第35話 舞代と二人(前編)
「えっ…………と」
葵木とのお出掛けの帰り。一人揺られる電車の中で僕は困惑の真っ只中にあった。
帰り際、葵木からの至近距離での囁き、そして今、舞代からの映画館デートのお誘い。
「……………………」
いや、まだ映画館デートと考えるのは早いかもしれない。もしかしたら、前のイルミネーションみたいに僕が苦しそうに見えたからということかもしれないし、単純に映画館が初めての可能性もある。それに、葵木のあれだって、いたずらの可能性も十二分に考えられるではないか。だとしたら、わざわざ僕が困惑してしまってどうする。
「とはいえ、早く返信しないとまずいよな」
数十秒の思考が終わり、そんな結論に辿り着いた。
行くか、行かないか。極論を言えば答えはこの二つしかない。否、極論でなくともこの二つしか答えはないだろう。あとは取って付けた飾りみたいなものである。
「……………………どうする」
一度冷静になって考えてみようか。今日の時点で僕は葵木とお出掛けに行っている。仮に本人にその気がなかったとしても舞代に知られると、完全にデートだと思われるだろう。もし明日そういう状況に陥ったとき、僕が舞代と映画館にいるとしたらどうなるか。気まずいどころか、節操がない人という誤解から生まれたレッテルを貼られることになる。
とはいえ、これはリスクの話。
本心を言えばそう、
めっちゃ行きたい。
だって、舞代と映画だよ。今までもそうだけど、舞代と遊ぶのは凄く楽しいのだ。しかも今回は映画、魅力的であること間違いない。それに、舞代は僕と行こうって言ってくれてるんだ。
珍しく、今回は即決できた。
「よし……………………」
気合を入れて、携帯の画面をフリック。舞代に向けて一緒に行きたいという旨のメッセージを送る。
舞代
『やった! じゃあ、明日の九時に駅前で良いかな?』
相変わらずの既読の速さと早めの集合時間に若干驚きながらも僕はオッケーの絵文字を送る。
舞代
『じゃあ、明日楽しみにしてるね!』
舞代、最初に比べてから凄く積極的になったよな。
転校したばかりの頃と逆転しかけている自分たちの立場を考えながら、僕はやはり雪色の電車に揺られていた。
翌日。
今日は晴れ、日当たり良好、ほぼ無風。昨日の雪と寒さは一体どこへやら、と言ったところである。
「あっ、灯君。おはよー!」
無事に寝坊することなく朝を迎えたことに安堵しつつ、最寄り駅に着く。何となく予想は付いていたが、そこにはもうすでにニコニコしながら手を振る舞代の姿があった。
「おはよう舞代。それと、ごめん。もしかして待った?」
「ううん、私も今さっき来たところだから大丈夫だよっ!」
今更ながら、過去、五回くらいこうして舞代と待ち合わせているわけだが、舞代より早く僕が到着したことがないことに気付く。
実は結構早めにスタンバってないか、舞代。
「そっか」
「うん! 気にしないで!」
「分かった!」
相変わらず、華憐で可愛らしい笑顔を見せてくる舞代。僕もまた、相変わらずそこに心がドキドキと音を立てそうになる。
「灯君、どうかした?」
「えっ?! いや何もないよ」
「ふーん…………って、もう電車来ちゃうね。一緒に行こっ!」
そう言って、舞代は手袋越しに僕の手を握り、駅舎の中へと連れ込む。慣れた手つきで素早く切符を購入し、プラットホームに出ると、ナイスタイミング。雪の白でなく本来の色を取り戻した電車が僕たちの目の前に流れ込んできた。
「そう言えば、今日ってどこで何の映画を見るんだ?」
外の天候に関係なくガタゴト揺れる電車の中、僕の第一声は昨夜舞代に訊きそびれた疑問である。
「あっ、ごめん。言うの忘れてた。えっと、行くのは十駅くらい先のショッピングモールで、見るのはこの映画だよ」
十駅くらい先のショッピングモールはさておき、舞代が見せてきたのはスマホの画像。よく見なくても分かったが、そこに映るのは去年くらいに僕がはまっていたアニメである。
「あれ、この作品って映画化来てたんだ…………」
「灯君、このアニメ知ってるの?!」
「えっ、まぁ去年よく見てたから覚えてるよ」
