第25話 分からない、苦しい
『舞代六花さん、僕は君のために頑張りたい』
思い出すのは、つい一か月ほど前のことだった。
芝野先輩の告白、そして土河未希の乱入により過去のトラウマが再発してしまった舞代。この言葉はそんな彼女に向けて放った僕の本心だった。
それは間違いない、はず、なんだけど。
正直、あれから僕は何か舞代のために頑張ったか?
『灯君の嘘つき』
舞代が冷たい瞳で僕を見ている。それは今まで僕が受けたことのない感情を剝き出しにしているようで、恐怖よりも激しい喪失感が僕の身体中を駆け巡る。
何だか、ヌルっとした嫌な予感がした。
『灯君…………要らない』
駄目だ、その一言は。
足元から崩れるようにしてその場に倒れこむ。否、足元だけじゃない、心から身体まで身体中の至るところが崩れていく。
行かないでほしい。その手を離さないでほしい。思えば思うほど身体中にひびが入って砂人形のようにサラサラと風に舞う。
『やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
その最後を見ることなく、舞代の姿は消えていった。
「うわぁぁああぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁああああああああああああ!」
反射的にそう叫ぶ。が、周囲には誰もおらずただベッドに横たわる自分と殺風景な自室だけがここに存在していたことで僕は先ほどの光景が夢であると気付いた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………………………………何だよ、ただの夢じゃないか」
時計を見ると、時刻は七時三十分。学校がある金曜日にしては少しだけ遅めの時間だ。
「…………はぁ」
夢の内容、正直言ってかなり自分でも引きずるものだと思う。
だってもう一人の僕が言っていることの半分は本当だから。
あの時、確かに僕は舞代のために頑張りたいと思ったかもしれない。けど、現状、僕は舞代のために何を頑張っただろうか。否、はっきり言おう、僕は何もしてはいない。
自分でそう思いながら、めちゃくちゃ傷付いた。
だって、そうだろ。「君のために頑張りたい!」って一世一代の告白みたいなことを言って一か月が経とうとしているのに、まだ何の成果も上げられてはいないのだ。詐欺師と言われても否定できないな、これは。
義務感を差し引いても、僕の中の嫌気はなお、増幅の一途を辿っている。
「舞代………………………………」
名前を呼ぶけど、流石に誰の返事もない。多分そこまで声量も出ていないので隣で勉強している苺にも届いていないだろう。我ながら薄弱な声である。
『灯君っ!』
舞代の声を思い出す。優しさの中に麗しさと健気さ、そして最近は元気も含まれた綺麗な声。
確かに、僕は声だけでなく、意思も薄弱で主体性も行動力もない。
けど、それでも。
「はぁ………………………………学校行くか」
悪夢か、あるいは予知夢か。もはや、僕一人ではどうすることもできない選択肢を抱えたまま、僕は家を出ることにした。
「あっ、灯君おはよ」
当然ながら、駅に着くとそこには舞代がいた。けど、朝の夢のせいか、いつもは合わせられるはずの目が合わせられない。
「…………おはよ」
後ろめたさから少しだけ低い声色でそう答える。ただ、僕でも少しくらいしか感じない差を舞代が感じ取れる訳はない。電車に乗って、何駅か先の学校まで雑談して、駅に着いたら、葵木がいて、三人で雪降る通学路を歩いて、学校に行く。
こうしてそのままいつも通りの日常が流れていく。
安定しない気持ちは孤独であることの毒に侵されて、とてつもなく気持ち悪い。本当はこうしている間にも、舞代のために頑張れることを探しすべきなのだろう。
今から行動しても遅いかもしれない。それでも、僕は空っぽに近い頭で思考する。
彼女のために何が出来るだろうか。
そもそもその考えが恩着せがましいというか、はっきり言って迷惑なのではないだろうか。
