第5話 動き出す




 はぁ、はぁ、はぁ。息が苦しい。


 そりゃ、そうか。だって、学校からここまでほとんど止まることなく走っていたのだから。


 冷たい空気は少しだけ吸い込みずらくて、余計に疲れる。おまけにインナーウエアは汗で濡れてしまって、全く防寒の意味を成していない。


 突如として教室を出ていった舞代を追って、僕がやってきたのは駅前だった。もちろん、彼女がここにいるという確証があったわけではないが、転校生である彼女が学校以外で行くところと言えば消去法で大体予想は付いたのである。


 お昼時ということもあり、人の多い駅前を何とか突破。そのまま、定期券を通してプラットホームに向かう。


 階段を上がり切った瞬間、乾燥した冷風と雪の粒に出迎えられる。人気と活気に溢れた駅前が季節外れの寒波に抗っているとしたら、ここは静寂と寒さに支配された結界とでも言ってしまうべきだろう。


「…………はぁ、はぁ」



 逃げるように教室を去った独りの少女はその一番端、雪を被ったベンチに座っていた。



 雪を被った純白の髪は少しだけ乱れて、藍色のダッフルコートの半分は雪だるまみたいになっている。ただ、そんなことを気にする様子もなく、少女は顔を伏せてそこを動こうとはしなかった。


 声を掛けるべきか。と、内心、もう一人の僕が呟く。


 何を今更そんな愚問を言っているのだ。答えはもう教室を出た時から決まっているではないか。


 踏み出す一歩は大きく、滑りそうになる足元は慎重に、着実に。そうして辿り着いたベンチの目の前。僕は言葉を紡いだ。


「…………舞代、大丈夫か?」


 少女――――舞代がゆっくりと顔を上げる。最初に目に入ったのは涙の痕と寒さで少しだけ赤みを帯びた目元。きっとあの後、泣きながらここまで来たのだろう。

 それから数瞬。


「…………佐倉、君?」


 呆然とした色のない瞳が僕を映したのか、再び透き通った色を帯びる。舞代は驚いた表情で僕の名前を呼んだ。

「なんで、ここに?」


「学校、早退してきた」


 黙って舞代の隣に座る。悪いとは思ったけど、ダッフルコートと髪に付いた雪も払わせてもらおう。流石にこんな世の中全てに絶望したようなクラスメイトの姿、僕は見たくない。

「ごめん、雪払うな」


「駄目っ、私に触っちゃっ!」


 舞代の髪に触ろうとした瞬間、舞代が声を上げる。焦燥に溢れたその声と様子は、教室を去った直前の出来事に重なっていた。

 手袋越しに、手を払いのけられる。さっきと同じだ。クラスメイトの女子と軽く手が当たりそうになっただけだというのに。どうして、


「何で?」


 それは、ありのままの本心。どうやらこの場で生まれた疑念が、心の言葉を外に直通させてしまったらしい。

「そっ、それは…………」

 ひどく狼狽した様子で舞代が声を上げる。やはり、ちょっと手が触れそうになっただけでこれはおかしい。少なくとも常識的な反応ではない。


 開けたい、これがどんなに危険なパンドラの箱だったとしても。


 雪降るプラットホームでの出会いから、抱き続けた不確かな興味が大きくなっていく。

「君に対する見方が変わることはないって言ったら教えてくれるのか?」

 一番関連のありそうなワードを連想して、問う。この動揺からして、図星だと思うんだけどなぁ。少なくとも隠し事を言ったら即死とかいう鬼畜要素はこの世に存在しないだろう。


「…………本当に?」


 ほら、断固拒否とはならない。やはりこの世に悩み事相談で即死なんて言う鬼畜要素は存在しない。


「もちのろん」

 逆やふざけた返答をするタイミングではないが、反射的にそんな反応が飛び出してしまう。


「…………分かった。でも、このこと、絶対誰にも言わないでね」


 が、この場違いな返事がお気に召したのか、それとも、落ち着きを取り戻したのか、舞代は数秒の思考の後に、僕の要望を是とした。

「絶対驚かないでね。なるべく、オブラートに包んだ言い方をするけど…………」

 告白の前に更なる釘差し。どれだけ重い話なんだろう。いや、もしくは生々しい話か、ホラーか。どちらにしても驚かない自信はあったため、僕はコクりと頷く。


「私、体温がないの」


 おっと……………………何を言い出すんだこの少女は。流石に冗談だろ。

「しかも体温がないだけじゃなくて周囲の気温も奪ってしまうみたいなの」

 ファンタジー小説やアニメの過剰視聴だろうか。それともメルヘンな少女だろうか。はたまた中二病の類か。

 そんな淡い平和的思考はもう止めよう。舞代の失意と儚さを含んだ瞳が僕を射抜く。


 直感した、これはマジであると。


 そして、数秒の後によく考えてみる。

 舞代と初めて出会った時の朝のこと。よく考えてみればあの日からだったな。季節外れの大雪が始まったのは。加えて、舞代が来てからというもの天候は悪化するばかり、気温は下がるばかりである。


