第38話 蒼色の想い




「あれ? なんで、葵木がここに」



 放課後の空き教室。時間だって四時丁度。なのに、なぜかこの部屋には僕と葵木しかいない。普通に考えれば、あの手紙の送り主が葵木ということになるがいくら何でもそれはないだろう。

 葵木なら伝えたいこともそうだけど、わざわざ手紙を使って時間と場所を指定する必要はないはずだ。


 もしかして、場所を間違えたか。


「あぁ、ごめん葵木がいると思わなくてさ。それじゃあ僕はこれで……………」


 きっと、僕のことだから慌てふためいて集合場所を勘違いしてしまったのだろう。一度ここから出て確認しないと。呼び出し主に余計な不安を与えたくはない。


 そう言って、適当にその場を取り繕って空き教室を出ようとしたその時だった。



「約束は良いの?」



 息を呑む。引き掛けた扉を閉めて、僕は再び後ろに振り返った。瞳の中、真っ先に葵木を映して。


「何で知ってるんだよ」


 普通に考えるべきなのか、この状況。


 だって、僕が手紙をもらったって話は僕と愁斗しか知らないはずだ。否、もしかしたら愁斗が葵木や舞代に言いふらした可能性もある。でも、もしそうじゃなければ、答えは一つしかなくなってしまう。


「まぁ、いいじゃん、そんなの」

「よくない」


 葵木と二人で話すのは結構楽しいし、好きだけれども、常識的に考えて待ち合わせをすっぽかしていい理由にはなりえない。


「ちょっとだけ、話さない?」

「は?」


 だらしなく机に座り、僕に手を振る葵木。いったん背を向けて、手紙を確認してみるが、やはり集合場所はここである。


「ったく…………分かったよ」


 呼び出し主さんには申し訳ないと思いつつ、僕は葵木と隣り合う形で机に腰を落とした。






「もう、一年生も終わりだね」

「そうだなぁー」


 空き教室で待機してからおよそ十五分。もうすでに手紙の時間は大幅にずれているが、一向に人が入ってくる気配はない。

 真っ白な雪が降り続けている外を二人眺めながら僕と葵木は他愛のない話を続けていた。


「ほんと、あっという間だった」

「そうか? 僕からしたら凄い長かったよ」

「まぁ、六花の転校とか、球技大会とか、あとゲーム大会。色々あったしね。そう考えたら案外長かったかも」


「…………来年は、どうなるかな」

「何が?」

「いや、普通に来年どうなってるかなって思って」


 クラス替えから始まって、良くも悪くも、きっと新しい出来事に多く恵まれることだろう。ただ、今との変化がそこにあるかは怪しい。


「さぁね。でも、変わらないことはないんじゃない? 変わらない学園生活なんて、多分どこを探してもないから…………」


「そっか」


 葵木の言う通りだと思った。変わらない学校生活なんてない、当たり前だ。学年が変わるとかそう言う正論じゃなくて、きっと本人の気の持ちようとか、人間関係とか、流れるように変わっていく。