僕はどうすればいい。そもそも舞代は僕を求めているのか。
求められていないから頑張らない。それじゃ今までと何も変わらないだろ。僕が望んだ結果はそんなものじゃないはずだ。
そんなの所詮自分のエゴだろ。
「おはよー、灯っ! それに舞代さんも」
舞代と二人、特に何か話すこともなく教室に入ると早々に愁斗が僕たちを迎える。果たして、僕はうまく笑えているだろうか。
「愁斗君おはよう」
「おはよ…………」
「おいおい、折角の金曜日なのに灯ぃ。お前なんか憂鬱な月曜日に悪夢でも見たような顔してるぜ」
能天気に愁斗が笑う。正直って当たってるよ、それ。例えはかなりユニークだけど感覚としてはかなり近い。
「あっ、灯っ!」
席に着いてぼーっとしていると、後方からそんな声がした。葵木の声にも似ているが、なぜか裏返ったような声をしていたので、気になって振り返る。
「あぁ…………葵木か」
その先には少しだけ緊張した面持ちの葵木が立っていた。葵木って、声裏返ってるとあんな感じなんだぁ。という些細な気付きは放棄しようか。
「どうした?」
一向に口を開こうとしない葵木に僕の方から用件を訊ねる。もしかしたら、呼んだだけかもしれないけど。
「…………そのっ、おはよ!」
どうやら、本当に呼んだだけだったらしい。葵木はそれだけ言うと、足早に自分の席へと戻って行った。
「…………どゆこと?」
思わず、疑問が喉元を通り越す。けど、この瞬間だけは今朝の悪夢のこと、舞代のこと、深く考えることなく、過ごせた。
この日の授業は正直言って今までで一番ボロボロだった。普段は多くて二教科分の内容が飛んでしまうところ、今日は全教科の学習事項が頭から飛んでしまっている。
「はぁ…………帰ろ」
キーンコーンと放課後を告げる電子音が学校全体に響き渡ると同時に、僕は荷物片手に席を立った。
「あれ? 灯、もう帰るのか?」
「あー、ちょっと寝不足で…………帰って寝るわ」
教室を出る直前、声を掛けられたが適当な嘘を紡いで誤魔化す。今は愁斗の無邪気な笑顔が何だか、棘のように思えてしまった。
「そうかー」
残念そうに愁斗。
「悪いな、遊びに行くとかだったら今度埋め合わせるからさ。今日はごめん」
「マジで?! じゃあ今度一緒に登ろうぜっ!」
なるべく目を逸らさないように偽物で不格好な笑顔を作ると、納得したのか愁斗は教室の方へと戻って行った。
「…………ふぅ」
安堵…………ではないか。疲労感にも近い何かがどっと身体にのしかかる。これは冗談抜きで早めに帰った方が良いかもしれない。
思えば、こうやって一人で帰るのも久しぶりだ。舞代が転校してからはいつも舞代と一緒に帰っていたし、途中までは葵木もいたから。
「馬鹿だなぁ…………僕は」
本当に馬鹿だ。自分の言ったことに自信が持てなくなって逃げ出したはいいけど、孤独になれば他人が恋しくなる。考えているようで、考えていない。考えたと思っているだけの自己満足だ。
もしかしたら、僕は放棄してしまっているのかもしれない。向き合うことを。
歩いているのに、歩いている感じがしない。どこか上の空ばかりが目に入って、周りの景色を見渡しているだけの余裕がない。
『そんなの所詮、自分のエゴだろ』
あの時、聞こえた僕の声が再び想起される。
自分で言っておいて何だが、結構傷付く言い方をするものだ。まるで、自分のエゴで舞代にあの時を手を差し伸べたのだと、そう言われているような気分になる。
いや、内心からそんな言葉が出る時点で少なからずあの時の僕には疑念が湧いていたのかもしれないな。
気付けば、もう既に僕は電車に乗って、そして最寄り駅で降りていた。あまり考えなくても身体は覚えているのだろうな。降りた先は間違いなく僕の最寄り駅。
本当はこのまま帰っても良かった。けれども、沈んだ気持ちは歩きだしよりベンチに座ることを求めていて、そこに抗う気持ちは今の僕にない。
「何が、頑張りたいだよ……………………」
