第33話 葵木と二人(前編)
「今週の土曜日、私と二人でショッピングモールに行ってほしいの!」
春休み前最後の鬼門である学年末テストが終了し、喜びに浸る教室内。多分、僕はその中で唯一、困惑の念を抱いていた。
「…………えっと?」
どういうことだろう。まだ、愁斗や舞代、最近だったら苺を誘ったりして行くなら分かるが、葵木が僕と二人でショッピングモールに行こうなんて誘うとは、今までにないシュチュエーションであるがために、嬉しさと驚きが混じる。
「駄目?」
恥ずかしそうに、少しだけ上目遣いで言う葵木。テスト勉強中の眼鏡姿と言い、普段とのギャップで目がおかしくなりそうである。普段も圧倒的に可愛いが、今もめちゃくちゃ可愛いと内心思う。
「駄目じゃないよ…………」
無論、嫌なわけがなかった。だって、わざわざ僕と二人で行こうって誘ってくれてるんだよ。嬉しくないわけがないじゃないか。
一度、冷静になって思考する。
恐らく、僕の中にある抵抗の正体は新鮮さからなる緊張だ。断りたいわけではない。葵木の方から誘ってくれているのだ。こんな機会滅多にないだろう。
耳元に囁くは天使とそして悪魔。どうしてか、普段なら対極に位置する彼らの言い分が今は全く同じである。
迷うことはない、行け。両者はそう言う。もうそこに抑止の概念は存在していなかった。
「よし…………行こう!」
覚悟というほどのことでもないが、戸惑いを霧の如く振り払い僕は土曜日、葵木とショッピングモールに行くこととなった。
そして、
「…………来ちゃったよ」
迎えた土曜日。待ち合わせ場所である葵木の最寄り駅で、僕は一人プラットホームのベンチに座っていた。
それにしても、こういう時の週末というのは非常に到来が早い。それこそ、テスト返却の翌日くらいの感覚である。
「これ、葵木は本当に来るのか?」
周囲を見渡してみるが、人の気配は疎らよりもスペースだらけ。外は、季節外れの大雪と極寒が作り出した白銀色の氷世界。葵木を信じたいというのは無論だが、この状況で心配の念がないかと言われればそれも嘘である。
『今週の土曜日、私と二人でショッピングモールに行ってほしいの!』
あの時の言葉を思い出す。個人的に言えば、そこに他意はなかったと思う。だって、葵木がわざわざ僕にそういうことを言ってきたとして、何が生まれるんだ。否、何も生まれない。
まぁ、結局は僕自身今日のお出かけを楽しみにしていて、今すぐにでも葵木に来てほしかったってことなんだけどな。
「……………………来てほしいな」
ホームの窓から外の景色を眺めながら僕は呟いた。何を柄にもないことを言っているのだろうか。全く、過度な期待である。
電光掲示板の時計は無音のまま時間を表示し続ける。気付けば、ベンチに腰を掛けてからもう十五分ほど経っていた。
「灯っ!」
突如としてプラットホームの入り口あたりから響く声。聞き慣れた明るくて真っ直ぐな声色の持ち主が誰か分からないわけもなく、僕は自然と口角を上げていた。
「おはよ、葵木」
学校に来て開口一番に放つその台詞を今日も僕は葵木に向けた。
「あっ、おはよ。それにごめん。こんなに早く来てると思わなくて…………待たせたみたいで」
確かに、言われてみれば僕は集合時間よりもに十分くらい早く来てしまっていたらしい。多分、舞代とのデートの経験からだろうな。
って、そうじゃないだろ。
今、僕の目の前にいるのは葵木だ。舞代じゃない。
じっと、今の葵木の姿を見つめる。彼女の私服姿を見るのは去年の大晦日と今年の正月以来である。
どちらかと言うとカッコよさと爽やかさが印象的な制服姿。見慣れたそれとは異なって、今日はがっつり私服。心なしか正月に会った時よりもおしゃれで、ただでさえ凄い可愛さが、今はより際立っている気がした。
「全然大丈夫。別に遅刻した訳じゃないんだからさ。それより、行こうぜっ!」
軽い調子で言ったところ、丁度良いタイミングでプラットホームに電車が流れ込んでくる。
「あっ、ちょっ、待ってよ!」
