第40話 この気持ちに、手を伸ばす
葵木と、舞代からその想いを打ち明けられた翌日。当然、火曜日である今日は普段通り学校があるのだが、僕は学校どころか、電車にも乗っていなかった。
何となく身体の気怠さが抜けなくて体温を計ったが、結果は平熱に近い微熱。残念ながら登校に支障はない。
ただ、それは肉体的な話。精神的には、
『私、灯のことが大好き!』
『あの日からずっと君のことが大好きです』
全く元気ではなく、寧ろ気が重い。
「灯、もうそろそろ学校行く時間じゃない?」
無論、その原因は分かっていた。ただ、僕は二人と顔を合わせたくなかったのだ、葵木と舞代に迷っている今は。
「ごめん、ちょっと体調悪いから今日は休む」
母さんが自室の扉を開ける前に、僕はそう説明する。もちろん、言い分は嘘である。体調は悪くなし、熱もほとんどない。
「あら…………そう。じゃあ、私は普通に仕事してくるけど、本当に具合が悪くなったら助けを求めるなりしなさいよ」
「分かった。行ってらっしゃい。学校には自分で連絡しとく」
扉越しに短い会話を終えると、母さんは急ぎ足で家を出ていった。多分、仕事ギリギリのところだったのだろう。
っていうか、多分あれは僕が体調悪いの信じてないな。まぁ、実際サボりだけど。
スマホを取り出して、学校の電話番号をキーパッドに打ち込む。数コールしたところで事務担当の先生が電話に出たので、定番の挨拶を終えて、担任教師への取り次ぎを頼む。
『おはようございます………って、佐倉か。どうした?』
真面目か、そう思ったのは最初の一瞬のみ。すっかり、いつもの担任教師だ。まぁ、そっちの方が気が楽だが。
「体調悪いんで休みます」
『体調不良か、珍しいな。まぁ、サボり一回くらいなら内申点下げたりしないから心配するな』
「分かりました。じゃ、心置きなくサボります」
がっつりサボりだとバレていたが、先生は一切諭すことをしてこなかった。普段の無精が今は少しだけありがたかった。
『明日はちゃんと来いよ』
「それは……………………分かんないっすね」
『そうかぁ、まっ、明日来なかったら家庭訪問で…………』
「先生ってそんなめんどくさいことしないでしょ?」
『まぁな。ただ、教え子がサボり続けて不登校になるのがもっと面倒だからな。まぁ、取り敢えず、さっさと気を楽にしろよ…………じゃ、俺ホームルームあるから』
ガチャリ。受話器が耳元から離れて僕と担任教師の会話は終わる。まさか、あんなにめんどくさそうにしているのに、生徒のことを気に掛けているとは。彼の見えざる一面に驚きと感謝が湧いてくる。
「とは言ってもなぁ……………………」
一気に身体から力が抜けて、僕の身体はベッドに吸い込まれる。これはしばらく動けない。無論、動く気もない。
「明日学校行かなかったら家庭訪問か…………」
別にそれでもいいけど、単純に周りに説明するのが面倒だし、恥ずかしい。「仲の良い女の子二人から告白されてどちらを選べばいいか迷ってるから学校行けません」 なんて、言えるわけがない。
ただ、そうなると今日一日で答えを出すか、気持ちを割り切るかの二択を選ばざるを得ないことになるが、果たして選べるだろうか。
何も見えてない、何も分からない。自分の気持ち、内心を揺らす存在も。抱いたことのない気持ちに名前だって。
「…………そんな簡単に選べるわけないだろ」
葵木との思い出と舞代との思い出が脳裏に蘇ってくる。懐かしいはずなのに、なぜか昨日のことのように思えて、その時の胸の高鳴りは思い返すだけで忠実に再現されていく。
楽しくて、一緒にいると安心して、こんな時間がずっと続けばいいなって、思った。
「……………………続かないんだな、これが」
もう、後戻りできないところに僕たちは来てしまった。きっと、僕がどんな選択をしようと、必ず僕達の関係性は変わっていくだろう。
僕は、葵木は、舞代は、愁斗は、苺はそんな変化を受け入れられるだろうか。
「ほんと、分かんないや」
ゆっくりと目を閉じる。普段は学校で真面目に授業を受けているけど、たまには寝過ぎるくらい寝てしまってもいいかもしれない。それで、少しでも気持ちが楽になるのなら、答えに近付くなら。
そうやって、僕は逃げていく。来るはずのない答えが、動かずして、僕の元に来てくれるという盲信に囚われながら。
