第42話 春、想い、結ばれる
「ふぅーちょっと楽になったぁ!」
すっぽりと埋めていた顔を出して、しっかりとしがみついていた手を離す葵木。先ほどとは異なり涙の痕で赤くなったその表情に嘘はない。声は泣き続けて若干鼻声になっているが。
「ごめんね、めっちゃ泣いちゃってさ。服びちょびちょじゃない?」
「ちょっとだけな。まぁタオルで拭けば大丈夫か」
なお、めちゃくちゃびっちょびちょな模様。
「そっか……………………そっか」
「まぁ、今日はタオルないけど………………………」
「えっ…………ったく何やってんの! ほらこれ、貸したげる」
葵木から借りたタオルで最大限の水分除去を試みる。結果からすれば、完全とはいかないものの、制服の湿り気はほとんどなくなった。
「ありがとな、葵木」
「別にいいって、これくらい。それより、行ってきなよ? まだ伝えてないんでしょ」
口ぶりからして、葵木はこれから僕が会う人物が見当がついているらしい。まぁ、誰かというか、もう選択肢自体が一つしかないが。
「そうだな」
「ちなみに、待ち合わせは?」
「えっ? 五時だけど」
「五時か…………まぁ、今から行ったら丁度いいか」
「だなぁ」
他愛なくて、当たり障りのない世間話をしているような感覚。最近は告白とかデートとか学年末テストとか、イベントごとが多かったからな。凄く久しぶりな感覚だ。
「行かないの?」
「行くよ」
葵木に背を向けて、教室の扉を開ける。長居してしまってもしょうがないからそそくさと出ようとしたところで、葵木から声が掛かった。
「あっ、ちょっと待って」
「ん? 何?」
「私のこと…………名前で呼んでくれない? この一回だけで良いから」
若干恥ずかしそうに言う葵木。もちろん、断る理由なんてない。というか、葵木さえよければこれからも名前で呼びたいところ。ではあるが、今は時間もないため、必要以上の言及は避けて、その願いに応える。
「じゃ、行ってくる。七科、また明日!」
「うん! またね、灯っ!」
相も変わらずキラキラと輝く葵木の笑顔に見送られて、僕が向かった先は校門前。今日の五時、僕はそこで舞代と待ち合わせをしている。
「あっ、灯君! こっちこっち」
時刻は五時丁度、若干急ぎ足で校門に出ると、端の方から舞代が手を振っているのが見えた。
「ごめん、待たせちゃって」
「ううん、大丈夫大丈夫。私も今着たところだから」
言って、舞代は微笑む。そう言えば、葵木はこれから舞代と待ち合わせしていることを知っている素振りだったが、舞代の方はどうなのだろう。変に予想されるとそれはそれで恥ずかしいのだが。
「それより、今日はどうしたの? 灯君の方から呼び出すの珍しいよね?」
「あぁ、ちょっと話したいことがあって…………それに舞代とその、一緒に帰りたかったし」
いくら悪天候で下校時間からずれているとはいえ、ここは校門。少ないとはいえ人通りはあるし、教員に見つかったりでもしたらそれはそれで面倒である。
「そっか、誘ってくれてありがとね!」
納得してくれたのか、舞代は再び笑顔で頷く。っていうかよく考えたら、舞代って体温がないから、恥ずかしくても顔が赤くなったりはしないんだよなぁ。と、その笑顔に見惚れながらも、今更な感想を抱いた僕だった。
「こっちこそ、来てくれてありがとう」
「じゃ、立ち話もなんだから行こっ!」
深い霧の如く吹き付ける雪の中、最寄り駅まで辿り着き、電車に乗って、行き着く先は自宅最寄り、毎日お世話になっている古めかしい駅だった。
「相変わらず、人が帰っちゃったら寂しいね」
電車から降りて数分の時が経ってしまえば、訪れるのは雪だけが通り抜ける寂しいプラットホーム。言うまでもなく、小さなベンチに座る僕と舞代以外は誰もいない。人も、動物も、電車の影さえも。
「そうだな」
「でも、私はこの駅好きだな………………………」
「何で?」
「今は真っ白で見えないけど、晴れていたら蒼い海が見えて、風が気持ち良くて、景色が凄く綺麗で。それにここは、灯君と初めて会った場所だから」
ニコッと笑って、舞代は手袋越しに優しく僕の手を握る舞代。不思議とソワソワする気持ちは薄れて絡まった思考の糸が解けていく。その想いが確かな言葉になる。
「舞代」
「うん」
「告白の返事、してもいいかな?」
「うん」
不思議と、舞代の表情に緊張の色はなく、かと言って答えに対する確信があるかと言われればそんな風にも思えない。彼女はただ、僕の声を受け止めてくれていた。
あの時、ここで即答できなかったことを今、紡いで声にする。
「最初はさ、ただの漠然とした興味だった。その正体が知りたくて、行動して……………………そしたらいつしか君のために頑張りたいって思うようになって、いつしか舞代に依存してた」
誰にも話したことのない当時の感情。否、恐らく僕自身この感情と正面から向き合ったのは昨日が初めてだった。
「変わりたくて、頑張りたくて手を取ったのに、僕は何もできなかったんだって。自責の念に駆られて、自信がなくなって、でも舞代はそんなどうしようもない僕に手を差し伸べてくれて、傍にいてくれて、好きだって言ってくれて……………………それで、やっと気付けた」
僕が舞代に抱くこの気持ち。それは、漠然とした興味でも普遍的な好意でもない。他の誰にも抱かない特別な気持ち。
