第32話 期末テストに自由を賭ける
明くる日の学校。
昨日の歓喜と嫉妬と期待がごちゃ混ぜとなった空気はどこへやら、今日は普段通りの明るさと、心なしか和やかな空気が漂っている。恐らくバレンタインデーという学生の一大イベントが終結したことが大きな原因である。
「灯君、昨日はあれからチョコレート貰えた?」
とはいえ、大半のクラスメイト達は昨日の戦果報告で話題持ち切りであることもまた事実。無論、僕もその一人である。
「あぁ、あの後葵木から一個貰ったよ」
チョコレートを渡してすぐにどこかへ行ってしまったため、直接食べて感想を伝えることは出来なかったが、葵木のくれたチョコレートは舞代のと負けず劣らず、とても美味だった。
ちなみに、甘さと苦さをミックスさせた舞代のチョコレートとは対照的に、葵木のチョコレートは完全スイート。僕みたいに甘いものが好きな人間にはとてつもなく刺さる味付けであった。
あぁ。思い出してしまうと、どうしてもあの甘さに表情が緩んでしまう。
「その顔…………きっと、美味しかったんだね」
「ごめん…………」
「私のチョコレートもそんな顔で食べてくれてたから許します」
舞代はそう言うと、クスッと笑って見せる。一瞬だけクラスの至るところから射抜くような視線がしたが、気のせいか。まぁ、深く考えても仕方ない。
「よーし、皆席に着け―」
本能的に考えることを拒否していたところ、ガラガラと教室の扉が開き、担任教師が入ってくる。相変わらず、猫背で疲労間の漂うその背中は外の雪をドロドロに溶かしてしまいそうだ。
「さっさと座れー」
活気に欠ける目を出席簿に落として、担任は出欠を取る。なお、昨日に続いて、今日もクラスは全員出席である。
「何だ、今日も皆いるのか、珍しいな」
二日連続での全員出席という事象に対して担任も賞賛より先に感嘆の念が文句に乗ってしまったようで、どこか他人事のような誉め言葉を放った。そのおかげか、普段は半ば機械的に行われる朝のホームルームが少しだけゆっくりである。
「まぁ、そんなことはいいか。取り敢えず、一つ大事な連絡をしておくぞー。聞き逃すなよー」
もはや、底しか見えないような最低限の釘を刺して担任は言葉を続けた。
「今月末に行われる期末テストについてだが、今年度も昨年に続いて一科目でも赤点を取った生徒は春休みに補修を行うことが決定した」
言い終えた後の担任の溜息。それと共に、教室内がざわついた。
え、マジで?
もちろん、皆が皆、一言一句同じ言葉を呟くわけではない。だが、クラス内大多数の生徒からすればハッピーニュースではないだろう。取り敢えず、昨年度の取り組みを知らない僕達一年生にとっては衝撃的な通告であったことは間違いない。いや、ある意味、取り組みというより、春休み前の最大鬼門か。
「正直、先生だってしたくないよこんなこと。でもなぁ、仕方ないんだよなぁ。上からの命令だからな。逆らってもなぁ。まぁ、そういうことだから頑張ってくれ」
と、若干早口で不満を口にした後、担任はいつも通り活力無き背中で教室を去って行った。
「…………どうしよう?」
担任が戻り、ホームルームが終わった教室。廊下側後ろ、僕の隣から不安そうな声がする。それが舞代のものであることは言うまでもない。
「私…………このままだと、もしかして春休み無し?」
言われるまですっかり忘れていたが、舞代、確か勉強が苦手だったけ。
「私、出来れば春休みは遊びたいよ……………………」
まるで取り返しのつかない点差を付けられたゲーム終盤のプレイヤーを絵に描いたような、あるいは敗北後の燃え尽きたような表情。ちなみに、まだテストは始まっていない。
「まだ諦めるには早いんじゃない?」
この状況で、僕以外の声が舞代に降りかかる。意外でもなんでもないが、その声の主は前の席に座る葵木だった。
「…………七科ちゃん」
思いがけない助け舟に、舞代はどこかホッとした表情を作る。
「だって、まだテストまで二週間以上あるよ。しかも、今回の科目数は前回と同じ。何なら時間的には前回よりも若干余裕があって、赤点の点数だって、さほど高くないじゃん」
