第7話 席替え




 その日もいつも通り授業は始まり、そして終わる。


 直後の僕たち生徒を待っているのは帰りのホームルームだった。まぁ、定常状態であればあってないようなものである。


「はい、じゃあ今日の連絡は終わりだ。もう帰っていいぞぉー」


 開始から十分も経たずに担任が言う。これで必要な連絡はもう済ませているあたりかなり効率が良いと思う。


 さて、これから僕は帰宅なわけだが、今日も舞代と一緒に帰ろうか。だとしたらちょっと学校から離れて待ち合わせの方が良いかもしれない。


「せんせー、今月まだ席替えしてなくね?」


 帰宅の準備を終わらせて、席を立とうとしたところでクラスメイトの一人が思い出したように言った。


「あ? そうだったっけ? まぁ、いいや…………じゃ、席替えするか」


 基本放任主義であるが、なぜか生徒の要望には結構熱心に答えてくれるんだよな。この担任。


 黒板に白のチョークで升目を描き、一つ一つに番号を振る。教卓の上には人数分の番号が掛かれたくじを入れた箱が置かれていた。


「いつも通り早い者勝ちで並べー」


 やる気なさげに教卓の前に立つ担任。対照的にクラスメイトの半分くらいは騒ぎながら教卓の前に列を作った。ちなみに、葵木と愁斗は席替えを聞きつけたと同時に教卓前へと駆け出して行った。


 今から列に並んでも結構待つだけだろう。


 列から離れた後方あたりに向かう。そこには誰からも囲まれず一人で席に座る舞代の姿があった。



「舞代、並ばなくていいの?」



「うん、何か人が多いから。灯君こそ、並ばなくていいの?」

「僕は別にいいよ。今並んだら結構待たなきゃいけないし、待つのは苦手でね」

「そうなんだ。そう言えば、このクラス、席替えってよくするの?」

「毎月やってるよ。ま、最近は生徒の要望がないとしないけどね」


 と、そんな会話をしている間にもくじ引きを待つ列は空いていく。案外、この辺りがねらい目かもしれない。


「人減ってきたし、そろそろ行こうか?」

「うん」


 その表情は若干の不安と僅かばかりの諦観。何で、そんな顔をするのか今の僕には分からなかった。


 数秒程列に並んでから待っていると、舞代の番が訪れる。彼女はすぐさまくじを引くと、そのまま自分の席に戻っていった。

 それから更に数秒。今度は僕の番だ。案外最後かと思ったが、僕の後ろには逆張りの猛者たちが数名。後から並んだ舞代や僕にも、快く順番を譲ってくれた優しい人々である。


「灯、何番だった?」


 席に戻ると、すぐさま声を掛けてくるのは葵木と愁斗。


「あー、僕は――」


「全員引いたみたいだから各自席に着けー。あと、視力とかで席変えて欲しいものはトラブルないようになぁ。はい、ホームルーム終わり」


 くじを開いて声を出そうとしたタイミングで担任がそう言い残して教室を離脱する。そこからはもう開く間もなく、室内大移動が始まる。


「えーと、僕の番号は…………」


 自分の番号を確認した僕の口からは自然と溜息が出た。何せ真ん中一番前の席だったからな。視力が別段悪くない僕にとってはあまり良い席とは言えない。


 せめて、愁斗か葵木が近くにいてくれたら少しくらい良い捉え方が出来たのだが。それに、


 特別な意識があったわけではないが、僕は舞代の方へ視線を移していた。彼女は既に席の移動を済ませており、廊下側一番端の奥という地味に良い席を確保していた。


「はぁ」


 どうやら、少しだけ期待していた自分がいたみたいだ。でも、所詮は淡い期待。こればかりはどうしようもないし、ここは素直に最前線での戦いを受け入れるしかない。


 不安そうな表情変わりない舞代の隣に座る男子生徒がとてつもなく気まずそうに謝っているのが、目に入る。直視しても仕方ないので、すぐに目を逸らした。



「佐倉、ちょっといいかな」



 直後、突如後ろからの声。驚き交じりで振り返ると、そこには先ほど舞代に謝っていた男子生徒が立っていた。


「何か用?」


 名前くらいは知っているが特に接点はなかったと思うが。彼が話し掛けていた意図が分からない。



「良かったら俺と席交換してくれないか?」



 予想だにしていなかった答えに、僕は多分鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていただろう。それくらいに彼の提案は思いがけないものだった。


「いや、俺さ。結構視力悪くて、後ろだと眼鏡してても怪しいんだよな。あと佐倉の隣さ…………その」


 筋の通った理由の後に、彼は僕の隣の席の女子を見る。その表情はどこか赤みを帯びており、言葉の文脈も踏まえてもう一つの理由についても何となく想像がついた。


「全然オッケーだよ。僕も一番前はちょっと気が引けてたからさ。その、頑張れよ」

「私的な理由ですまん。恩に着るわ」


 ということで、その男子生徒とのトレードが成立したことにより、僕の席は最前線から最後方、それも舞代の隣という僕にとっては思ってもみない席へと化けることとなった。きっと、最前線へ向かっていった彼にも良い結果となったことだろう。



