第26話 リスタート
ゆっくりと目を開ける。
「………………………………はぁ」
アラームをかけ忘れていたからか、置時計が差した時刻はいつもよりも一時間ちょっと遅れていた。
『明日、五時にこの駅で待ってるから』
昨日、別れ際に舞代が放った言葉が忘れられない。まさか、僕のことを追い掛けて来ていたというだけでも驚きなのに、さらに次の約束を決めてくるとは。
「取り敢えず…………朝ごはん食べよ」
布団を畳み、カーテンを開ける。実を言えば、あまり空腹感はないが、かと言って何も食べなくてもいい程食欲不振でもなかった。
恐らく、母さんは休日なのでまだ寝ているだろう。苺は多分、そろそろ受験本番だからあまり関わらない方が良い。父さんは休日引きこもりだから正直あまり気にしなくていい。
案の定、一階に降りると誰もいなかった。ちなみに、今日の朝食は食パン一枚と野菜ジュースオンリーである。
「……………………美味しい」
どうしてか、気持ちはズタボロだというのに味覚は冴えていた。何ならいつもよりもご飯が美味しく感じるくらいである。
多分、また逃げようとしているのだろう。
考えなくて済むから、こうして食物を咀嚼して、飲み込んでいる間は。それ以外のことがなかったことのように気にならなくなってくるから。
トースト一枚はあっという間に食べ終えて、野菜ジュースを飲み干した。
「ふぅ…………」
さて、これから何をしようか。
僅かばかりの抵抗を振り払ってスマホを開くと、そこには通知が二件。
一つは葵木だった。が、中身は昨日のことではなく、ただの新作ゲームのお誘い。ちなみに、大晦日、ゲーセンで会って以来、度々似たようなメッセージは送られてきている。
「っ……………………」
そして、もう一つ。こちらは完全に僕が予想した通りの人物からだった。
舞代
『私、待ってるから』
昨日のことでまず間違いないだろう。
断るなら今のうちである、と内心が呟く。もちろん、断ることは出来る。たった一文、「僕は行かない」そう打ち込むだけなのだから。
『灯君の嘘つき』
今度こそ、その言葉と後の展開が現実になってしまいそうな予感。それが掠めた背中には凍るような寒気。お腹が痛くなってきて、胸がモヤモヤとしてくる。焦燥感から不快感を催して身体が震えた。
「…………駄目だ」
分からない、舞代がどうしてそんなことを言ったのか、どうして僕なんかを気に掛けてくれるのか。それでも、ここで約束を破れば悲しむのは舞代だ。舞代が悲しむ表情はとてもじゃないけど見てはいられない。
「どこまでも僕って奴は……………………」
『必ず行くから』
気付けば、僕はスワイプ入力でそう返信していた。
ゆっくりと時間が流れて迎えた時刻は五時前。
僕は駅へと続く細道を歩いていた。基本、ここを通るときは滅茶苦茶走っているが、今日は真逆である。無論、時間的な問題もあるが、それ以上に走って駅前に行く気分にはなれなかったというのが大きいだろう。
走った方が何も考えなくて気楽だろうに、そんな考えは頭になかったようだ。
「待ってたよ、灯君」
寂れた駅舎の前、立っていたのは舞代だった。しかも、前回会った時とは異なり、今日の私服はかなり学校寄り。否、ダッフルコートを羽織っているからそう見えるだけかもしれない。
「ごめん……………………待たせた」
どれほどの時間をこの寒い中で待っていてくれたのかは分からないが、とにかく僕は舞代に謝った。一応まだ、集合時間よりは早いはずだが。
「ううん、灯君が今日来てくれただけでも私は嬉しいよ」
「まぁ…………それは行くよ。折角誘ってくれたから」
「…………ありがとっ!」
そう言って舞代はニコッと笑うと、見るからに暖かそうな手袋越しに僕の手を取った。いくら体温がないとはいえ、流石に手袋越しではその冷気は感じ取れない。
「ちょっ?! 何を?!」
「そろそろ電車が来るよ!」
「えっ…………っておい?!」