これに関しては葵木が正しいような気がする。考えてみれば、前回の期末テストもかなりぎりぎりながら、舞代は赤点回避を成功させている。
試験範囲にもよるが、条件だけで言えば、今の方がよっぽど良いのだ。
「それに、六花が全然分かんないって言うんだったら。私が助けてあげる……………………あの時の借り、ここで返させてよ」
「僕も、出来る限りのサポートはするから」
借りを返すというのはよく分からないが。どこか恥ずかしそうに葵木はそう呟く。途中、一瞬だけ目が合ったような気がしたが、すぐにどこかに逸らされてしまった。
「灯君…………七科ちゃんも、私のために……………………ありがとう!」
今にも泣いてしまいそうなくらいには目を潤ませながら、表情を綻ばせた舞代は雨上がりの笑顔。ドキドキよりも早く、嬉々とした感情が僕の思考に絡みつく。それが心地良くて、自然と僕の口角は上がっていた。
「ったく、まだ始まってないんだからね!」
「あっ、そうだった」
「そうだった、じゃないっての。全く六花ったら…………」
「あはは、ごめんね」
「別に謝ることじゃないよ。そんなことより、これからテスト当日までは、その…………灯と一緒に私が勉強教えるから」
「うん! よろしくお願いします七科先生! 灯先生!」
今まさに、生徒と教師の仮関係となった舞代と葵木がそんな会話を交わす。なお、僕も教師役で巻き込まれているが、正直舞代にものを教えられる自信はない。なぜなら今回のテスト範囲、僕もいまいちよく分かっていないからだ。
「えっ、えぇ。今日からビシバシ鍛えるんだからね! 覚悟しなさいよ!」
「頑張ります!」
ということで、今日僕、葵木、舞代の三人からなる一年生期末テスト対策グループが発足した。
本来であれば、愁斗も入れて四人で行いたいところではあるが、曰く現状がかなり良くないため、僕と葵木に迷惑をかけたくないとのことで今回は不参加である。
「じゃ、早速始めるよ!」
放課後の図書館。僕の隣には、シンプルカラーの眼鏡を掛け、知的なオーラを纏っている葵木、対照的に向かいの席には頭を抱える舞代の姿があった。
そう言えば、葵木って眼鏡掛けてたっけ?
普段の活気でフッ軽、積極的な姿の印象が強いからか、今隣に座る眼鏡を掛けた知的で物静かな彼女にどうしても目が行ってしまう。どちらも葵木であることには変わりないが、なぜかいつもより意識してしまっているような気もする。
「で、この問題はここの公式を代入して…………で、そしたらここの数が出るからそれをさらに当てはめると」
「おっ! 何か行けそうな気がする!」
「ちょっ、ここ図書館なんだから静かにしないと摘まみだされるよ!」
「あっ、ごめんなさい」
的確な葵木のアドバイスによって捗る勉強に舞代はどこか調子が良さげだが、暴走しないようにその手綱はしっかりと葵木に握られている。
「はいはい、じゃあ次の問題行くよ……………………ここの問題なんだけど…………」
前回に引き続き、葵木が舞代のサポートをするという時点で理解はしていた。が、今回の勉強会、恐ろしいほどに僕の出番がない。
「うぅ、七科ちゃん。ここ分からないよ」
「ん、どれどれ…………あぁ、ここは…………」
自分の勉強を適度に挟みつつ、僕は葵木と舞代の勉強風景を眺めていた。まだ知り合ってから三か月も経っていないなんて、信じられないくらいに打ち砕けた空気から成る日常感。だが同時に、そこには僕の知らない二人の姿があってそれが新鮮で、どこか心がときめいてしまう。
「何だかなぁ…………」
「ん? どうしたの灯?」
深い意味もなく呟いた言葉に葵木からの反応。答えが返ってくるとは思わなかったので、僕の方が不自然に驚いてしまった。
「いや、何でもないよ」
「えっ、そうなの? まぁいいけど」
不思議そうな顔と共に首を傾げる葵木だったが、すぐに納得した様子で視線を舞代の方へと向けた。
なぜだろう、さっきの呟きといい、この前といい。
振り返って、そう思う。
「…………ったく、どうしたんだよ。僕は…………」
今度はこの場にいる誰にも聞き取れないほどの小さな声で、僕は呟いた。
結局、放課後の図書館勉強は期末テスト前日まで続き、葵木のおかげで舞代の学力と、そして指導を隣で聴いていた僕の理解度もかなり上がることとなった。