僕は純粋に君の傍にいたいと思ったんだ。動き出す時間の中心で、ドキドキも、安らぎも、トキメキも、楽しみも、感動も、喜怒哀楽の全部、一緒に感じたい。
その気持ちが僕なりの舞代六花に対する大好きの答えだった。
「舞代六花さん、僕は君が大好きです」
人生で初めての告白。だけれど、どうしてか緊張と恥ずかしさは微塵も感じられなかった。全部出し切ったとでも言うべきだろうか。とにかく、今自分の発現に対しての後ろめたさは一つもないのだ。
「……………………灯君っ」
嬉しさか、それとも別の感情か舞代の瞳には大粒の涙が溜まり、いくつも駅のコンクリに落ちていた。
「どっ、どうした? もしかして嫌だった?」
ただ、頭では分かっていても、目の前で告白した相手に泣かれてしまえば、心配と不安の気持ちは湧いてくるわけで、僕は慌てふためいてしまう。
「ううん……………………逆だよ、凄く、凄く嬉しいよ。だから涙が出るんだよ」
言って、舞代は泣き顔のままはにかんで見せる。涙に濡れているのに、その表情はいつになく嬉しさを噛みしめているようだった。
「そっか……………………良かった」
今日一番と言ってもいい程の安堵。拒絶されたらどうしようなんて、不安の気持ちはまるで嘘のように吹雪へ乗ってずっと遠くへ飛んでいく。
「私も良かった。灯君の想いを一番嬉しい形で聞けたから」
両想い、そんな単語が脳裏を過る。そして、一つ。もし舞代が僕の想いに応えてくれるならと抱いた願望が喉元でスタンバイしている。
「舞代っ!」
名前を呼ぶ。この三か月、呼び慣れた大好きな人の名前を。もう準備は出来ている。
「僕と付き合って欲しい」
いつもならあたふたするところ、きっぱりと言い切ると、逆に舞代が言葉にならない声を上げてしまった。普段は見せない虚を突かれたような表情も凄く可愛い。
「いいの? 私なんかで……………………」
しばらくして落ち着きを取り戻したのか、少しだけ心配そうな表情をして舞代が問う。
もちろん、僕としては断る気なんて更々なく、その気持ちを包み隠す理由もないので、本音そのままに言葉を紡ぐ。
「私なんかじゃなくて、舞代じゃなきゃ嫌だ」
「でも、私結構重いよ。たくさん求めるよ。浮気なんて許さないし、他の女の子と距離近かったら、嫉妬して灯君のこと襲っちゃうかも。それに体温だってないんだよ。その、キスとかまともに出来ないかもしれないし……………………それでもいいの?」
「僕はそれでも構わない。重くても、たくさん求められても、体温がなくても、嫉妬深くても、舞代は舞代だから。そんなところも含めて僕は舞代のこと大好きだから!」
きっぱりと言い切る。今、ここで彼女を心配させたくない。何より僕の思う本心を彼女に伝えたかった。
「灯君………………………………」
涙を拭いて、舞代は一度その顔を俯かせる。どうしてか、先ほどまでとは異なり、その表情には恥ずかしさが色を帯びていた。
数瞬の空白を経て、舞代が顔を上げる。
「私も、灯君のことが大好き!」
かと思えば、舞代は声を大にして、そう叫ぶのだった。もし、周りに人がいたらきっと僕たちは注目の的だっただろう。まぁ、人はいないのだけど。
「灯君っ!」
舞代が一歩、一歩と僕に歩み寄る。気付けば、僕も一歩一歩と舞代との距離を縮めており、気付けば、お互いがその身を抱き合っていた。
「舞代っ」
「好き、好き、好き、好き、好き、大好きっ!」
「僕も、舞代のこと好き、好き、大好き、傍にいたい!」
柔らかな感触にドキドキと伝わる心臓の鼓動。気持ちが高鳴っているからか、舞代に触れても一切の冷たさを感じない。むしろ、人肌に触れたように温かくて、溶けそうになる。
「…………灯君」
顔を上げて、舞代が言う。
「私と、付き合ってくれますか」
僕の中で答えはもう決まっていた。
「もちろん、喜んで…………………………」
高鳴る心にいっぱいの嬉しさと喜びを込めて、僕は笑顔でそう答えた。
「これからもよろしく、舞代」
「六花」
手を伸ばすと、早速舞代が若干不機嫌な表情を作った。無論、激しい怒りではないのは見れば分かる。
「彼女のこと、名前で呼んでほしい」
「そっか。分かった」
言われてみれば、折角両想いで付き合えたというのに、今まで通りの苗字呼びは少しばかり寂しいか。僕はうんと頷き、彼女の名前を呼ぶ。
「六花、六花、六花………………………………」
名前を呼んでいるだけなのに、心が高鳴って何度も何度も同じ言葉を紡ぐ。ドキドキとトキメキの上昇気流は止まることを知らないのだ。
「もう、灯君、呼びすぎ……………………でも嬉しい」
お互いにその瞳を合わせる。澄んだ青空のように澄んだ透明水色の瞳は僕を見つ めて離さない
「大好きだよ…………灯君」
シンシンと降り続けていた雪と空に広がる雪雲はまるで最初からなかったかのように消え去り、空はマリンブルー。繋がった想いは太陽よりも温かく雪を溶かしていく。
「大好きだ…………六花」
雪と桜が交わる三月、ここから始まる物語。
澄み切った空の下、僕と六花は新たなスタートを切った。
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