しばらく、眠って気付いたら昼過ぎになっていた。だからと言って、別にやることなんてなくて、スマホをいじったりゲームしたり、飽きて勉強に走ったり、色々してたら気付けば時は夕方も終わり。ずっと外は雪ばかりで明るさだけじゃ大まかな時刻予想もできない。
さて、まだ母さんが帰って来るには時間があるし、何をしようか。
そろそろベッドから出ようと身体を起こしたところで、突然、自室のドアが開いた。
「……………………サボり」
意外な来客。もちろん声で分かったが、その正体は苺だった。
「おかえり、苺」
まだ制服のまま着替えていないことから恐らく、学校帰りだろう。ただ、なぜここに来たかは分からない。
「ただいま」
自室の扉を閉めて、苺は僕の向かいふかふかの椅子に座る。
「珍しいな。苺が僕の部屋に入って来るなんて、どうかした?」
「珍しいね。お兄ちゃんが学校サボるなんて。そう言うの、しない人かと思ってた」
「何でサボりって分かったんだ」
「見れば分かる。お兄ちゃん、全然体調悪そうじゃない」
「まぁ、体調悪くないからな。で、何か用か?」
一瞬だけ、苺の表情が曇った。さっきまでジト目で僕のことを見ていたその瞳が今は僕を故意に外している気がする。
「お兄ちゃん、七科先輩と六花先輩から告白されたんだってね」
「……………………何で知ってんだよ」
「愁斗先輩から聞いた。お兄ちゃんがサボったっていうのも愁斗先輩が教えてくれたよ」
そう言って、苺は愁斗とのトークメッセージを見せてくる。っていうか、いつの間に愁斗と繋がってたんだ苺の奴。あと、愁斗も愁斗でわざわざ苺に告げ口しなくてもいだろうに。
「七科先輩も六花先輩も心配してたって…………何で今日サボったの?」
普段はただ無関心なだけの苺の声が今日は酷く怒っているように聞こえる。重たげな空気感も相まってか、普通に怖い。
「気まずかったからだよ」
関係ない、突き放すその一言が出てこなかった。僕は馬鹿正直に苺に本心を話した。
「ふーん、で?」
何か、アドバイスでもしてくれるか、それとも応援してくれるか、そんな僕の淡い期待はその一言で原型もなく弾け飛んだ。
「で、って何だよ」
「それで何? 七科先輩のことは一年前から知ってて今も仲良し、六花先輩とはこの三か月、濃密な思い出ばっかりで凄く楽しかった。二人から告白されて凄く嬉しいけど、これでどちらかの手を取ったら自分を含めた三人の関係性が壊れてしまう。何それ…………」
そこに手があったら突き放すようなレベルの冷たい声で苺は言った。こんな表情をされたことが今までになかったからか、必要以上に言葉が内心に響いて、でもそれでも分からなくて、僕は声を荒げる。
「何それって…………苺にも分かるだろ。僕にとっては愁斗とも前を入れた今の関係が凄く居心地が良いんだよ。壊したくないんだよ、僕は。苦難も楽しいことも一緒に乗り越えて、今があるんだ、それを思いの膨張だけで終わらせたくないんだ」
どこかで反発を入れることなく、苺は最後まで聴いていた。その顔を俯かせて、最後まで聴いて、そして声を上げた。
「ふっざっけんな!」
苺が席を立ったかと思えば、僕の頬には苺の拳が届いていた。衝撃と共に、僕の身体は再びベッドに倒れこみ、馬乗りになった苺から更に一発鉄拳制裁が入る。
「っ! いきなり何すんだ…………?!」
想像以上の痛みに流石の僕も怒ろうかと思ったところで、声が止まる。ポタポタと、頬に伝わる水滴。
苺の瞳から大粒の涙が流れていた。
「何が、壊したくないだよ。何が思いの膨張だけだよ。ふざけんな! 七科先輩も、六花先輩もどれだけその想いを我慢してきたと思ってんの?!」
「そんなの…………分かるわけないだろ!」
「ずっと、我慢して、それでもお兄ちゃんのことが好きで、二人ともお互いの好意を分かってた! でも、それでも、踏み出したの! お兄ちゃんのことが好きで好きで仕方ないから!」
嗚咽に、声を震えさせながら、それでも苺は言葉を紡ぐ。とてつもなく真剣なその態度は告白した葵木や舞代と同じくらい迫力があった。
「七科先輩も六花先輩も向き合ってる! なのに、お兄ちゃんは逃げるの?! 変わりたくないとか、壊したくないとか、周りを、逃げる口実にしないでよ!」
「何が、逃げる口実だ。ちゃんと、向き合ってるよ僕だって…………!」
