた。もちろん、確証があるという訳ではないが、今はただ信じることだけを選ぶ。それしか、僕には出来ないから。
「駅前の大時計……………………って、確か灯と六花の最寄り駅から一駅離れたところにある……あれ?」
葵木は、自信なく、確認するような視線を向けてくる。が、多分彼女の想像は正しい。
「あぁ、その通りだ」
『当電鉄をご利用のお客様に至急お知らせ致します。異常気象ともとれる大雪の影響で列車の運行は極めて困難であると判断し、現在運航中の者を本日最終便といたします。多大なるご迷惑をお掛けして申し訳ありません』
ほぼ無人にも近い状態の中、アナウンスが構内に鳴り響く。外の風に乗って舞い込んできた白はもう既にプラットホームへと溶け込んでいた。
「ふぅ………………………間に合った」
止まった電車に急いで乗り込む。これは乗ってから分かったが、出発までには数分の余裕があるらしい。
「この時間っていつも乗らないから、分かんないんだよなぁ」
しまった、完全に葵木のことを忘れてしまっていた。切符を買ってから振り返ることをせずにここまで来てしまったのだ。
と、ここでプシュー。扉が完全に閉まり、普段よりも少しばかり遅い初動と共に電車は駅から離れていく。
「すまん葵木。何とか、終電だけは確保してくれ」
と、恐らくまだ駅の中にいるであろう葵木の姿を想像し、謝罪のメッセージを彼女の携帯へ送った。
さて、それじゃあ…………
落ち着いている、というのは冗談だ。いや、ある意味冗談が言えるくらいにはまだ取り乱していないということだろう。
ガタンゴトンと電車の揺れる音が目的地に近付いていることを強調してくる。その度に僕の内心はざわめきを覚える。
僕はただ、外の真っ白な世界だけをじっと車窓から眺めていた。
『ご乗車ありがとうございました』
プシューと電車の扉が横に開くと同時に、僕は駅のホームへ駆け下りた。古めかしい駅舎と今時珍しい大時計が目立っているのは普段の話。今はただ、暴風に乗って激しさを増す雪に隠れて、形がぼんやりと見えるだけである。
「舞代……………………」
もう、一歩先でもギリギリ見えるかどうかという視界の悪さ。少なくとも、舞代らしき人物のシルエットはプラットホームに存在していない。
「もう、ここにはいないってことか」
切符を無人改札に通し、駅を出る。広い道路に出てみると、余計に天候の悪さが分かる。正直真冬の北国と比べても酷いかもしれない。
常識的に考えれば、この状況で動くのは危ないだろう。きっとそれは僕だって理解している。
「けど、何でかな。全然足、震えてないや」
足どころか、全身が震えていない。むしろ、一般論という着物を脱げば今にも動き出してしまいそうだ。
「…………要は今すぐ行けってことか」
言葉通り、着物を脱ぎ棄てる。鞄は駅の中に置いて、マフラーを今一度掛け直す。そして、ふわりと、体を浮かすようにして吹雪の中に飛び込んだ。
寒い、そう感じたのは一瞬だけ。走り出してしまえばもう関係ない。
吹き抜ける風の轟音が聴覚に届いて、その他の音を遮断する。残念ながら、現状把握は不十分な視界に任せるしかないようだが。
「はぁ、はぁ、はぁ」
駅から離れて、広い交差点に着いたところで一度、足を止める。
右と左。右は海側から離れた住宅街とその先は山道。対して左側は海側の小さな港と防波堤が海岸線に沿って長々と広がっている。
「…………左か」
方向を即決し、僕は交差点を左へ曲がる。
瞬間、激しく吹き付けるのは雪を纏った突風。しかも、向かい風である。
今までに体験したことのないほどの逆風に体が揺られる重心ごと後ろに持っていかれそうになる。
雪の粒が顔に当たれば、もう冷たいという感覚など優に越えて痛い。頼みの綱である視界も、余計に悪くなるばかりである。間違いなく先ほどよりも天候が酷くなっていることが分かった。
「うわっ?!」
力いっぱい踏み出した足が凍り付いた地面を滑る。踏ん張ろうと、片方の足に力を籠めるが、今度はそちらもツルっといってしまう。
「痛っ…………いのは仕方ないか」
激しい痛みが肘と膝を襲う。が、歩けないほどではない。
溜め息一つ零して、再び足を進める。きっと歩いた先には舞代の姿がある、そう信じて僕は埠頭を目指すだけだった。
自信満々に、駅を飛び出してどれほどの時間が経っただろうか。いや、今考えるのも違う気がするが、恐らくに十分くらいか。
距離にすればほんの二キロもないくらいにしかないはずの埠頭は未だ僕の視界に入っていない。
あれ、おかしいな。確か、前来たときは十分で着いたのに。
ホワイトアウトと同レベルの豪雪に視界不良と路面凍結が重なっているということが理由ではあるが、やはり不安は拭えそうにない。
ポジティブシンキングを試みてはいるが、先程から浮かんでくるのは負の感情ばかりである。
どうして、僕がこんなことをしているんだ?