「大丈夫かな…………」
一段と強く降り積もる雪に普段よりも幾分か寒い通学路。舞代はどこか不安そうな表情拭えずといった様子で僕の隣を歩いている。
「大丈夫だと思う」
この二週間くらいの間。僕は舞代のことを見てきた。図書館での勉強はもちろん、彼女は授業の時も、電車での移動中も勉強していた。苦手な分野にも、向き合っていた。テスト週間の前と後を比べれば、その差は明確。冗談、色眼鏡などを考慮から外しても、全教科赤点回避は現実的だ。
「…………そうだよね。うん、きっと大丈夫だよね」
仮にこの世界に神様がいたとして、そいつは時にかなり残酷だと思う。どれだけ努力しても、努力が足りなかったなんて言う計り知れない理由を付けて、報われない結果を押し付けてくるから。
普段は他人事の一単語で済ませられるところ、僕は今、多分願ってしまっている。舞代の努力が報われることを。
「舞代なら、大丈夫」
目の前で不安がる彼女を、そして内心不安な自分を落ち着けるように、僕はその言葉をはっきりと声に出した。
「ありがと、灯君」
その後、テストは予定通り実施、返却された。
「やった、やったよ七科ちゃん!」
最も気になっていた舞代の結果は見ての通り。全教科赤点回避、加えて全教科平均点以上の点数を取ることが出来ていた。
「補講回避できたね! おめでとう、六花!」
「ありがとう!」
「おーい、俺も今回はギリギリ赤点回避出来たぞー」
どうやら今回不参加だった愁斗も無事に全教科赤点を回避したらしい。余裕で赤点を突破した葵木はともかく、ぎりぎりだった舞代と愁斗は他のクラスメイト達とも喜びを分かち合っている。
「結果オーライか、良かった」
「そうだねっ」
これまた独り言のつもりだったが、後方から突如葵木に言葉を返される。果たして僕はいつ背後を取られたのだろう。
「うわっ、びっくりした!」
「ごめん、ごめん。驚かすつもりはなかったんだって…………」
「えーと、そうか」
本人はいたって真面目なんだろうけど、説得力がなさすぎる。まぁ、いいけどさ。
「それで、何か用か?」
「えっ?」
「ん? 何か用があったんじゃないのかなって思ったんだけど……違った?」
「いや…………えっと、さ。その灯もテスト勉強頑張ってたからお互いお疲れ様ーみたいな?」
「そういうことか。こっちこそ、お疲れ様!」
まさか、舞代に勉強を教えたりするだけでなく、僕のテスト週間中の頑張りまで見てくれていたとは。もはや驚きを越えて尊敬しかない。
「にしても、葵木ってやっぱ凄いなぁ。舞代の勉強だけじゃなくて、自分のこともしっかりしててさ。僕も見習わないとだな」
否、たとえ僕が葵木を見習ったところできっと彼女には敵わないだろう。考えれば考えるほど、葵木と自分の違いがよく見えてくる。
やっぱり、葵木は凄いよ。
「…………ありがとね」
どこか、恥ずかしそうな様子で葵木は言う。どこか、その場でもじもじして、まだ何か言いたそうな感じがした。
「ん、もしかしてまだ何かあった?」
「えっ?!」
非日常の驚愕が葵木の表情に灯る。まるで今自分が考えていたことを当てられているかのようなそんな顔。もしかすると図星か。
「言いたいことがあるなら聴くけど?」
「えーと……………………」
一度その場に黙り込んで、深く何かを思考する葵木。テレパシストとかではないからな。何を考えているか一切予想が付かなかった。
「決めたじゃない…………あの時」
押し黙り、俯いた葵木から聞き取れたのはその一言。心当たりなく首を傾げようとしたのはほんの一瞬だけ。僕は刹那の時を経て放たれたその言葉に圧倒されてしまった。
「…………あのさ、一個だけ頼み事、聞いてくれないかな?」
「えっ? 良いけど、何?」
何のお願いだろうか。思うこと時間の空白はなく、僕はそこから続けられた言葉を耳に入れることとなる。
「今週の土曜日、私と二人でショッピングモールに行ってほしいの!」
…………おっと?
嬉しさと困惑のミックスジュースが体内を駆け巡った瞬間だった。
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