僕は葵木と共に、温かな電車の中へ乗り込んでいった。
電車に乗って移動すること六駅。恐らく、関係が薄かったりすればその間は滅茶苦茶気まずいのだろうけど、席が隣同士でよく話す仲の葵木であればそんな心配はないに等しい。クラスのこと、テストのこと、勉強のこと、そしてゲームのこと。尽きることのない共通話題の下で楽しく雑談をしていれば六駅なんて登下校の時よりも短い距離に感じてしまう。
「着いた!」
駅から歩くこと約二分。ショッピングモールは駅の真向かいに位置していた。当然、そこに着くまでに時間はほとんど掛からないわけで、何とも達成感に欠ける到着である。
「そだなぁ…………」
「どしたの?」
「いや、思った以上に近くてびっくりしてるだけだ」
「あー、そういうことね」
どうやら、葵木も少なからず僕と似たようなことを感じていたのだろう。その表情からはどこからか、共感にも近い思考の糸が窺えた。
「まっ、遠いよりはマシだけどなぁ」
凄く歩かないといけないというケースを考えると、欠乏の達成感のことから意識がそれてきた。
「私も同じく」
そう言って、葵木が笑う。僕としてはどうか、愛想笑いでないことを祈るばかりだが、反応を見る限り、杞憂に終わりそうな感じである。
「にしても…………大きいな」
話を逸らすという意図も含めて僕は呟いた。無論、これは誇張ではない。目の前のこれは僕の知ってるショッピングモールの大きさじゃない。
「これ、今日一日で回れるのか?」
正直、迷子にならないかめちゃくちゃ心配ではあるが、恥ずかしいのでそれは言わないでおこう。
「うーん、まぁ全部は無理だろうから、面白そうなところを一緒に回るって感じでど
う? 私は灯と買い物とかできたら嬉しいな」
葵木と買い物。誘われた日から、何となく想像していた展開だ。ふと、今までのシュミレーションが脳裏を過った。
「分かった! いっぱい買い物しようぜ!」
だからかな、僕は根拠ない自信から成る啖呵を切ってしまった。大丈夫かな、そう思い始めたのは入場して数秒後のこと。
「ちなみに、行きたい場所とかはあるのか?」
一応、葵木に問いを振ってみる。まぁ、実を言うと、僕の方に行きたい場所がないというのが、問題ではあるのだが。
「わっ、私?! あっ……………………服見たい!」
「よし、じゃあ服売ってるところに行こうぜ!」
「あっ、うん!」
すぐにエントランスから動いて、服を売っている店の場所を確認する。流石大規模ショッピングモールだな、該当する店が三種類くらいある。
「あれ、お店が一つじゃないのか。葵木、どこ行きたい?」
ここにきて、普段から服装に気を遣っていないことが裏目に出てしまった。店舗のロゴが違うこと以外、店の違いが全く分からない。
「どれどれ…………あっ、私この一番奥側のところ気になってたんだ!」
言って、葵木は現在地から一番と奥に位置するお店を指す。無論、遠くとは言っても誤差の範疇だが。
「おっけ、じゃあ行こうか」
服屋さんに来るのはいつぶりだろうか。きっと最後に来たのはずいぶんと前のことだ。
店内に入り、葵木と一緒に洋服を見ながら僕は薄れた記憶を思い返すことで、緊張感を和らげていた。
「ん? 灯どうかした?」
なぜ緊張していると聞かれれば、単純にこういった場に慣れていないからである。
それに加えて、異性と二人きりでの買い物。テンプレのようなシュチュエーションであるからこそ、想像以上にドキドキしてしまう。
「いや、あんまりこういうところ来ないからさ、落ち着かなくて…………」
あんまりではなく、ほとんどである。落ち着かないのは事実であるが。
「ごめん、もしかして無理してる?」
それを聞いてか、葵木は表情を曇らせながら、心配そうな面持ちで僕を見つめる。
「大丈夫大丈夫。折角来たんだし、こういう場所に慣れるいい機会だからさ」
無論、無理はしていない。日々の怠惰と重いフットワークの副産物を抱えているだけだ。
「そっか…………分かった! じゃあ、私が灯を楽しませるね!」
