第16話 冬が始まった日




「灯君……………………どうして」


 僕の言葉に振り返った舞代の表情には確かな驚愕の色が染みていた。まぁ、そりゃそうだ。だって、こんな天候で普通自分を迎えに来る人がいるとは思わないだろうから。


「迎えに来た、舞代のこと」


「そうじゃなくて、どうしてここが分かったの?」


「携帯から音が聞こえたんだ。駅前にある大時計の音が」


「大時計…………でも、それだけじゃここにいるっていうのは……………………」

「確かに大時計だけだったらな。だから、ちょっと考えたよ」


 何を? とでも言いたげな表情で舞代の視線が僕へ向けて引かれていく。わざわざ勿体付けても仕方がないので、僕は誇張なく数十分前の思考内容を思い出した。


「舞代、この駅初めてだっただろ?」

「…………うん、そうだね」


 だから? とは言わない舞代だけど、恐らく少なからず思ってるんだろうな。何となく目がそう言っている。


「この駅、降りたらすぐに海と端っこに埠頭が見えるんだ。そこは、目的もなしにうろうろするにはもってこいの場所。多分それが真っ先に目に入ったら、そこに行きたくなるはずだって、思ったんだ」



「ふふっ…………」



 僕の説明がおかしかったのか、舞代が色のない笑顔で声を上げた。


「やっぱり、灯君は凄いね。ドンピシャで正解だよ。まるでその場にいたみたいに話しちゃうんだから」


「僕が凄いんじゃないよ」


「もしかして、実際にあったこと?」


 

 僕自身がそうだったから…………なんて変な自己投影みたいで恥ずかしいから言えなるわけもないさ。



「まぁ、友達がね」


「……………………………そっか」


 冷静に納得しながらも、どこか思い詰めた表情をしている舞代。体育館裏の時の錯乱と言っても差し支えない状態でなかったことは取り敢えずの安心材料だろう。けれども、それとこれとは話が別だ。


「帰ろう、舞代。皆のところにさ、愁斗も葵木も芝野先輩も、多分土河だって心配してるからさ」


 これが本当に正しい選択なのか、それは分からないけど、取り敢えず僕は本題に入った。多分、僕の中にはあったのだ。舞代なら分かってくれる、きっと彼女は戻ってくる、そんな根拠も確証もない自信が。



「ごめん。それは、できない」



 彼女の一言はそんな潜在的な自信が一瞬にして叩き壊してしまった。どうして、そんな問いが頭の中いっぱいに広がる。


「……………………どうして?」


 思わず、僕はそのまま心の声を口に出してしまった。いや、いつになく不安で、今にも焦燥と不安に負けてしまいそうな舞代の様子が僕をそう言わせたのかもしれない。



「…………怖いんだ私」



 震える声で舞代が紡ぎ出したのはその一言。


「怖い?」


「芝野先輩の告白を断った私、それを目の前で目の当たりにして泣いてた土河さん、そんな土河さんの恋を応援していた七科ちゃん、そしてその一部始終を見ていた灯君と愁斗君。

 もう、起こってしまったことはどうにもできない。そんな状態で私たちの関係が前みたいに戻れると思う? 表面上の付き合いだって多分出来ないよ。戻れない、楽しかったあの時間と同じ環境には。でも、それをどうにかすることって出来ないんだよ。もう、怖い以外何もないよね?」


 雪纏いし嵐が、その勢いを強める。それはまるで、今の舞代の状態をそのまま自然現象に例えているようだった。


「そっか……………………」


 一度、そう言葉を挟む。でも、そこには肯定の意思などなかった。

 いくら相手が舞代でも…………いや、、舞代だからこそか、そんな暴論、納得出来るわけがない。


 だから、



「僕には分からないな、そんな言葉」



 恰好を付けたかったわけではない。でも、ダサくてもいいから、とにかく意思を届かせたかった。だから、僕は思った通りに言葉を紡いだ。



「灯君には分からないだろうね。こんな私なんかでも当たり前のように助けちゃう

灯君には」



 少しだけ、含みのある言い方。本質的にあまり感情に起伏がないことを自負している僕だけど、なぜかその一言には得意のスルーも出来なかった。


「それ、どういう意味だよ?」


 熱の籠った声が一瞬だけ雪の音を掻き消す。


 あれ、僕ってこんな熱血キャラだっけ? と、今更になって自己ツッコミが入ってきたが、正直深く考えるほど気持ちがそこに向かない。



「君は常に手を差し伸べる側だから、私のなんかの気持ちは分からないよ!」



 どこか怒気を含んだ今日一番の大声で舞代は言った。瞬間、僕と舞代の間を包み込んでいた白のカーテンが取り払われ、代わりに周囲を取り巻く白がより一層強くなっていく。

 彼女は俯いていた。綺麗で滑らかなはずの純白髪はぼさぼさで艶に欠けて、綺麗な白肌はどこか痛々しさを感じてしまうほどに雪色である。明らかに大丈夫じゃない。


 でも、それはただの視覚情報にしか過ぎなかった。


 舞代の気持ち、なぜだろう、いくら考えても一つの単語だって思い浮かばない。


「それは…………………………………………」


 仲良くなって、共通の友達もできて舞代のことを分かっていた気になっていた。でも、実際のところ、僕は彼女のことを何も知らない。


 言い訳もどきの声が出たところで、僕は気付いてしまった。



「…………似てたんだよね、今日のことが半年前に」



 掛ける言葉見つからず、その場に立ち尽すこと数秒。白銀色の音が支配するこの環境で、再び言葉を紡いだのは舞代だった。


「少しだけ、昔話をしようか」


 どこか、遠くの水平線を眺めながら舞代は追憶に思いを馳せているようであった。






「半年前、地元の高校に入学したばかりの私にはまだ、体温があったんだ。今みたいに季節も冬で固定されていたわけじゃないし、性格だって今より全然明るかったんだ。卑屈になることだって、あの頃はまだ知らなかったな。それに、友達もたくさんいたし、最高の親友だっていた」