俯いてしまえば、自分の足元しか見えない。もし、心に目があるとすれば、今それが向くのは今朝の夢だろう。どちらにしても真っ暗だ。
『灯君の嘘つき』
朝、感情的になって拒絶してしまったその言葉。でも、考えれば考えるほどそれを拒絶出来る自信がなくなってくる。
「頑張れてないよ、僕は」
駄目だな、僕は。
「灯君っ!」
聞き覚えのある声に、僕はその顔を上げた。
誰もいない、寂れかけた駅のプラットホームに一人、彼女は立っていた。
「何で……………………舞代」
この気持ちに中心にいた舞代が、そこにいた。
「一緒に帰ろうと思って教室見たらいなかったから、急いで追い掛けてきちゃった」
ニコニコ笑いながら答えると、舞代は僕の隣に腰を掛ける。お互いの息遣いが聞こえるくらいには距離が近い。
「何で…………そんなわざわざ」
「だって灯君、とても苦しそうだったから」
何で、そんなこと舞代に分かるんだよ。
「分かるよ、灯君のこといつも隣で見てるから」
僕の質問を先読みして、舞代は真面目な表情でそう答えた。正直文面だけだとかなり怖い。
「ねぇ、聞かせて。灯君がそんなに苦しそうな顔をしてる理由。私が出来ることなら、何でもするから」
「…………舞代には関係ない」
言葉選びをすっ飛ばして、僕はそう言った。多分、完全に悟ってほしくなかったんだと思う。ただ、それだけのことだ。
「…………関係あるよ」
それは、酷く冷たい色を持った激しく燃える炎のような声だった。
「私は、灯君の傍にいるから!」
理由になっていないかもしれない。けど、その言葉は僕の心の靄を射抜くには十分な力と思いを持っていた。抵抗とか、建前とか、そんな心のストッパーが外れて、濁りかけの本心が露わになる。
「何で、だよ」
「えっ?」
どうして、舞代はこんなにも真っ直ぐな瞳でそんなことを言うんだろう。こんなにも息を荒くして、それでも僕を追い掛けてきて、無人の駅とはいえこんな大声で。
「何で、僕みたいな嘘つきの傍にいるなんて言うんだよ…………」
今にも消え入りそうな声をしていた自覚がある。もうそれこそ、泣きたいほどにきついのに、心と体はミスマッチして望んだ行動を起こしてはくれない。
「そんなの、灯君が大切だからに決まってるよっ!」
そんな僕とは対照的に、舞代は本心を感情のままにぶつけてくる。その瞳にはいっぱいの涙が溜まっており、もう今にも溢れてしまいそうである。
でも、そんなことは些細ですらないとでも言わんばかりに、舞代は言葉を続けた。
「灯君は、確かに嘘つきだよ。大丈夫って言ってるのに、大丈夫じゃないし、今日みたいに一人で勝手に帰っちゃうし…………私の傍にいるって言ったくせに時々離れて行っちゃうし……………………」
ついに、溢れ出す本心に呼応して透明な涙が柔らかな白肌を伝って雪色の地面に落ちた。
「でも、それでも灯君は、灯君だから! 真っ暗だった私に手を差し伸べてくれた大切な人だから!」
『灯君の嘘つき』
永久凍土よりも凍り付いた絶対的な氷が瞬間的に溶けていく。舞代は本気だった。後ろめたさは愚か、嘘だって一つもない。
「そんなこと………………………………」
どうしていいか分からなくなって、僕は再び顔を俯かせた。舞代のことが直視出来ない。否、本能がそれを避けていた。今、これ以上心を乱されたら、その先がどうなるか分からなかったから。
「……………………灯君」
何を思ったのか、舞代はその場に立ち上がり、僕と、向かい合う形でベンチの前に身体を向けた。
「……………………」
反応出来なかった。心がごちゃごちゃにかき混ぜられて、理性だけでは整理も付かなくて。思考を停止することしか出来なかった。
「明日、五時にこの駅で待ってるから」
たった一言、そう言い残して舞代は駅を去って行った。さっきまでは帰る様子なんて一つも見せなかったのにな。
僕はその背中どころか、足跡さえも見送ることは出来なかった。
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