第14話 壊れていく
どういうことだ?
明らか不慣れな状況に内心そう思った。
終業式が終わった放課後、体育館裏はまさに非日常的な光景の真ん中。
「どうして…………」
僕の目の前、呆然と立ち尽くすのは舞代への告白を試みた芝野先輩。その視線が向く先は舞代の後方、大粒の涙を零す一人の女子生徒。
よく見ると、その人は同じクラスで葵木と仲の良い土河未希だった。
二人に挟まれる形で立っている舞代は明らかに狼狽えていて、冷静さを欠いている。逆に、ことが起こってしまったからか、葵木の表情には先ほどまでの焦燥感がなくなっていた。
ちなみに、愁斗はと言うと、表情様子はいつもと変わらないが、そもそも状況が飲み込めているか怪しい。
「未希……………………」
心配そうな面持ちで土河を見つめる葵木。いくら、先ほどよりは落ち着いていると言っても、その瞳はかなり揺れている。
「せんぱい、どうしてこんなところに、いるんですか? 今日は、用事がある…………って」
震える声で紡がれるのは、儚く散った淡い期待と、そして絶望の色に染まりつつある言葉。普段の土河を僕はあまりよく知らないが、少なくとも今のような感じではないと思う。
「いや、それは…………」
どこか後ろめたさが窺える芝野先輩の態度は不安の一途を辿る土河を完全に悟らせてしまったらしい。
「あはは…………馬鹿だなぁ、私。も、う、分かってるのに…………駄目だってっ」
そこまで言って、土河はその場に膝から崩れ落ち、ため込んでいた嗚咽を一気に開放した。
「ううっ、うっ。私、わたしぃぃ、芝野先輩のこと、ずっと…………」
緊迫した空気がさらに凍り付き、嗚咽交じりの声だけが体育館裏に響く。
「未希っ!」
耐えられなくなってか、それとも泣き崩れる友人の姿を見兼ねてか、葵木が土河を抱きしめる。
「土河さん………………俺のこと」
「せんぱい、私、ずっと、好きだったのに…………」
「ありがとう…………でもごめん。いくら振られたとは言っても、すぐに乗り換えようなんて俺は思えないから」
「でも…………でもっ!」
「……………………ごめん」
「私、ずっと、想ってきた、せんぱいのこと。なのに…………なのに」
芝野先輩に相当な好意があるのだろう。土河は振られてもなお、この場を動こうとはせず、その嗚咽交じりの声は言葉を紡ぎ続ける。
大粒の涙に濡れた土河の瞳が舞代を映した。
「なんで、舞代さん…………なの?」
もしかすると、こういった場面ではよくあるフレーズの一つなのかもしれない。恐らく、芝野先輩、愁斗、葵木の三人。そして僕も少なからず、そう思った。だから、態度や様子は違えど、反応は似ていた。
たった一人、言われた側である舞代を除いては。
「あっ…………あぁ…………っ?!」
狼狽えるとか、精彩を欠くとか、そう言うレベルの話ではなった。今の舞代の様子は明らかに、見過ごせるレベルを越えていた。
目の焦点はどこか定まらず、体は小刻み震えている。いつもはサラサラと風に靡くはずの純白髪も乱れてしまっていて、呼吸は浅い。
「……………………はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
白の吐息が立て続けに空へ上る。涙はまるで制御されることを拒むようにただただ、舞代の頬を伝って、大粒の雨を作っている。
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う」
なるべく穏便に済んでくれ、そんなことを多分心の底で僕は思っていた。けれども、もうそんな結果は訪れないだろう。直感してしまった。
「なに、が、違うの?」
レベルこそ違うものの、通常モードではない土河が舞代に問う。もはや日々油を注ぐ発言でしかないことなど、今の彼女には分からないだろう。
「私じゃない…………私じゃない…………私じゃ………………………………ぁ」
何を思ったのか、舞代は異常なまでの呟きを止めて、突然その場を走り去っていった。
「舞代っ!」
少なからず、動揺して足が竦んでしまっていたはずなのに僕の足はすぐに反応してくれた。周りなど気にすることもなく、走り出そうと踏み出す。
「待った!」
が、すぐにその腕を掴む手が現れる。声を上げて僕を止めたのは先ほどまでじっと事の顛末を見つめていた愁斗だった。
「ちょっ…………何で止めるんだよ!」
珍しく、自分でも驚くくらい荒く大きな声が出た。けれども、愁斗は真剣な表情を一切変えず、その手も緩めてはくれない。
「まずは、事情を聴くのが先じゃね?」
「事情って言ったって…………」
「葵木、それから芝野先輩、俺らに隠してることあるんじゃないか?」
愁斗はそう言うと、やや険しめの視線を葵木と芝野先輩に向けた。どちらもほとんど動じている様子はないが、それでもどこかバツの悪そうな表情である。
「知ってるなら、教えてくれ」
葵木と、芝野先輩にそうは言っているが、内心そんなことは舞代を説得するための建前だ。結局、僕は舞代が心配だったのである。
「…………分かった」
ここで、すんなりと了承の意を示したのは葵木だった。その表情にはどこか申し訳なさが窺える。
「俺も話そう。まさか、こんなことになるとは思わなかったからな…………」
そして、葵木と芝野先輩はそれぞれここに至るまでの経緯を端的に説明してくれた。もちろん、それを聞いたからといって怒りや軽蔑の念は一切込み上げてこなかった。