心配させまいと、出来る限りの笑顔を作る。表情一変、葵木の曇り空が晴れ渡るような笑顔を見せた。
「行こっ! 灯」
柔らかなで温かい感触が僕の手に駆け巡る。気付けば、僕は葵木に手を握られていた。
「ここで待ってて。灯に見て欲しいものがあるんだ」
引っ張られた先は試着室。この後何が起こるのか、流石にショッピングモール初心者以下の僕でも、何となく想像が付いた。
「じゃーん! どうかな?」
勢いよく開く試着室のカーテン。そこには先ほどとは別の服を着た葵木が立っていた。
「おぉ………………………」
語彙力と知識が足りない。今着ている服がどんなものなのか分からない。凄いフワフワした帽子を被って、綺麗で露出の少ない服を着ている。くらいが説明の限界だ。
だけど、一つだけ確かに言えることがあった。
「…………すげぇ可愛い」
少なからず、気持ちは高ぶっているというのに、どうしてか、言葉を紡ぐのが恥ずかしい。既存のキャラクターには声を大にして言えるというのに、どこか変な意識があるみたいだ。
「…………っ?! ……………………ほんとに?」
葵木も変に意識しているのかな。どこか恥ずかしそうな表情でそんなことを訊かれた。
「ほんと、ほんと。嘘じゃないよ」
言葉は出てこない、けれど不思議なくらいに意識ははっきりしていて、ドキドキが心の中を蹂躙している。
「そっか………灯にそう言ってもらえると、やっぱ嬉しいな!」
まだその顔は赤く、それでも嬉しさに表情を染めて葵木ははにかんだ。
「ありがとね、灯っ!」
何を言えばいいか分からなくて、僕は目を逸らした。何が予想出来るだよ、入場前の自分は何を言うかと思えばと、今になって思った。
「そうだ、灯も何か試着しない?」
「えっ、僕?」
「うんうん、私がコーディネートしてあげるからさ! やろうよ!」
しばらくの沈黙の後、先程の試着お披露目でテンションが上がっているであろう葵木がノリノリでそんな提案をしてきた。
「えっ、でも僕は服買わないからさ…………」
「別にいいじゃん!」
「えっ?! いいの」
「うん、もし気に入ったら買えばいいくらいの気持ちで良いよ! だから試着しよ!」
思わず聞き返すと、葵木は即答する。このテンションで言っていることに説得力があるのはどういうことだろうか。
「分かったよ」
「やった! じゃあ私が服選んでくるね!」
試着とかほとんどやったことないけど大丈夫だろうか。杞憂であることを望みつつ、待っていると服を持った葵木が登場。若干緊張が抜けないまま、僕は試着室に入り、着替える。
「ほいっと」
緊張を紛らわすために謎の掛け声とともにカーテンを開ける。あぁ、これはかなり恥ずかしいかもしれない。
「…………どう?」
「めっちゃ似合ってる」
「…………マジで?」
「うん、マジ」
恐る恐る振り返って、鏡に映る自分の姿を見つめる。うん、これは納得した。
「どうだった?」
「服の偉大さが分かったよ」
「あはは、大げさだなぁ全く!」
正直な僕の感想に、葵木はそれこそ大袈裟に笑う。でも、少なくとも前に家族で来たときだったら、こんなこと思わないんだろうな。
「葵木と一緒だからかな…………めっちゃ楽しいよ、買い物」
気付けば、紡がれた自分なりの結論を僕は声にしていた。
「っ! ちょっ、急に何言いだすのさ! 恥ずかしいじゃん」
「あっ、ごめんつい…………」
先程の僕と負けず劣らずか、葵木も熱でもあるくらいに表情を真っ赤に染める。確かに、思い返せば何だか告白のようだ。
考え出したら、自分も少し恥ずかしくなってきた。
「でも、ありがと。私も灯と一緒だから楽しいよ」
恥ずかしさの隙間から見えた満面の喜色と煌めく笑顔。呼応して、葵木の試着姿が頭の中に蘇り、あの時の凄い恥ずかしい感情が心の中を駆け巡った。
「…………そっか」
ちなみに、この後しばらくお互いに試着を楽しんで気になった一着を買うことになった。
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