そもそも、僕が舞代に会って何が変わるというのだ?
知っているのか? 彼女のことを。
もう一人の僕は自虐趣味でもあるのだろうか。口を開けば痛いところばかりを激しく突いてくる。その気持ちをいつも抑制してくれる誰かは、今ここにいないから余計に強く心に響くものである。
同情か、それとも淡い期待か。どちらにしてもはっきり言って不純だ。王子様を気取れる人間じゃないことくらい自分が一番分かっているだろ?
心の中でもう一人の僕がそんなことを言った。言われた側が僕でなければ誹謗中傷レベルの発言である。
それに今引き返さないと、間違いなく身体を壊すぞ?
そんなことは分かっている。
っていうか何で、舞代のためにこんなことしてるんだよ。どうせ、僕にはどうにもできない問題に決まっている。
決まっている、僕にはどうにもできないと。そう、決めつけられた。
いや、もしかすると潜在的に僕がそう決めつけているのかもしれない。そう考えると、何だか無性に腹が立ってきた。
「…………やめろよ。そういうの」
自分でも驚くくらいに冷たい感情がそのまま言葉になっていた。その衝撃に、多分もう一人の僕も言葉を失っている。反論が返ってこなかった。
「今は……………………理由より衝動なんだよ!」
内なる自分に言い聞かせるように、僕は言葉を吐いた。
理由なんて、そんなものは誰かを納得させるときに使えばいい。今は、ただ舞代に会いたい、連れ戻したい、彼女を悲しくさせたくない。それだけの衝動があれば動ける。
足を滑らせながら、前に進む。
身体が一連の動作を覚えてきたのか、最初に比べれば進むスピードは右肩上がりに早くなっているような気がする。
寒いよ、冷たいよ。もう、手の感覚はないし、睫毛だっていつ凍ってもおかしくない。明日は熱出すだろうなとか、どうでもいいことだって脳裏を過る。でも、どれもこれも引き返す要因には役不足でしかない。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。ったく、歩きずらいっての」
瞬きを忘れ乾燥した瞳を擦る。気付けば、港に沿って歩いた道のりはもはや最終ゴール。僕は埠頭に着いていた。
数メートル先、白銀の突風に隠れてその姿は見えないが、確かに一人分のシルエットは視界に映っている。
「………………………でも、良かったよ」
もう、表情を上手く作ることもできないと思っていたが、案外顔は悴んでいなかったらしい。今、僕には確かに笑っている自覚があった。
少しだけ、風が緩やかになる。
風に隠れたシルエットがその姿を明らかにする。
降り積もる雪が似合う白銀の髪と綺麗で艶のある白肌。服は僕の通う高校の制服にダッフルコートを羽織っている。
僕が、探し求めた彼女は確かに、そこに立っていた。
「やっと見つけたよ。舞代」
冷え切ってカラッカラの喉に精一杯の優しさと活力を込めて僕はそう言った。
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