第41話 答え




「だけどごめん、僕は葵木とは付き合えない」




 放課後、学校西側の空き教室。昨日一日、考え抜いたその答えを僕は声に出した。


「……………………どうして?」


 一瞬だけ目を見開いていた葵木はすぐに冷静さを取り戻し、優しい声で僕に問う。普段の元気でフレンドリーな声色とはかなり違った。

 きっと、今までの僕だったらここで本音を言うことは愚か、言い淀むことなく、声を出すことすら出来なかっただろう。


 けれど、今は違う。


「いるんだ……………………大好きな人が」


 気恥ずかしさに身体が熱を帯びる。いくら自分の気持ちを理解したとはいえ、内心まで冷静沈着を貫き切るのは不可能。気持ちが落ち着かない。


「……………………私じゃ、駄目なの? 灯は私のこと嫌い?」


 葵木の口から放たれたストレートな問い。流石に、たった一言「好きな人がいる」だけで諦めてくれるほど都合の良い話も、展開もこの場にはない。今にも泣きだしてしまいそうなほど揺らぐ瞳で葵木はじっと僕だけを見つめている。


「嫌いなわけないだろ。葵木のこと、大切な人だと思ってる」


 脳裏を過るのは葵木との記憶。楽しい時間をお互いに共有して、学校でもたくさん話したり、行事の時は協力して、本当に心地良かった。



「じゃあ何で、私じゃ駄目なの!」



 言葉と共に、葵木の感情が爆発した。



「私だって、灯のことが大好き。大切に思ってる! もうそれって両想いじゃん!」



 その表情は若干俯き気味で窺えないが、酷く感情的になっているのは分かった。というか、そもそも本気で声を荒げる葵木の姿を見るのはこれが初めてである。

「そうかもしれない」

「なら…………」



「けど、違うんだ」



 一瞬だけ、紡いだその言葉が怖かった。何だかんだ偉そうなことを言ったって、自信満々なわけではない。楽しかった思い出が脳内を流々としながら僕の内心を惑わせてくる。

 この一言じゃ、まだ僕の気持ちは足りない。だから今紡ぐ、自分の大好きな気持ちを。


「特別なんだと思う。僕にとって、その大好きな人が」


 変わりたい一心でその手をとった彼女との始まり。けれど、時間と共に見えていたものは見えなくなって、自信がなくなって、自責の念に駆られて。それでも、彼女はずっと僕の傍にいてくれた。


 ただの興味や憧れではない、彼女だけに抱くたった一つ、何物にも代えられない感情が確かに僕の中にあるんだ。


 放たれたその言葉は葵木からすれば槍よりも鋭いものだろうと僕は思う。でも、それが僕の本音で、ぶつけなければならない気持ち。見ず知らずの他人じゃないからこそ、内心からは悲鳴が上がり、心から広がった涙は全身に沁みる。


「だから、ごめん。僕は葵木とは付き合えないよ」


 想いをありのまま、声に出して最後にそう伝えた。そこから数秒の沈黙。葵木の声は聞こえず、久々にやって来た酷い外の雪風が窓枠を揺らしている。


「……………………そっか」

 軽蔑しただろうか、それとも僕を恨むだろうか。現実的にないことばかりが嫌な想像として頭に思い浮かぶ。要するに、内心はめちゃくちゃ不安なのだ。


 そこからの空白で更に不安を煽られて、恐る恐る顔を上げる。



「うん! 合格っ! 流石、灯だね!」



 だが、僕の不安とは裏腹に再び響いた葵木の声は普段の彼女そのものだった。荒々しさと呼べるものはなくなり、フレンドリーで明るい声調で僕に笑い掛けてくる。


「どうせ、相手はもう分かってたっての! でも、ほら灯って優柔不断だから、生半可な気持ちで選ぼうもんならぶん殴ってやろうかなって思って。でも、ちゃんと覚悟決めてたんじゃん! 主人公かよっ」


 違う、普段の葵木じゃない。


 今までに何度か見せていた取り繕ったような笑顔。そして、僅かだけど、震える声。まだ、話は終わってない、僕は半ば反射的にそう察知していた。


「でもまぁ、即決できなかった辺りはマイナスポイントね。うーん…………じゃあ、そこだけは私とのハグでチャラにしよう!」

 遊びの中の罰ゲームを彷彿とさせるように、上辺だけのテンションでそう提案する葵木。案外、放課後あの四人で遊んだりしたらありそうなシュチュエーションかもしれない。

「ちょっとだけで頼む」

 同情なしに、僕は普段通りのテンションを意識して答える。

「えー、どうしようかなぁ? えいっ!」

 言って、葵木は僕に抱き着いてきた。罰ゲーム感覚の割に、腕を背中に回してしっかりと僕の身体に絡みついている。


 きっと、それだけじゃないんだよな。きっと、


「ほんと、さっ」

 しばらくの沈黙を打ち破るようにして、葵木が声を上げる。ほぼゼロ距離で抱き着かれているからか、その表情は窺えない。


「分かってたよ。灯の気持ちは私じゃない誰かに向いてるって。分かってたんだから…………」


 ポツ、ポツ、ポツ、ポツ。まるで雨のように葵木の涙は頬を伝って抱き着いた僕の服に吸われていく。数滴、また数滴。留まることを知らない涙はやがて、滝を描く。


「あれ? 何で私………………………………泣いてるんだろ? あはは、おかしいな、こんなの……………………」


「葵木……………………」


「どうして、私、じゃないの。半年以上前から、私は、灯と、一緒に、過ごしてた! 立場だって、あの子と変わらないじゃん。告白の前も、バレンタインも、灯の好みを調べて、デートの時は、仕草も気を付けたり、したんだよ。気付いてよ、褒めてよ、好きって言ってよ!」


涙と共に出てきた、嗚咽交じりの声が空き教室内に響く。取り繕いなしの紛れもない葵木の本心。それは間違いなく今この瞬間、彼女が紡いでいるだろう。


「ごめん」


 葵木のことももちろん嫌いじゃないし、大切な友達だと思ってる。考えられるフォローはこれくらい。これ以上の同情は何か違う気がする。


「謝んないでよ!」


「ごめん」


「おかしいよ…………灯も、私も。おかしい。目の前で特別好きな人がいるって、ストレートに言ってきて、それなのに、どうしようもないくらい灯が好き!」


 しばらくの間、葵木はずっと僕の胸の中で泣き続けていた。「大好きだった」その言葉だけが何度も、何度も空き教室の中に木霊していた。






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