第34話 葵木と二人(後編)
葵木と二人でのお出かけは中盤。洋服の試着を楽しんだ僕達はショッピングモール二階に位置するカフェへと来ていた。
「なんか…………おしゃれだ」
渋みがありながらも、決してそこに嫌悪感を抱かせない店内の空気。落ち着く雰囲気ではありながらも決して静寂という訳ではなく、どこからか奏でられるBGMは居心地の良さを強調している。まさか、ショッピングモールの一角にこんな場所があるとは、想像も付かなかった。
「おっ…………灯も分かるようになってきた?」
「いや、流石にこれくらい顕著だと僕でも分かるよ」
いたずらな笑みを浮かべながら問う葵木に、僕も笑みを返す。先ほどまで続いた店舗巡りが効いているのか、普段よりもかなりテンションが高い。
「あー、そういうことね」
「逆に、分かりやすい例以外はまだ全然分かんないからなぁ」
今日の葵木の着せ替えでも痛感したが、僕にはこの手の話に関して知識が不足しているようだ。途中ところどころ、葵木の口から出てくる単語に首を傾げてしまう結果からして恐らく、最近のトレンドという奴に全く付いていけていない。
「…………だったらさ、また一緒に行こうよ。何回も、灯が慣れるまで」
少しだけ恥ずかしそうに葵木が言う。まさか、葵木の方からそんなことを言ってくれているとは。多分百パーセント善意で言ってくれたのだろうが、僕としては凄く嬉しかった。
「うん、また一緒に行こう!」
今度はどこに行こうか、まだお出かけ中だというのに、その次を考えてしまう。
葵木がいて、今度は舞代や愁斗も誘いたいな。もし暇をしているようなら苺も誘ってみるか。そうやって、五人でどこかに遊びに行きたいな。
「っ?! もう……………………調子狂うじゃない」
「ん? 何か言ったか?」
「なっ、何でもない! そんなことより注文しよ。何かお腹空いてきたし」
時計を確認すると、時刻はもう既にお昼時を回っていた。楽しいことばっかりですっかり気付かなかったが、いざ意識してみると、空腹感も確かに大きくなっている。
「そだな」
流石に、こんな状態では聞き取れなかった葵木の一言にまで気が向かない。僕はメニュー表を取り、葵木に渡した。
「えっ、先に選んでいいの?」
「いいよ、僕多分注文決めるの遅いだろうからさ」
ただでさえ優柔不断であるというのに、始めてくるカフェのメニューなんて即決出来る自信がない。
「えーと、じゃあ私はこれにする! 灯はどうする?」
「じゃあ、僕はこれかな」
何でもいいなんて、NGワードを使う訳にもいかず、咄嗟におすすめのメニューの中から一つを指差す。
その品目は、よく見えていなかった。
「お待たせ致しました」
約十分後。二つ分のお盆をもって現れたのは一人のウエイトレス。手元には僕と葵木が注文したメニューが乗っている。
「おおー、美味しそうだな」
娘と初めての飲食店に来た時のお父さんみたいな反応をしてしまった。いや、正直言葉がこれしか思いつかなかったんだよなぁ。
「灯、食べよっ!」
「おう」
「「いただきます」」
二人、声を重ねてそれぞれの食べ物を口に入れる。瞬間、広がるのはほのかな風味と柔らかな食感。例えるなら優しいうま味という奴だろう。要するに滅茶苦茶美味い。
「んんっ! 美味しいっ!」
どうやらそれは葵木も同じのようで、ニッコリ笑顔は絶えることどころか会話を知らない。
「うまいな」
お互い無言の空間、だけど、どうしてかな。自然と嫌気も気まずさもそこにはなかった。ただただ、静かな店内で食事を堪能する、そんな時間が心地よく思えたんだ。
しばらくの間を挟んで。
「ふぅー、美味しかった!」
「だなぁー」
がっつり食事に集中し終え、カフェを出た僕と葵木は目的なくショッピングモール内を散策していた。
「次はどこ行こうか?」
「うーん、どこにしよ?」
「葵木の行きたいところは?」
「そう言う灯はないの?」
時刻はそろそろ三時を迎えるかどうかといったところ。言われてみれば、これまで
基本的に葵木の行きたいところかウィンドウショッピングばかりで、僕自身の希望はそこになかったか。
「うーん、どーしよ…………」
困った、正直で掛けるって言われた時から葵木の希望を意識しすぎて僕の行きたい場所を考えていなかった。
絞り出せ、思考の糸にそう命じてはみるが、どう頑張ってもおもちゃ屋さんかアニメグッズの販売店にしか行き着かない。
「私はどこでも行くから」
いや、流石に高校生の男女一組でおもちゃ屋さんはさ、目立つでしょ。もちろん、アニメグッズの販売店も然り。
「あっ…………」
ふと、脳内と共に動かしていた足が止まる。視界に入り込んできたのは一軒の店舗。看板にはショッピングモールの定番、書店の二文字。
「中入ってみる?」
「そうしようかな」
正直、ここ以外にどこか別案が思い付く自信がなかったので反射的に肯定する。ぼんやりとした意思のまま、僕は書店に入った。
「そう言えば、葵木って本とか読むのか?」
「意外かもしれないけど、私って、結構本読むの」
「マジで? 漫画とか?」
「まぁ、漫画も読むけどね。基本は小説かな?」
本人の言葉通り、意外性十分の答え。漫画はイメージが付くが、葵木が小説を嗜むイメージはいまいち湧きずらい。