記憶に残っている事実を応えただけなのだが、驚くくらいに舞代の食い付きが良い。
まさか、とは思ったよ。
「ほんとに?! 良かったぁ。灯君が知っててくれて。私普段は映画館とか行かないんだけど、この作品の映画はどうしても見たくて…………でも、一人じゃ心細いから誰か知ってそうな人を誘おうとしたんだ。やっぱり灯君を信じて良かったよ」
「あはは…………………そう言ってもらえると嬉しいな!」
ここで僕を誘った理由がはっきりとしたのはまぁ良いとして、舞代のトークは止まることを知らなかった。
「そう言えば、灯君は誰推し? っていうかアニメも原作も読んでたりするのかな?」
ここまでフレンドリーで優しくて、仲が良かったかはよく覚えていないが、中学時代にも似たようなシュチュエーションに遭遇したことがある。
だからかな、僕には分かるのだ。
この滑舌を一切気にしない早口、見て取れるほどの感情の高鳴り、そしてこの圧倒的距離感。
今の舞代のテンションは好きなアニメの話で盛り上がったときのアニメオタクのそれである。
「えっと……………………」
一度、情報を確認しよう。
現在、舞代との話題に上がっているアニメだが、原作は恋愛漫画。異能の力を宿したヒロインと無能力の主人公との恋模様を描いた作品だったか。ヒロインが四人いて、主人公が優柔不断だから最後まで誰が選ばれるか分からないっていうのが持ち味で、アニメ化まで行き着いている人気作品である。
まぁ、僕も知識としてこれだけ知っている時点でこの分野に関してはどちらかと言えば、舞代サイドかもしれないな。
「雪ちゃんか、ナナちゃんかな」
取り敢えず、特に取り繕うことなく、僕の好きなキャラクター二名を選出する。
ちなみに、「雪ちゃん」とはこの作品で言うところのメインヒロインであり、所謂、勝ちヒロインのキャラクターで、物静かな心に秘めた激情が特徴の子。
一方で「ナナちゃん」は普段から主人公とのかかわりが深い幼馴染枠で、フレンドリーの奥に隠された主人公への好意が魅力的なキャラクターである。
「なるほど、雪ちゃんとナナちゃんか。うん、うん。分かる気がするよ!」
「ちなみに舞代は誰推しなんだ?」
「私?! 私はナナちゃんだよ! 幼馴染だから誰よりも主人公のことを思っているけど、素直になれなくてクヨクヨしちゃうところとか、なんだかとっても可愛いと思うんだ!」
「分かっる! その気持ち凄く分かるよ! やっぱそこがナナちゃんの魅力だよなぁ」
って、あれ? アニメの話ってめちゃくちゃ面白くないか。つい、ノリノリでリアクションしちゃったんだが。
「そうなんだよねぇ! 灯君、分かってるね!」
休日朝ということでほとんどだれもいない電車内でそんな熱弁を交わす僕と舞代。最初は互いに推しキャラの話をしていたが、時間と共にそれはストーリーや別アニメの話題へと発展。当然の如く、目的地の駅に到着するまでの間僕と舞代の会話が途切れることは一秒たりともなかった。
「十駅くらいあったから長いかなって思ったんだけど、あっという間だったね」
「まぁ、めちゃくちゃ盛り上がったしな」
「灯君と楽しくお話しできて、私凄く嬉しいよ!」
素直に喜んでくれる舞代に、僕もどこかテンションが上がってしまう。ちなみに、まだ映画どころか、ショッピングモールにも入っていなければ上映までかなりの時間がある。
「僕も舞代とアニメの話するのめっちゃ楽しかったよ。ありがとね」
「あっ…………うん、いいんだよ。これくらい」
少し照れた様子の舞代を連れて改札を通り抜け、向かい側に佇む大きなショッピングモールへと入る。なぜか、舞代は終始恥ずかしそうな様子で手袋越しに僕の手を掴んでいた。
「あの、舞代? 何で手を?」
「えっ…………あっ?! ごめん、私つい、はぐれちゃ駄目だって思って……………………」
まぁ、そりゃそうか。大体予想通りの答えだったのにも関わらず、どこか内心は残念そうな様子。
全く昨日と言い今日と言い、ここに誰かとくると、自分でもよく分からない気持ちに襲われてしまうのか。
いや、分からない。
相手が、葵木もしくは舞代だから。頭の中で出かかったその理由を僕は無意識のうちに掻き消してしまっていた。