なぜなら、誰も悪くないから。土河の相談に乗った葵木も、何も知らないまま好意を打ち明けた土河と芝野先輩も、もちろん舞代も。
「ごめんなさい。私がもっと上手く立ち回っていれば、こんなことにはならなかったはずなのに…………」
葵木が深々と頭を下げる。とは言っても、別に彼女は一切悪くないわけであり、もはや立ち回りようがなかったので、どちらかと言えば困惑してしまうが。
「別に葵木が悪かったわけじゃないから…………それより今は、舞代を探さないと」
事情を把握し、力の抜けた愁斗の手をほどく。舞代がこの場を去ってから時間にして三十分弱、考えられる行動範囲はかなり広い。
「分かったわ」
「俺も手伝おう。少なからず責任は感じてる」
「当然、俺は手伝うぜ」
真面目な様子で葵木、そして芝野先輩が答える。愁斗の方は先ほどまでの深刻な剣幕とは打って変わって、いつものお調子者な彼に戻っている。
「取り敢えず、芝野先輩は土河を家まで送ってあげてください。で、愁斗は学校周辺を探して、僕と葵木は駅まで行く」
僕はそれぞれに指示を飛ばす。今もまだ落ち着いているとは言い難い土河を一人にするわけには行かないし、愁斗は家も近いからいざってときのためにここに残った方が良い。多分、最適な役割分担だと思った。
「あと、一つだけ。雪が酷くなったって感じたらすぐに帰ってくださいね」
何となく、嫌な予感がした。もちろん、確証があるわけではない。けれど、感覚的にもそんな気がしたのだ。
「じゃ、葵木行くぞ」
「えぇ!」
僕は葵木を連れて早々と駅の方へと向かった。
放課後、時間は丁度昼を回った頃。普段であれば賑わいを見せている駅前も今日は静かだった。
理由は見ての通り。朝の光景からは想像も付かないような激しい降雪のせいである。朝は小粒の雪が降るだけであったが、現在は吹雪さながらの光景が眼前に広がっている。
「舞代…………どこにいるんだ?」
一旦、葵木と別れて僕は駅の外を調べる。ただ、舞代はおろか、そもそも通行人すら見当たらない。
「灯、六花は?」
駅の中から小走りでやって来たのは葵木。傍に舞代の姿がないことから見て、多分見つからなかったのだろう。
「外にはいなかった。一体どこに…………」
「中にもいなかったから、もしかしたら学校の中か…………もしくはもう電車に乗ってるかも」
どちらもあり得る展開である。そもそも学校を出たか分からないし、僕と葵木がここに来るまでに乗れる電車は二つほど。片方は僕と舞代の最寄り駅に続く方面。そしてもう片方は全く別の方面だ。
「どっちに行ったんだ?」
ピロロロン。
突如として携帯の着信が鳴る。慌てて画面を開くとそこには柴山愁斗の四文字が表示されていた。
「もしもし、愁斗か!」
『あぁ、愁斗だ。で、どうだ? そっちは見つかったか?』
「…………いや全然」
『そうか。悪いけどこっちも学校は探してみたが、舞代さんらしき人は見当たらな
かった。あと、芝野先輩と土河に関しては無事に家に帰れたらしい』
取り敢えず、一つ心配事が消えて安堵する自分がいる一方で、いまだ不安な感覚は途切れることを知らない。
「そうか…………」
構内の窓から覗く外は一面白の世界。そんな状況でこれ以上、愁斗や葵木に捜索をお願いするのも気が引けてしまうところだ。
『どした?』
「いや、何でもない。とにかく外もこんな天気だし、悪いけど愁斗はそのまま学校に待機しててくれ」
『あぁ、そうするつもりだ。そっちに行けなくてごめんな』
それだけ言い残して、彼は電話を切った。直後、今度はメッセージの方に着信。見ると、舞代の住所らしきものが送られていた。
「…………灯、どうする?」
と、怪訝そうな表情で葵木は問う。けれども僕はと言えば、焦燥に纏まらない思考の糸が絡まって複雑になっていくばかり。
…………どうすればいい?
そう、自らに問い掛ける。
もしかしたら普通に家にいるかもしれない。そもそも、こんな天気で無理して探す必要なんてないだろ。
それが自分の内心に生まれたことが信じられないくらいには楽観的、あるいは他人事のような言葉。我ながら嫌気が差す。
結局は同情か、自己満足だろ?
何とも酷いことを言うものだ、僕の内心は。普段なら、ここで折れてしまっていたかもしれない。いや、あるいは変に自らを正当化して取り繕うか。
その選択に困難は伴わないはずだった。相手が、舞代でなければ…………明確に、僕が自分の意思を向けられる相手でなければ。
…………悪いけど、今はそんな気分じゃないみたいだ。
不思議と、熱い思いを紡いだ僕の思考に絡まりはなかった。駅までの道中では届かなかったところに思考の指先が届く。
「……………………そうだった」
ぽつりと、独り言を吐いて、僕は再び携帯を操作する。開いたのは愁斗とのメッセージ画面だった。
住所の下。そこに記されているのは携帯番号。もちろん、彼女の携帯番号である確証はない。が、期待しないわけにもいかない。
番号を打ち込み、電話をかける。出て欲しい、ただ僕はそう願った。
コール音がその数を重ねること数回。ガチャリという音とともに。コール音が止んだ。
『…………………………………………もしもし?』
電話越しに舞代の声が聞こえる。それは風と電車の音で今にも掻き消されてしまいそうなほどに弱々しいものだった。
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