「あれ、灯君?! どうしてこの席に?」



 着席早々、舞代が驚いた声を出す。その表情には先ほどまでの不安や諦観はなく、代わりにいっぱいの驚きが浮かんでいる。


「あぁ、席変わってもらったんだ。彼、目が悪かったみたいで」


 流石に、隣の女子生徒については触れないでおこう。


「目が悪いから席変わりたいとは言ってたけど、相手が灯君だったなんて…………」

「ごめん、嫌だったか?」


 心配になって問うと、舞代は即座に首を横に振って言葉を続けた。

「そんなことない。灯君が隣で私はすごく嬉しいよ…………灯君以外の人が隣だって思ったら不安だったから」


 嬉しいの後、舞代が何かを言った気がしたが、少し聞き取れなかった。僕の名前が出たのは分かったけど、それ以外はよく分からない。


「そう言ってくれると、僕も嬉しいよ」


 普段だったら席替えくらいでこんなに嬉しくなったりしないのに。たかが、ホームルームの一環でしかないこの事象に僕はしっかりと向き合っている。それが不思議でならなかった。


「って、あれ? 灯じゃん。お前、この席だったっけ?」


 なぜか、愁斗の声がしたので顔を上げると、愁斗本人が舞代の前席に座っていた。


「視力の関係でトレードされた。まさか、斜め前が愁斗だとは思わなかったけどな」

「まぁ、それもそれでいいじゃねぇか。また近くの席で嬉しいってことよ!」


 愁斗はそう言うとニンマリ笑って勢いよく着席した。反動で何度か椅子がグラついたが、大丈夫だろうか。若干心配になる。

 ただ、愁斗の斜め前以上に驚いたのはこの後。僕の前席に座る生徒が現れた時。


「やっほ、灯! また近くの席だね! 舞代さんもよろしく、私クラスメイトの葵木七科、よろしくね!」


 葵木、何と明るく活気なことか。未だにこの太陽のように明るい行動を見ると、何で僕と仲良くしているのか分からなくなる時がある。


「あっ、俺は柴山愁斗ね。舞代さんよろしく!」


 続いて、愁斗も舞代に自己紹介。積極性はかなりあるけど、押しが強くないのは二人の長所だろう。


「あの、私は…………」


 ただ、それでも舞代の不安が完全に拭えたわけではなさそうだ。昨日の今日であるから仕方がないと言えば仕方がないのだが。


「大丈夫! 別に昨日のことなんて私も愁斗も気にしてないんだから」


 何か言いたそうな様子の舞代に対して正面からそう言い放つのは葵木。所謂陽キャラオーラという奴だろう。不機嫌じゃないときの彼女はそれはもう圧倒的に眩しくて、悪意がない。


「それは、当事者じゃないからであって…………」

「当事者だったとして、私が舞代さんを嫌悪するタイプに見える?」


 葵木、そこで逆質問はそれこそ逆効果だぞ。


 そう思いながら舞代の方を見ると案の定、懐疑的な視線で葵木の方を見ていた。これは恐らく信じていないパターンだ。


「うわぁあぁああ、見えるんだ。それはちょっとショックかも」


 悔しそうに葵木。このままではせっかく協力してくれるというのに、最初の一歩が踏み出せなくなってしまう。


「そんなに疑うことないと思うぞ、舞代。僕はこの二人のこと良く知ってるからさ。少なくとも、舞代を傷付けるようなことをする奴らじゃないよ」


 これでも入学当初から今日までクラスの中でも一、二を争うくらいにはこの二人と接している。流石に、こういう時に信頼を向けていいかくらいは分かるさ。


「本当に?」

「もちのろん」

「灯君が言うなら…………うん!」


 僕の説得が効いたのか、舞代は表情を引き締めてその場で頷いた。その顔に懐疑心の三文字はもうない。


「二人とも疑ってごめんなさい」

「全然大丈夫! 気にしてないから」

「私も気にしてないよ」


 何となく、葵木や愁斗と初めて知り合って仲良くなった時のことを思い出した。あの時も、席が近くて……………………いや、今はこれ以上必要ないか。


「えっと、改めまして。舞代六花です。葵木さん、柴山君これからよろしくね」


 他のクラスメイトには見せない舞代の笑顔。これを見たのは昨日ぶりだな。相変わらず、可愛さが凄い。


「うん、こちらこそよろしくね舞代さん!」

「こりゃあ、今日は放課後遊びに出るしかないな!」

「遊びに出るの、久しぶりだな」

「私も!」


 空を舞う雪は昨日よりも緩やかに、そして優しく、校舎の外を包み込んでいた。


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