「灯君、私ゲーセンって初めてだよ!」
ショッピングモールに入った僕と舞代が向かった先は映画館…………ではなく、ゲームセンター。まぁ、今映画館に行っても入場すらできないからな。
「そうなんだ。中学のときとか行かなかったのか?」
「うん、中学生の時は休日引きこもりみたいな子だったから。ゲーセンもそうだけ
ど、カラオケとかも行ったことないよ」
少しだけ、作り笑いの舞代。ただでさえ過去を思い出したくないはずの舞代に、こんなこと言うなんて。失言もいいところだ。
「そっか」
少しだけ顔を俯かせて、僕は相槌を打った。
「ねぇ、灯君!」
「今度、一緒にカラオケ行こうよ!」
直後、舞代から聞こえてきたのはなぜか抑揚のしっかりとした声だった。
「えっ?」そうやって驚いて言葉を失うのは簡単なこと。でも、そんな誰にでもできるような反応が今の僕には出来なかった。
「うん、行こう!」
「えへへ、決まりだねっ!」
凄く、凄く、嬉しそうな表情を作る舞代。
本当に、良く笑うようになったよな、舞代って。いつかの絶望し切った表情がまるで嘘のように記憶の奥底へ仕舞われていく。
「……………………楽しみだな」
柄にもなく独り言を呟いてみる僕を他所に、舞代のキラキラと輝くような瞳はゲーセンのあちこちをロックオンしていく。
「ねぇねぇ、灯君。私、あのゲームしてみたいな!」
もちろん、そこからノリノリで僕にそう言ってくるのに時間は掛からなかったわけで、彼女が指差す先にはクレーンゲームの台達が待ち構えている。
「いいけど、どの台にするんだ?」
「この台にするよ!」
ノリノリで舞代が選んだ台はテンションとは対照的にキーホルダーサイズのぬいぐるみが散らばる小さなクレーンだった。
「えっ、これでいいのか?」
「うん!」
「オッケー。じゃ、やるか!」
大きなぬいぐるみやその他難易度高めの台だったら酷な展開が待ち受けているだろうが、これなら大丈夫そうだ。
「頑張るね!」
一通りの操作を教えて、百円玉を一枚投入。ハンドルを握る舞代の眼差しは真剣の刀身のように透き通っている。クレーンじゃなくてその横顔に僕は目が離せなくなってしまいそうだった。
「これを…………こう、で、ここっ!」
微調整を済ませて、一気にクレーンを落とす。落下点には、二つ分のぬいぐるみがタグ絡まって、合体してしまっている。
恐らく、このまま普通に掴んでしまったら重量で二つとも落ちてしまう。その流れが変わったのは僕がリベンジ用に百円玉を取り出した時だった。
「あっ?!」
何と、絡まった二つの商品タグをアームの一部が突き抜けたのだ。もうここまで来てしまえば重量など一切関係なく、がっしりとアームに捕まれて二つのぬいぐるみは獲得口に吸い込まれていった。
「取れた……………………灯君、取れたよ!」
「初めてなのに、凄いよ舞代! おめでとう!」
「うん、ありがと!」
舞い上がってしまっているのか、周囲の目など気にすることもなく手袋越しに舞代は僕の手を握ってくる。もちろん、手袋のフカフカな感触しかしないけど、デートさながらの気分はごまかしようがない。
耳を澄ませば「リア充が」「…………クソ」「大爆発!」「尊い」と、呪詛のような言葉が聞こえてくるが、これは忘れた方が良い奴だろう。気にしない方が良いことってあると思うんだよな。
「ねぇ、灯君! 次は私、あれやりたいな!」
手袋越しに僕の手を握ったまま、舞代が楽しそうに次のゲームを指差す。その姿は心の底から楽しむ、純粋な女の子。
ドキッ
心がトキメキを覚える。
昨日と同じのようで、少しだけ違うこの感覚。楽しい、楽しいけど、それだけじゃない。
「灯君? どうかした?」
「えっ…………あっ、いや何でもないよ」
「無理してたら言ってね?」
「あぁ、大丈夫大丈夫」
「そっか…………うん、分かった!」
その後、ゲーセンを思う存分楽しんで、お互い、お小遣いをまぁまぁ、消費してしまったというのはまた別の話である。
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