第20話 水族館デート(仮)
「うん…………もう大丈夫か」
風邪と波乱のクリスマスから二日ほど経った朝。体温計に表示された体温は平熱と何ら変わりなく、重かった身体は完全に平常運転へと戻っていた。
「……………………うーん」
ベッドに吸い付いた身体を起こし、枕元のスマホを開く。時刻は八時、そして通知の欄にはメッセージアプリのアイコンが映っている。
正直、メッセージが誰のものかというのは想像に難くなかった。それはなぜかって? そりゃあ、昨日もほとんど同じ時刻に連絡が来たからな。
舞代
『おはよう、灯君。
体調はどう? 元気になったら連絡してね!』
やっぱりか。
予想通り、新着のメッセージは舞代から送られたものだった。看病だけでなく、わざわざその後の心配もしてくれるとは、何て親切な人なんだろう。
『私と、遊びに行こ?』
思い出される二日前の記憶。
まさか、楽しみに待っているのか。僕なんかと遊ぶのを。
今日ほど自分に自信が持てない日も案外珍しいものである。目に見えるもの全てが夢か嘘か、或いは勘違いに思えてしまう。それくらいに、僕には縁のなかった事象が目の前で起きているのだ。
「そうだ…………返信しないと」
一旦、思考停止の領域から離脱した僕はスワイプ入力でメッセージを送った。
佐倉灯
『おはよ。体調はもう兵器』
どうやら、かなり動揺しているみたいだな。文面上の僕の体調が人のそれじゃなくなってしまっている。
すぐに訂正すると、これまた再度メッセージ受信。
『じゃあ、今日は遊べるかな?』
どうしてだろう、文面だけ見ればただの当たり障りのない遊びの誘いなのに。送り主が舞代というだけで、とてつもなく緊張してしまう。
いや、考えろ。仮にこれが葵木だったとしよう……………………うん、こっちも緊張するわ。
数秒の思考。
もちろん、舞代と遊ぶことに対して嫌悪感を抱いているわけではない。むしろ僕からしたら凄く嬉しいことだ。だが、同時にとてつもなくどきどきしてしまう。
「なにせ、女の子と遊んだことないからな」
未知の領域、そこに今僕は踏み出そうとして、未だ足踏みのままである。
何を怖がることがあるというのだろう。舞代の善意を踏み躙る気か。
『本当、本当。言質取れたと思ってくれていい』と、いくら風邪であったとはいえ二日前、彼女に放ったその台詞に濁りはない。
『もちろんだよ! せっかくの冬休みなんだから、遊ぼう!』
断じて、この決断は内心のクレームによるものではない。決定された意思のままに、紡いだ言葉だ。
「まさか……………………な」
何となく、窓を開ける。今日は珍しく、雪雲の隙間から少しばかりの日差しがその姿を覗かせていた。
突然のお誘いから一時間後、最寄り駅。指定された集合時間より少しだけ早く来てしまった僕は何も考えず、その場に突っ立っていた。
「灯君っ! ごめん、待った?」
声を明るくして、駅前にやって来た舞代。集合時間よりも五分早いが、要点は断じてそこではない。
いつもの少しお堅い制服姿とは大きく変わって、清潔感を漂わせながらも、可愛さが強調された私服姿。控えめに言って目を奪われてしまうレベルだ。それに、何だかいい匂いがするような気が。
「いっ、いや! 全然大丈夫だよ」
言葉とは裏腹に、僕の心は開始早々、言うまでもなく乱されまくりである。
「ところで、他に誰か誘ってる?」
適当な話題転換として、僕は舞代に問う。もしかしたら葵木や愁斗、あるいはその他の友達を呼んでいるのかもしれない。返信の時点はそこまで頭が回らなかったことが、ここで効いてくるとは。
「ううん、今日は二人きりだよ!」
「…………?!?!?!?!」
衝撃的な一言に、眼球が飛び出てしまいそうになった。えっ、二人きり? それはつまりデー…………
「そっか。ちなみに、今日の行先は?」
あまり深く考えない方が良いと、本能に諭された気がしたので、僕は無意識のうちに話題を切り替えていた。
「隣町の水族館だよっ!」
「あぁ、一昨年くらいにオープンしてた」
ネット記事にも何回か取り上げられていた人気水族館だったような気がする。まぁ、今日は平日、世間一般の冬休みからは外れているので人でごった返していることはないだろう。