僕の解答を待たずして、舞代は駅舎に入り、二人分の切符を買うと停車していた電車に乗り込んだ。
「ちょっ、どこ行くんだよ?!」
「着いてからの秘密だよっ!」
ニコニコと楽しそうに笑う舞代を横目に僕は多分、心ここにあらずとでも言いたげな顔をしていたことだろう。
考える暇もないまま電車に揺らされることおよそ三駅。
時間にして一時間ないかと言ったところで舞代に手を引っ張られる形で僕は電車お降りた。まだ時刻にしてみれば六時前だが、辺りはもう既に夜の色が濃くなっている。
「灯君、お腹空いてる?」
改札を通り抜けて、駅前の繁華街を歩いていると舞代がそんなことを訊いてきた。ちなみに彼女の指差す方向には一軒のファミリーレストランがある。
「ちょっと早いけど、ご飯にしない?」
断っても行く当てがないので、僕は首を縦に振った。
ローカル店でもない店舗の聞き慣れた入店BGM。時間帯もあってか、客はそんなに多くなくて、すんなり席に着ける。
「私、ファミレスって凄い久しぶりなんだ。うーん、何を頼もうかなぁ? あっ、灯君はどうする?」
「じゃあ、ドリンクバーとポテトで…………」
「オッケー。私も決まったから注文するね」
言葉通り、舞代は席に置かれた呼び鈴を鳴らし、店員を呼び僕の分も合わせて二人分のメニューを注文した。
「…………注文とか苦手かと思ってた」
店員が去って行ったあと、僕は思ったことを口に出した。多分、僕の中で孤独だった過去もあるからそう言うのは苦手というイメージがあったのだ。
「昔は苦手だったけど、今は大丈夫だよ。それより、飲み物注ぎに行こ?」
水族館の時もそうだったが、この光景多分傍から見たらデートのように見えるんだろうな。否、僕自身も少なからずデートをしているような気分でいるのだろう。少しだけ気が落ち着かない。
「お待たせ致しましたっ」
飲み物を口に含みながら、舞代と話してしばらく。両手に料理を抱えた店員さんがやってきて、どこか羨ましそうな表情で僕たちの席に料理とレシートを置いて行った。
「わぁー、美味しそうだね!」
「そうだね」
相槌を打つことしかできないまま、僕はポテトを摘まんだ。ケチャップソースと塩味が相性抜群とでも言うべきか、かなり美味しい。
「ねねっ、灯君」
「何?」
「灯君のポテトっ、私にも頂戴」
その発言に一瞬心臓がドクンと跳ね上がり、僕は言葉が出せなかった。もちろん、舞代に他意はないのだろうが、やはり物は言いようである。
「…………どぞ」
「ありがとう!」
数秒のタイムラグを経て、僕は舞代にポテトを皿ごと渡した。先程のことはあまり考えないことにしよう。
「ここのご飯、めちゃくちゃ美味しいねっ」
ポテトを頬張りながら、舞代は上機嫌な様子で感想を述べる。無論、そこに嘘はなく、純粋に舞代な久々のファミレスを楽しんでいた。
「私、ジュース混ぜてくるね」
ご飯を一通り食べると、舞代はそう言って、ドリンクを注ぎに行く。まるで無邪気な子供のような一面に、僕は申し訳なくなってしまった。
「なぁ、舞代」
「ん、何? 灯君」
時間は夜を完全に回って午後七時。この時間にもなってくると、駅前や繁華街は人通りが本調子になってくるというものだ。
「まだどこか行くのか? ファミレスでご飯食べるだけじゃないんだろ?」
「それはもちろんだよ……………………よし、そろそろ行こっか」
一瞬だけスマホを開くと、舞代は再び手袋越しに僕の手を握りその場から歩き出した。繁華街から駅前に向かう。
「ねぇ、灯君…………」
足を止めたそこは、僕たち駅前の広場だった。人通りは一定数あるが、真っ暗で、賑わっているとは言い難く、特に何かがあるわけでもない、繁華街とはえらい違いである。
これから彼女が何を言おうとしているのか、何となく僕には分かった。
「私に、話してくれない? 灯君の気持ち」
先ほどまでの純粋な笑みはもうそこにはなかった。代わりに、僕の手を握ったまま、舞代は真剣な表情で問う。