 なぜか、純粋に喜ぶことが出来なかった。


「ねぇ、灯」


 一呼吸置いたところで、葵木が再び口を動かした。どうしてか、いつもなら明るくて活気に溢れている声が今はどこか強張った声になっている。


「何?」

「覚えてる? 初めてちゃんと話した時のこと」

「あー、えーと…………」


 確か、席替えで隣の席になって、何を思ったのか、ホームルーム中にめちゃくちゃ積極的に会話したあれか。今思えば、よくそんな行動を取ったな僕。


「覚えてるよ」

「私と灯が仲良くなったの、あの日からだよね」

「あぁ」


 そう言えば、あのホームルームの後僕はすぐに葵木に呼び出されたよな。あれ、どうしてだったか。


「私さ、今でもちゃんと覚えてる。初めて話した後、放課後に灯が言ってくれたこと」


 流石にまだ一年も経っていない日のことを忘れる訳はない。否、今思い出しただけだが。


 確か、葵木が結構困ってそうだったから、アドバイスの意味を込めて結構上から目線に行ったんだったか。いや、もしかしたらヒーロー気取りだったかもしれない。


「誰も気付いてくれなかった、私の苦悩を灯だけは分かってくれた。灯だけは私に手を伸ばしてくれた、それが堪らなく嬉しかった」


「そっか」


 僕の言葉はともかく、やはりあの時の葵木は困っていたんだ。それまで一度も話したことなかったのに、それを察知できるとか、当時の僕の洞察力凄くないか。


「あの時の気持ちは今も全く薄れてない。でも、いつか、灯に伝えようって今まで逃げてた」


 先程の世間話みたいな話から特大の跳躍を経て、葵木と僕の間にはめちゃくちゃ重い空気が漂い始めていた。

 あれ、何か雰囲気が思っていたのと違うぞ。


「でも、それも今日で終わりにしようと思う」

「えっと……………………」


 先程からろくな返事が出来ない僕とは対照的に葵木の瞳は真剣さを増していく。覚悟を決めた眼というのはまさにこういう状態のことだろう。



「私は負けないから…………六花にも、弱い自分にも」



 一度、大きく深呼吸をして、


「もう二十分くらい遅れちゃったけど、今日は来てくれてありがとう」


 机から立ち上がり、窓に背中を向けた状態で葵木は言う。その表情は少しだけ赤みを帯びていて、僅かに恥ずかしさが滲んでいる。



『灯と一緒だから私も楽しいよ!』



「っ!」


 ふと、蘇るのは土曜日の記憶。まさか、そんなわけがない。ゆらゆらと揺れる僕の内心は一つの結果を悟ってしまっていた。



「今日、手紙で灯をここに呼び出したのは私なの」



 衝撃で飛びそうになった意識をすんでのところで呼び止める。心のドキドキが止まらなくて、冷静さも思考力も全てが無視されたように葵木の方を向いている。


「どうしても、伝えたいこと。伝えるから」


 緊張のボルテージが最高潮に達する。まさか、本当に、葵木が僕に――――




「私、灯のことが大好き! だから、付き合って欲しい!」




 あり得ないような予測が現実となる瞬間。まるで時間が止まったような感覚。射抜かれたような衝撃。


 言葉にする必要はないけれど、敢えて言葉にしよう。



 僕は、葵木に告白された。



「あの……………………」

 熱があるくらいに顔が紅潮している。喉と唇は渇きまくりで、言いたいことはあるのに、纏められない。


「灯っ」


 明らかなまでにテンパっていると、葵木が僕の名前を呼んだ。一見想いを言葉にして達成感があるように見えるが、よく見ると息が荒くて、未だに表情は赤み帯びつつ恥ずかしさを覗かせている。


「その、返事待ってるから。もう一個の方、行ってきなよ」

「あっ」


 葵木に言われるまですっかり忘れていた。僕の手にはまだもう一つ、送り主不明の手紙があるのだ。

 時計を確認する。ここから駅までの時間を逆算するともう時間はギリギリだった。


「ごめん、返事は多分すぐにできないけど、行ってくる! じゃあ、また!」

「行ってらっしゃい、灯っ」


 慌てて、空き教室を出る。その直前、一瞬だけ教室内を見ると、再び机に座り、ニコニコと手を振る葵木の姿が。

 内心高鳴る鼓動に気付かない振りをして、僕は駅前に向かって純白の道のりを走り出した。






「はぁ、はぁ」

 時刻は五時前、学校から急いで来たおかげか、何とか手紙が指定した時間に間に合うことが出来た。

「一体……………………誰が待ってるってんだよ」

 駅前、その周囲を見渡すが、映る人々は帰路を辿る社会人や学生のみ。僕みたく、その場に止まる人はほとんどいない。


 もしかして、今度こそ噓告白か。


「流石に、誰もいなかったら悲しいよ、これ」


 ただ、現実は言葉とは真逆。どうやら、まだ悲観するには早いらしい。


「待ってたよ、灯君」


 降り続ける真っ白な雪に交じって、僕のすぐ後ろで聞き慣れた声がした。まさか、そんなことあるのか。だって、手紙なんか書かなくとも、呼び出すくらい簡単なのに。


「っ…………!」


 やっと、分からないことの数々が繋がった。


 ほぼ同タイミングで僕の下駄箱に置かれた二通の手紙。そして、中を見た途端協力を拒んだ愁斗、と「その選択が正解だ」という台詞。そして、葵木の告白。彼女はもう一つの手紙の存在を知っていた。どうしてか、それは相手を知っていたからだ。


 不安はあるけど、疑問はない。

 これからの結果をちゃんと受け止めることを決めて、僕は振り返る。

 肩くらいまで掛かるサラサラの純白髪、透き通るような水色の瞳、日焼けなど一つもない程色白い肌に華奢な体躯。それでいて、漂うオーラは普通の女子高生とは少しだけ違う。


 そんな、僕の知ってる彼女。


「お手紙呼んでくれてありがとう、灯君」


 舞代はニコッと笑って、僕の前に立っていた。




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