「うん、そこだよ。転校したときから行ってみたかったんだぁ」
嬉しさはそのまんま、少しだけ気の抜けた表情を作る舞代。私服姿も相まってつい、見惚れてしまう。
「ん、灯君どうかした?」
「あっ、いや僕も楽しみだなぁって思って…………」
「それなら良かった。じゃあ早速行こっ!」
あれ、舞代ってこんなに積極的で明るい子だったか。もう、今更でしかない疑問も一瞬。なんだかんだで、僕もこのデート(仮)を楽しみたいらしい。
移動中、いつもは変わり映えも面白みもないはずの電車内なのに、僕の内心はドキドキとトキメキでいっぱいだった。
「灯君、灯君。この水槽凄いね!」
意外というほどでもなかったが、予想通り平日の午前中ということもあって目的地の水族館はかなり空いており、場所によってはほぼ僕と舞代以外誰もいないエリアもあった。
ちなみに舞代曰く、水族館自体が久しぶりらしく、ちょっと大きな水槽でもこのテンションである。
「確かに…………魚、めっちゃいる!」
まぁ、久しぶりの水族館でテンションハイの語彙力ローになっている僕が言えてことではないか。
しかし、何で水族館ってこんなに楽しいんだろう。普段普通に胃袋に入れてる食材と括りは同じのはずなのに、食欲が湧かない。
やはり見せ方が上手いということだろうか。
「ねぇねぇ、灯君はどこ行きたい?」
捻くれた思考に自分でも呆れていたところ、興奮冷めやらぬ様子で舞代が問う。
ちなみに、僕もここは初めてであるため、次にどこに行くのがベターなのかは正直分からなかった。
「うーん…………じゃあ、あっち行ってみるか」
ということで、たまたま目に入った順路を進むという安直且つ外れのない選択肢に手を伸ばすことにした。
「そう言えば、灯君はどの生き物が好きなの?」
順路を二つほど進んだところで、舞代は水族館らしい話題を振ってきた。
どうしようか、なんて答えに迷ってしまっている僕の視界には舞代の後方、大きく広がる大水槽とそこを優雅に泳ぐ魚たち。気のせいか、「自分を選べ!」と、無言の主張をしているようにも見える。
「うーん、僕はカツオかな」
「カツオ? どうして?」
相当違うベクトルの解答をしてしまっていたのか、舞代が不思議そうに尋ねる。確かに、カツオは今まで見てきた水槽にいなかったからな。
「特に理由とかはないんだけど。初めて魚を見たのが、子供の頃にたまたまやってたカツオの一本釣りの動画だったんだ。あんなに大きな魚をいとも簡単に一発で釣っちゃうんだから、何か衝撃的でさ」
「確かに、一本釣りって迫力あるよね! それに、カツオのたたきって美味しいし!」
否定されるなり、突っ込まれるなりするかと思ったが、ここでまさかの肯定。しかも、カツオのたたきって…………確かに美味しいけれども。
水族館で魚料理の話をする少女は流石にレベルが違う。
「うん。そう言えば、舞代はどの魚が好きなの?」
「私はイルカかな」
「水族館の人気者だな」
「うん、それもあるんだけど。初めて行った水族館で唯一記憶に残ってるのが、イルカショーだったの。最前線で、見てびしょ濡れになって、それでもすごく楽しかった。見てて、わくわくしたんだ。何か、灯君の理由と似てるね」
「そうだなぁ」
大水槽を眺めながら順路に進むと、見えてきたのトンネル水槽だった。しかも、意外に長い。
「わぁ、凄い! 私、こんな水槽初めてだよ」
「僕これは初めてかも」
凄いな最近の水族館。正面だけでは飽き足らず三百六十度至る方向から魚を見ることのできるエリアがあるとは。十年近い水族館ギャップに今になって痛感してしまう。
「ねねっ、今サメがすぐそこにいたよ!」
まるで子供のようにはしゃぐ舞代。いつもの物静かな姿と比べるともう別人以外の何物でもない。無論、僕はどっちの舞代も知っているが。
「サメって普通の水槽にいるんだ…………」
「私も知らなかったよ…………」
思わずガラスに手が触れる。けど、伝わるのはフワフワとした毛の感触だ。
「「あっ」」