「…………それは」
言うべきか、言わないべきか。僕の心は二分化されてしまっている。仮に前者でも後者でも、言葉は紡がれているのに、それは今なお喉元を通らない。
「話して、欲しいの」
気付けば、僕は言えない理由を探していた。
どうして、言えない。理由なんてただの見栄でしかない。舞代は昨日からずっと僕のことを心配してくれているのに、僕のことを大切だって言ってくれているのに。
言わないことが、自分のエゴなんじゃないか。
思えば、結論は最初から出ていた。『傍にいる』そう宣言したはずの僕が、舞代を突き放してどうするっていうんだよ。
「分かった…………舞代」
重かった唇をこじ開けて、僕は今度こそ、内側に潜んだ靄を外に吐き出した。たった一言、ストレートな思いと共に。
「僕は…………自信がないんだ」
君のために頑張りたい。そう宣言したその時から今まで頑張ったという自信が僕にはなくて、疑心暗鬼な心の声に苛まれてしまった。口に出したことで少しだけ気が楽になったのかか、言葉にしてみれば案外、短いものであることに気付く。
「自信?」
「うん、考えてみたら今日まで舞代のために僕は何を頑張っていたのかなって…………」
何も頑張っていない。その事実を舞代から突き付けられる不安が背筋を掠める。
「それって私の傍にいる自信がないってこと?」
怒るわけでも、諭すわけでもなく舞代は少し声のトーンを低くして訊いてきた。いつもは分かりやすい彼女の表情が今は読めない。
昨日の時点では迷いを含んでいたであろう内心がそれは違う、と叫ぶ。もう一つの冷たい声は響いてこない辺り、これは間違いなく僕の本心だった。
「違うよ。ただ…………このままでいたら、いつか舞代に突き放されるんじゃないかって、不安なんだ」
「灯君は、突き放されたくないの?」
舞代は表情を変えることなく、続けて問う。温かくも冷たくもない、そんな声調が今はどこか心地良くて、言葉はすんなり喉元を通り越してくれた。
「できればね。舞代の傍にいるって言っておきながら、ごめん」
言葉の通りだった。僕は、多分舞代に依存している。舞代がいるから頑張る、そうやって彼女を理由にして動いているだけ。もう、認めることに対する抵抗感はなかった。
「そっか……………………嬉しいな」
ここで、初めて舞代は真剣な表情の中に僅かな笑みを見せた。熱がないその頬は色こそ変わっていないが、どこか恥ずかしそうな様子が伝わってくる。
「何で………………………………そう思うんだ?」
でも、その姿が今の僕には辛かった。
「僕は、ただ舞代を踏み出す理由にしてただけなのに。何でそう思うんだよ! 君に依存して、何一つ頑張れていないのに!」
気付けば、僕は声を荒げてそう言っていた。この激情を心に留める手段を今の僕は知らなかったのだ。
なんとなくだけど多くの視線を感じる。恐らく、驚きの感情がないのはこの場でたった二人だけ。荒ぶる思いを叫んだ僕と、そしてそれを受けた舞代だけである。
「そんなこと…………思ってたんだね」
相変わらず、声のトーンは一切変わらない舞代。失望しただろうか、それとも激怒しただろうか。どちらにしても良い思いをしていないのは分かった。
「じゃあ、止めちゃおうか。こんな関係」
分かっていた。けど、思わず言葉を失ってしまった。圧倒的なまでに相手を突き放すその一言には素手の舞代に触れた時以上の痛みがあった。
「…………えっ?」
『灯君…………………………………要らない』
脳裏をちらつく、その言葉がどんどんその大きさを増す。冷たくて、辛くて、苦しい。
こんなところで、終わりなのか。結末が受け入れられず、自問自答。だが、考えてみればこれは自分で蒔いた種である。
絶望までとはいかなくとも、抗うことを忘れ、打ちひしがれた心で、僕は次なる舞代の言葉を待った。
きっと寂しいよな、これから。