 語られる舞代の過去。確かに、体温がなく、彼女の周りは季節が冬で固定されるというファンタジーな設定は知っていたが、その背景を聞くのはこの時が初めてだ。


「でも、入学から三か月くらい経った頃かな。丁度、夏休み目前って時期に私、告白されたんだよ。それも、一つ上の先輩で親友の恋人だった人からね」


 舞代の表情が曇る。それはまさに登校時、ラブレターを見た時の表情と酷似している。気付けば、僕は反応の一つもすることなく話に耳を傾けてしまっていた。


「私は先輩の呼び出しを受けて体育館裏に行った。それで、はっきり断った。これで、親友も私も傷付かずに済むし、先輩は親友とよりを戻せばいいから一件落着って、そんな私の予想は一瞬で消えちゃった」


 少しだけ、声の調子が変わる。懐かしさからくる優しい声から、恐怖を想起させる重く低い声に。


「見てたの、親友が告白の現場を。一方的に別れちゃって原因を探ってたんだって。ほんと、偶然って怖いよね」


 相関図が若干異なるだけで、舞代の話はほとんど今日の話だった。何となく、その後の展開は想像に難くない。


「次の日だったよ友達に呼び出されたのは。何て言われたと思う? 『信じてたのに、裏切り者。ずっと私を利用してたんだ。許せない、私の先輩を返してよ!』ってさ。もう悲しいを通り越して冷めちゃった。まぁ、心だけじゃなくて体と周りの気温も次の日から冷めちゃったけどね」


 その後の話は何とも後味の悪いものだった。告白の翌日から教室に友達と呼べる存在は一人もいなくなり、事情を話そうと親友だった女子に声を掛けたが、不可抗力で低温やけどを負わせてしまったらしい。もう、それからは冬までずっと家に引きこもり冬に転校し、今に至る。


「そんな過去が……………………」


「だから、今回もきっと私は冷めちゃう。もうただでさえ体温ないのにね。これ以上冷めちゃったらどうなるのかな私。もしかしたら、死んじゃうかも」


「舞代……………………」


 心配からか、それもと何か別の感情か、もう自分でも分からなかった。所詮は他人事でしかないのに、なぜかとてつもない感情移入をしてしまう。違う、僕はそう言うキャラじゃないって言い聞かせても内心上手く対応できなかった。



「ねぇ、灯君。どうして君は私を助けたの? どうしてあの日私と関わったの? 何で私を追いかけたの? ねぇ、どうして?」



「どうしてって…………心配だったからだよ。あの時の舞代、どう考えても放っておける状態じゃなかっただろ?」



「そういうところだよ、灯君」



 一瞬、舞代に指摘されたことが分からなかった。その内心を見透かしてか、舞代は言葉を続ける。


「心配だったから、困っていそうだから、そんな、たったそれだけの理由で灯君は誰かに手を差し伸べることが出来る人。現に今だって私の前に手を差し伸べてくれてる。もちろん、それは優しくて凄いことだと思う」


 真正面から、そんなことを言われたのは初めてだったので少しだけ表情が熱くなってしまった。ちなみに、保険掛けとくと誰でも助けるわけじゃないからね。舞代個人の意見だからね。


 ただ、浮かれていられたのもまた、一瞬なわけで舞代はすぐに苦い顔で笑った。


「けど、そんな灯君だから私には眩しすぎる。君の手を取ってしまったら、自分のことが余計惨めに思えて仕方ないんだよ」


 直後、僕の中で衝撃のようなものが走った。


 気付けば、僕は舞代から拒絶されることを拒んでいた。普段なら余裕で割り切れるはずのことをなぜか受け止めていた。


 今までの彼女の言動、そして僕自身の言動がフラッシュバックして僕を思考の海へと沈める。

 

 本当に心配だったから、って理由だけで舞代を助けたのか。いや、答えは否。そんなものはただの取り繕った結果でしかない。

 

 僕は誰にでも優しさを振りまく凄い人なのか。否、僕は優しくなんかないし、凄くもない。


 僕は常に手を伸ばす側で、手を伸ばされる側の舞代の気持ちが分からないのか。いや、それも否。僕は、手を伸ばす側なんかじゃない。



 じゃあ、何で舞代一人のためにここまでするんだよ? 


 

「…………分かった」



 数瞬の間をおいて、舞代はその場で溜息を吐いた。その表情はお世辞にも清々しいとは言えず、瞳はまだ濁っている。



 分かったよ、舞代六花という人間のこと。そして、僕がここにいる理由も。



「なら、私のことなんて、忘れて……………………」


 忘れない、この話はまだ終わっていないから。


 過ぎていくのは初めて舞代に出会って、それから仲良くなった時のこと。衝動的ではない、あの時の一言が今だからこそ紡げる。



「やっぱり、僕が君の隣にいるよ!」


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