舞代と声が重なった。その瞳が向く先は僕と同様。お互い重なってしまっている手だった。ちなみに、舞代の方は手袋をしている。
「…………ごめんっ!」
僕はすぐに手を離し、謝罪する。いくら不可抗力とはいえ、デリカシーがないと自分でも思う。
「うっ、ううん。こっちこそごめんね!」
舞代も動揺隠せない様子で顔を真っ赤にしながら言っている。恥ずかしかったのは言うまでもないだろう。
「…………えっと」
数秒の沈黙。先ほどまで釘付けだった水槽には目が行かない。どうしよう、控えめに言って気まずい。
「つっ、次のとこ行こっ!」
「あっ、あぁ。そだな」
沈黙に耐えかねたのであろう舞代の提案に乗って、僕は順路を進んだ。今回は今までと異なり、真っ暗な空間が続いて、見えてきた扉からは外の光が漏れ出ていた。
「へぇー、外はペンギンがいるんだ」
「そうみたいだね」
優雅に泳ぐペンギンたちを眺めながら、進んだ先。もちろん、それがあるということは水族館なのだから、分かっていた。けど、まさかここまでナイスタイミングとは思わなかった。
『ご来場の皆さん! 本日はイルカショーへようこそ!』
たまたま、やって来たそこでは今まさにイルカショーが始まろうとしていたのだ。
「…………灯君」
舞代が、何か言いたそうな表情でこちらを見ている。何となく、何が言いたいかは分かった。けど、どうせなら僕が提案したい。
「一緒に、イルカショー見ない?」
舞代が何か言うよりも先に、僕はそう言っていた。そして、無意識のうちに彼女のコートの袖を引っ張っていた。
「え、えと…………」
やばい、何をやっているんだ僕は。
内心発狂ギリギリのラインで叫びまくる。恐らく、今僕は赤面しているのだろう。顔が熱い。
「ごめん、迷惑だったよな…………っごめん」
「ううん、そんなことないよ!」
舞代が僕の方へ振り返り、そして伸ばした服の袖を優しく掴んだ。どうしてだろうか、その表情は凄く嬉しそうで、だけど少しだけ恥ずかしそうで。
「一緒に、イルカショー見よ?」
それからは、もうあっという間だった。
イルカショーを最前列で一緒に見て、途中凄い勢いで水が飛んできて、めちゃくちゃ濡れた。その後は、館内のレストランでご飯を食べて、グッズコーナーでキーホルダーを買って。フォトスポットで一緒に写真を取ったりもした。
その一つ、一つがまるでデートのようで本当に楽しくて、ドキドキの連続だった。
「今日、とっても楽しかったね」
帰りの電車内、隣に座っている舞代が満足そうにそう言った。異性からこんな風に言われたら、取り敢えず取り繕った答えを返すのが一番楽だって、普段なら考えるけど。今日に関してはそのまんまの本心を述べるのが一番楽で、一番の選択だと分かる。
「うん、こんなに楽しく遊べたのは久しぶりだった。ほんと、誘ってくれてありがとう」
「灯君だから…………誘ったんだよ」
何か、舞代が独り言を言ったような気がしたが、上手く聞き取れない。というか、普通に疲れてしまって聴き取る気力がないのかもしれない。
「ん、今何か言った?」
「ううん、何でもない。それより、私も灯君と一緒に水族館行けて嬉しかったよ!」
車内を照らす夕日と疲労溜まる身体のせいか、舞代の表情があんまりよく見えなかった。
「それは…………良かったぁ」
どうやら本格的に眠くなってきてしまったようで、欠伸が我慢できなくなる。舞代には申し訳ないが、これは多分一分足らずで寝てしまうパターンだ。
「だから……………………その」
舞代が、何かまだ言いたそうな口ぶりで続ける。その続きが気になってかこの一瞬だけは僕の中の眠気も息を潜めてくれた。
「また、私、灯君とデート……………………したいな」
「絶対……………………また…………一緒に行こうな」
が、魔法が解けるのは十二時よりも早く。最後に言葉を振り絞った直後、僕の意識は夢の世界へフルダイブしてしまった。
「灯君、…………だよっ!」
朦朧とする意識の中で、かろうじて最後の聞き取れたのは恥じらいの色を僅かに帯びた舞代の言葉だった。
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