そう思ったところで、舞代は確かにその表情を笑顔に変えた。その意味が、呆然と立ち尽くす僕には分からなくて………………………
「灯君を苦しめるような関係、私は要らない!」
再び放たれた、予想外の言葉。聞き間違いを疑うが、この雰囲気は多分そういう展開じゃない。
微かにその澄んだ瞳を潤ませて、舞代は言葉を続けた。
「私ね、今、すごく楽しいんだ。普通に学校に行けて、七科ちゃんや愁斗君のような友達がいて、クラスの輪にも入れて、抵抗があった子とも打ち解けて…………これは全部、灯君のおかげだよ」
舞代が一歩、また一歩と僕の方へと近付いてくる。僕を捉えたその瞳は瞬きを知らず、その笑顔は僕の抵抗と負の感情を消していく。
「頑張ってない? そんなわけない。灯君は凄く頑張ってくれてる。いつも私の傍にいてくれて、私を孤独の世界から救い出してくれた。頑張らなくてこんなこと、出来ると思う? 出来ないよ。今の私は灯君の頑張りのおかげでここにいるんだよ?」
諭すわけでもなく、まるで本当にそんな事実があるかのように述べる舞代。
「でも、灯君は、優しいから。多分、このまま自分を責めると思う。だから敢えて言うね」
宣言するように、瞬きほどの時間をおいて、舞代は言葉を声に変える。
「私はもう大丈夫!」
もう、言葉が出なかった。本当は今にもここで泣いてしまいたいけど、せめてもの理性がその本能を抑えつけて、舞代を視界の中心に置く。
「だから、理由付けとかそう言うの無しにしてまた私と一緒にいてくれませんか?」
夜には似合わないような爽やかな笑顔を見せて、舞代は僕に手を差し出した。直後、どういうことだろうか、僕たちの周囲が一斉に光り輝き、真っ暗だった駅前の広場は幻想的な光の空間へと変貌した。
「…………これは、一体?」
「イルミネーションだよ。ここの広場、毎年この時期は七時半を回ると、イルミネーションが点灯するの」
「そっか…………綺麗だなぁ」
「…………灯君、その…………返事、聞かせて?」
虹よりも色彩豊かな光がなす景色に思わず目を奪われてしまっていると、舞代が身体をもじもじさせながら上目遣いで僕に言ってきた。
「あっ、そうだった…………」
僕は一度目を閉じて刹那の時を思考に費やす。もう答えは決まっているけど、それでも会話がしたかった。そう、もう一人の冷たい僕と。
『理由付けで一緒にいるって決めたのに、それを無くしていいのか?』
もういいんだ。その時はその時、今は今だから。
『今の彼女は理由だけじゃないのか?』
気付いたんだ。頑張りたい理由とか、依存とかそう言うのだけで過ごしてただけじゃないって。今だけじゃなくて、あの日から、多分僕に取って舞代は理由だけの存在じゃなくなったんだと思う。
『怖くないのか? いつか突き放される時が来るかもしれないぞ』
流石にそれはまだちょっと怖いかな。でも、先のことなんて今分かりたくても分からないから。
『もういいや』
じゃあ、僕ももういい。
『好きなのか? 舞代のこと』
それは……………………冗談抜きで分からない。
『あっそ』
「駄目…………かな?」
思考を終えて、僕は顔を上げる。どうやら数秒のつもりが数十秒ほどこの状態のままだったらしく、舞代はとてつもなく不安そうな表情で再びそう訊ねてきた。
「あぁ、ごめんちょっと考え事してて…………ほんとごめん」
一度深く頭を下げて、そして今度こそ、僕は顔を上げて舞代に向き直る。
「今、答えていいかな?」
舞代の頷きを確認してから、僕は今できるめいいっぱいの笑顔でその声を出した。
「うん!」
「僕は、舞代の隣にいたい。だから、」
もう一度紡ぎたいのだ――――――この言葉を。
「これからもよろしくな、舞代!」
幻想的な光の中心で、僕と舞代は今までの関係のゴールテープと、そして、新たなる関係性のスタートを切った。
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