「向き合ってない!」
「向き合ってるよ!」
まるで、幼少期のような口喧嘩。普段なら、ここまで発展する前にどちらかが気持ちを割り切ってしまうが、今日に限っては僕も苺も一歩だって引かない。
「じゃあ、何で今も答えを見つけられないのさ!」
まるで鋭い棘を突き立てられたかのような衝撃。とてつもなく言い返してやりたい苺の言い分だけど、それは間違いなく正論だった。
「それは……………………」
口籠って、苺から目を逸らす。向き合ってるから、辛いから、違う。僕はまだ、自分の奥底に眠るその感情に向き合えていない。過去に引っ張られるストッパーがその道を塞いでいた。
「お兄ちゃん……………………」
苺が再び、拳を振り上げて振りかぶる。きっといつまでも逃げ続けている僕に嫌気が差してきたのだろう。
直後に襲い掛かるであろう衝撃を想像しながら、僕は目を閉じる。
「そろそろ自分の気持ちに気付きなよ」
瞬間、痛覚を通さない衝撃が、僕の中を駆け巡る。僕と、葵木と、舞代を取り巻いていた出来事が脳内を流れてゆく。ずっと、ずっと流れて、葵木との思い出、舞代とも思い出、そして、やがては自分の感情に辿り着く。
見て見ぬふりをしてきたその感情が今は手の届く距離まで来ている。いや、今じゃなくてもこの気持ちとの距離は変わらないのだろう。きっと、届かなかった理由は、手を伸ばす意思が自分になかったからである。
「僕は……………………」
手を伸ばす。酷く冷たく凍り付いたその扉を開ける。もう、逃げない。葵木のためにも、舞代のためにも、何より自分のためにも。
「……………………そっか」
ゆっくりと目を開くと、額から拳一つ分の距離で寸止めされた苺のストレートがあった。もし、これ以上殴られてしまっていたら、明日は痛々しい傷跡ともに登校だっただろう。
「遅いよ……………………」
「ごめん、苺」
「別にいい。で、分かった?」
「あぁ、やっと分かった」
「あっそ。なら明日はサボらないでよ」
馬乗りだった苺が雑に僕からその身を離す。言葉とは裏腹にその表情は若干恥ずかしそうでほんのりと甘色を帯びている。
「ありがとな。苺」
「恥ずかしいから止めて…………ったくお兄ちゃんのバカ」
素直に感謝の念を述べると、苺はどこか気恥ずかしそうな様子ですぐに自室へと帰って行った。
「よし……………………」
苺が部屋を出て行った後、僕はすぐに携帯を開き葵木と舞代にそれぞれメッセージを送った。ただ、底に僕の気持ちは乗せていない。ただ、一言「明日返事がしたい」と、それだけである。
…………僕は君の傍にいたい…………
明日、僕は君にこの想いを伝えよう。ベッドの奥。窓のカーテンから覗かせる純白の雪景色を眺めながら、気付けば、僕は再び眠りについてしまっていた。
翌日。
普段であれば、放課後の電子音が鳴るこの時は非常に待ち遠しいもの。だが、今日に限っては抱く感情真逆。朝も昼もあっという間でそのまま放課後になってしまった。
「それじゃ、今日のホームルームは終わりだ。皆気を付けて帰れよぉー」
やる気に欠ける担任教師の声でホームルームの終わりを認識し、僕はすぐさま教室を出る。
「はぁ、はぁ、はぁ」
そして、急いで向かった先は一昨日と同じ場所。西側の空き教室である。僕は今日、ここで葵木と待ち合わせをしていた。
数回扉をノックして、中に入る。これでもかなり急いできたつもりだが、僕が呼んだ相手はもう既にスタンバイしていたようだ。
「今日は、来てくれてありがとな。葵木」
「まぁ、灯から直接メッセージが来たからね。行かないわけがないじゃん。で、返事決まった?」
普段通りの元気に僅かばかりの不安と緊張入り混じるといった様子で、葵木は問う。
「あぁ、決まった」
「聞かせて…………灯の気持ち」
ここで、一呼吸入れる。授業中、何度も脳内シュミレーションしたけど、やはり緊張は冷めることを知らない。
でも、だから何だというのだ。
もう、迷わない。例え、どんな結果になったとしても、僕は自分の気持ちを今ここで、嘘偽りなく葵木に伝える。
「告白してくれて、ありがとう。本当に嬉しかった」
「じゃあ……………………」
「だけどごめん、僕は葵木とは付き合えない」
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