 むしろ、これでも疑う方が馬鹿らしいな。


「なるほど。それで、手に触れられそうになって、咄嗟にクラスメイトの手を強く振り払ってしまい、気が動転して学校から飛び出したってことか」


 まさか、不思議なオーラの転校生にこんな秘密があるとは。最初であった時から目が離せなかったのは、もしかするとこれが原因だったのかもしれない。


「うん。あの時はもう、頭がパニックになってたから」


 そりゃあ、バレたくない秘密が露呈しそうになったら誰だって百パーセント正気じゃいられなくなるだろうさ。こればかりは責めたところで仕方ないし、これ以上言及したところでどうしようもない。


「……………………思い出すと怖いな」


 それからしばらくのしばらくの無言空間を壊して、舞代が一言。心なしか、その声はさっきよりも震えていて、若干の嗚咽を含んでいるように思える。


「クラスメイト皆から冷ややかで切迫した視線を押し付けられる瞬間のこと。もちろん今日が初めてじゃない。けど、頭から引っ付いて離れてくれないの。

 理解できないって顔も、冷たい視線も、何気ない同情とオブラートな失望も、思い出すと、全部が怖い」


 嘘を言う場面でないのは分かる。つまり、これが舞代の本心。声の震えはその大きさを増し、瞳に溜まる涙はやがて頬を伝っていく。


「本当は知らず知られず、見せかけの交友関係も、私には持てないのかな?」


「やっぱり、ここでも一人ぼっちなのかな?」


 ぽたぽたと止まることを知らない涙に濡れた舞代の顔。泣いているところも、客観的に言っても、超絶可愛いし、何より庇護欲を掻き立てられる。が、どうやら今の僕にはそんな客観視は必要ないらしい。


「それは違うよ!」


 荒げた声はどうやって出すのだろうか。分からないまま、なるべく声を張る。というか、そもそも声を張ったのはいつぶりだろうか。今だけはこの感情が、惰性の鎖を解いてくれた。


「舞代は一人じゃない。今日だって、傍に人はいた」


「でも、いなくなっちゃった」


 決まったわけじゃないが、あのクラスの女子たちがこの後も舞代と今のままの関わるとは思えない。きっと、距離を置かれてしまうだろう。


「なら、僕が君の隣にいるよ!」


 だからといって、まさか、ほとんど見ず知らずの、しかも異性に対して、こんな言葉が出るとは思わなかった。

「…………え?」


「そのまんまの意味だよ。たとえ、君が一人になっても、僕がいるよ」


 こういうセリフはよく漫画や小説で見たが、まさかこんな純粋な気持ちで言えるとは。今なら、創作物でのこういうシュチュエーションの良さが分かる気がする。

 「どうせ下心で動いている」とか言ったのは誰だよ。当時の僕は無知であることすら知らなかったらしい。


「あっ、もちろん嫌ならいいんだよ。そりゃ、僕なんかいなくても舞代ならそばにいてくれる人の一人くらいはいるだろうしさ。それに僕なんかといても楽しくないかもだし…………だからその、これは提案だから! 強制じゃないから!」


 変に日和っているヘタレの少年に思われただろうか。いや、でもきっと本質的に僕はそういう人間だから。どうせいつかぼろが出るなら、今の間に出しておいた方が良い。


「…………初めてだよ。佐倉君が」


「えっ?」

 聞き間違いを疑うような文言を舞代は返す。受け取る感触があるとすれば、それは本当に優しくて心地良くて、それでも確かな刺激があった、とでも言えようか。


「冬になって初めての、私の傍にいてくれる人…………ってことだよ」


「なっ…………!」

 いざ、面と向かってこう言われると、流石にドキッとしてしまう。そうだ、体温がないとかいうぶっ飛んだ設定で忘れていたけど、この子、とてつもなく可愛くて綺麗な美少女だ。


「まさか……………………嘘とかじゃないよね?」


 直前になって僕の動揺する態度を不審に思ったのか、突如舞代の冷たい声。よく見ると、目のハイライトがオフになっている。

 もしかしたら半目で寝ているのかもしれない。多分そんなことを言った後には大変なことが待っているだろうが。


「んなわけないだろ」


 何とか冷静にツッコミ返しすることができた。それを聞いて、舞代のハイライトが戻る。どうやら半目睡眠は終わったらしいな。


「…………良かったぁ。嬉しいな、私」


 さっきはちょっと怖かったけど、多分ここ半年くらいずっと人の温もりに飢えていたのだろう。もちろん、これくらいは全く以て許容範囲内である。


「じゃあ、早速今日から、よろしくだな、舞代!」

「うん、よろしくだね。灯君!」


 あれ、舞代。僕のこと、下の名前で呼んでくれるのか。


 これは僕も併せて下の名前で。と、一瞬思ったが、流石に六花って呼ぶのは僕にとってハードルが高い。それに葵木だって苗字呼びだ。今は、このままでいいような気がする。


 ガタゴト、ガタゴトと音を立てて帰りの電車がホームにやってくる。いつもはかなり満員な電車も、この時間ならかなり中に余裕が見えた。


「じゃ、帰ろっか」


 先程、一人でベンチに座っていた時とはまるで、別人のように明るくて、それでも可憐な舞代が言う。声も学校の時より何だか楽しそうだ。


「ふぅ…………良かった」


 今日一番の安堵を声に乗せて、僕は暖房の効いた温かな電車に乗り込む。僕らを見送るつもりなのか、外を吹雪く強めの雪風は晴れ、視界の白が霞んでいく。

 

 雲の隙間から覗かせた太陽に照らされて、電車は駅を出発した。



※3月23日修正

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