「そうなんだなぁ」
「灯は、結構本とか読みそうだよね?」
「まぁ、絵本以外は全般」
「へぇー、じゃあ、そういうのもも読んだりするんだ?」
そう言って、葵木が指をさすのは女性の水着姿が表紙を着飾る際どい写真集。物は言いようとはよく言ったものである。
「…………ご想像にお任せします」
「…………そこは否定しなさいよ」
「ご想像にお任せします」
「二回も言わなくいいから」
あまり、そう言うのは言及しない方が良い。壊れたロボットみたく同じ言葉を連呼してそれで話を逸らすのが正解だ。間違いない。
「それで、何か買う?」
「特には、こういうのって眺めるだけで楽しい」
と、言葉を言い終えて物の数秒で僕はあることに気付く。「別に何も買わないのに、付き添わないといけない葵木ってめちゃくちゃ退屈じゃないか」ということに。
「って、思ったんだけどさ。ちょっと一つ提案があるんだ」
「ん? 何?」
不思議そうに首を傾げる葵木。あぁ、彼女が本を好きで良かった。というか、ここが本屋で良かった。
「せっかく僕の要望を聞いてくれたんだし。一冊、僕から葵木にプレゼントさせてくれないか?」
多分、これが今日の僕にできる葵木への感謝だろう。
「…………え? いいの?」
「いいよ」
突然の提案に葵木は若干困惑の様子を見せたが、僕が即答すると、その表情には納得の色が灯った。
「うーん…………じゃあ、これにしようかな?」
数秒だけ考えて、葵木が手に取ったのは一冊の小説。純文学や大衆文学というよりもライト文芸に近いジャンルの青春恋愛ストーリーだ。
「これ、前に僕も買おうか迷ったやつだ」
「えっ、そうなの? じゃあ私が、読み終わったら灯に貸してあげる!」
「マジで? 頼む!」
「オッケー、私の速読力舐めないでね!」
「いや、そこはじっくり読もうよ」
「あはははははははは、それもそうか!」
そんなに面白いツッコミをした覚えはないけど、なぜか葵木はツボにはまったようで、声抑えられずに笑う。突然の出来事に対処しきれなくて、僕ももらい笑いしてしまった。
あぁ、誰かとどこかを巡るのって楽しいんだな。本当に今更、僕はそんな発見をした。
「…………今日はありがとな。葵木のおかげでめちゃくちゃ楽しかった」
時刻は夕方、長いようで短いお出かけも終幕間近。帰りの電車に揺られながら、僕は葵木に感謝を伝えた。
「私も、めちゃくちゃ楽しかった!」
「そっか、良かったぁ…………」
「あのさ、もし良かったらまた一緒に行かない?」
どうやら、また一緒に行こうと誘われるくらいには葵木にとっても楽しかったらしい。朝時点の僕、結果オーライだったぞ。
「あぁ、また一緒に行こうな。今度は舞代とか愁斗とか、苺も誘ってさ」
「……………………そういう訳じゃないのに…………」
「ん?」
「あぁ、何でもない何でもない! うん! そだね!」
葵木がまた何かを言ったような気がしたが、空耳だっただろうか。何か今日多いな、空耳。もしかしたら、何気に結構疲れがたまっているのかも知れない。
それから、しばらく。ガタゴトと揺れる電車が止まるのは葵木の最寄り駅だった。
「じゃあ、またね灯」
「おう、またな」
どこか、取り繕ったような笑顔。あれ、前にもこんなことがあったような。
ゲーム大会よりも前、本格的に仲が良くなった頃だろうか。半年以上前の記憶がパズルのように再構築されていく。あれは、確かまだ愁斗以外のクラスメイトとろくに知り合う前だったか。
そして、詳細な記憶が思い起こされるよりも先に僕は、
「葵木、何かすげぇ無理してない?」
初めて、葵木の二人きりで話した日と同じ言葉を僕は再び紡いでいた。
「っ?!」
「えっ…………と」
「灯の……………………バカ」
ド直球の暴言と共に、僕は葵木に背中を押され、彼女に背を向ける形で固定されてしまった。なにこれ?
「今度、一緒にまた遊びに行くんだから、これ約束ね!」
あぁ、もちろんだ。そう答えようとしたところで、肩に乗っていた葵木の手が抱きしめるように僕の包み込む。葵木が身体を寄せているんだと、そう直感した。
「もちろん、二人きりで」
囁くように、耳元で響く声。この一瞬、情報量が多すぎて戸惑うどころの話ではな
い。
「えっ、と。あぁ」
辛うじて送る返答。
直後、葵木は無言で手を離し、僕はすぐさま振り返った。が、僕と葵木の間には閉まった扉。近付くことは愚か、声を掛けることもできない。
「…………どゆこと?」
困惑と、嬉しさと、その他よく分からない感情が入り混じった僕はただ吊革に身体を預けることで精いっぱい。一応葵木の方を見てみるが、流石にその表情までは見えない。
再び、電車に揺られる。
ぼんやりとした意識を現実に引き戻したのは一つのメッセージ通知だった。もしかしたら葵木かもしれない。半ば期待にも近い感情を向けて、僕は携帯を開いた。
舞代
『灯君、明日一緒に映画を見に行かない?』
葵木に続いて、舞代からの誘い。嬉しくもありながら、僕としては早くも困惑の再来である。
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