第6話 友達




 舞代の早退事件翌日。


 昨日に比べれば一段と暖かくなった外気に、僕は気持ちの良い寝覚めを迎えることができた。


 もしかすると、昨日のことは全て夢の中の話だったのではないか。という不安要素は携帯を確認すればすぐに消し飛ぶ。


『もし良かったら、今日一緒に学校行かない?』


 メッセージの送り主は舞代六花。恐らく、昨日の帰りにでも連絡先を交換していたのだろう。昨日は帰りの電車に乗ってからというもの、ひどく疲労を感じてしまっていたからな。乗車以降の記憶が曖昧である。



 電車に乗る前の記憶はしっかり残ってるんだけどな。



 思い出せば、そこそこ恥ずかしくなってくる。「王子様気取りかよ、全く」と、言ってしまいたくなるところだ。


 まぁ、結果的に舞代の気持ちを前に向けることができたので、今更後悔はしていないけれどもね。


「さて……………………」


 ここ数日、十分近く粘っている寝床との決別が今日はすんなりである。もちろん、さほど気にすることでもないので、そのまま学校の準備に移るが。


 テレビの天気予報を見ると、気温が昨日よりも五度くらい高い。今日は、舞代の能力がうまく働いていないのだろうか。それとも、ラッキーなだけか。


「まっ、いっか」


 取り敢えず、折角誘ってくれた舞代に悪いからな。さっさと準備して、今日は一緒に登校しよう。





 シンプルな味付けながら、実に美味な朝食を頬張った後、歯磨きを済ませて、僕は家を出る。特に意識したつもりはなかったのだが、いつもよりも少しだけ時間に余裕があるようだ。これは、少し電車を待つことになりそうである。


 案の定、駅に着いた時点で待ち時間は十五分を超えていた。ただ一つ、予想できなかったのは先客がいたことくらいか。


「灯君、おっ、おはよう!」


 そう言って、ニコッと笑顔を作る舞代。ただ、少し緊張しているのか少しだけ表情が強張っている気がする。


「おはよう、舞代」


 なるべく気楽そうに、それでいて適当じゃない感じで。言葉にしてもよく分からないままのイメージで、僕は声を掛ける。それから、取り敢えず電車を待とう。

 

「…………昨日は、ありがと」


 互いの沈黙を破り、ポツリと舞代が言葉を零した。

「うん、大丈夫。むしろあんまり友達いないからさ、舞代と仲良くできるのは僕も嬉しいよ」


 もちろん、盛ってはいない。いや、捉え方によれば、友達と思ってる自意識過剰な奴とか思われていないかの方が心配である。


「…………うん、私も嬉しいな」


 少しだけ、俯いて舞代は言う。表情は良く見えないけど、何となく恥ずかしそうな様子である。


「そう言えば、今日はちょっと暖かいな」


「そうかな?」

 話題を変えようとして、思い出した。確か、今の舞代は体温がないのだった。寒いとか、暖かいとか、体感温度に関してはかなり鈍いのかもしれない。

「うん、多分」



 それから、電車が来るまでの間。僕と舞代は二人だけの時間を過ごした。趣味とか、好きな食べ物とか、最近会った面白いこととか、そんな他愛もない話。でも、凄く楽しくて、いつも感じている漠然とした疲労感も吹き飛んでしまう。



「へぇー、舞代ってやっぱり趣味は読書なんだな」

「どうして?」

「いや、てっきりクラスの質問を撒くための張りぼてかと…………」


「そんなことないよ。読書とジョギングは私、結構好きなんだ。まぁ、家が学校の近くっていうのは嘘だけどね」

「現に、かなり離れたこの駅にいるもんな」

「ふふっ…………そうだねっ」


 そう言って、舞代はクスッと笑う。いつもの凛とした顔立ちも素敵だが、こうして破顔一笑したときの表情もかなり可愛い。思春期の男子生徒ならこれだけで恋に堕とせるのではないだろうか。それくらいには凄い。


 と、ここでプラットホームに届くのは電車の走行音。案外十五分ちょっとの時間というのは短いものだ。舞代と話していたらすぐに来てしまった。


「あっ、電車来たみたいだ」

「…………うん」


 先程の雑談中と比べるとどうして沈んでしまったことが目立つ声。表情を見ても、明らかに舞代の表情は沈んでしまっていた。

 もう電車はすぐそこ。停車のための減速態勢。


「なぁ、舞代」


 昨日みたいに出来るだろうか。いや、深く考えてしまうとどうにも恥ずかしいから。敢えて思考を捨てる。

 そして、できる限りの笑顔を作る。



「学校、行こうぜ!」



 数瞬の間。


 やっぱり、唐突過ぎたか。舞代も何が起きたのか分からないって感じだ。やっぱり少女漫画の男子キャラって凄いな。こんなヘタレ陰キャの僕とはレベルが違い過ぎる。

 とは思ったが、考えてみれば僕と舞代の関係性はクラスメイトから友達になっているのだった。

 孤独な少女に友達からの一声は聞いたようで、一時のタイムラグを終えた舞代の表情に沈降は見られない。



「うん!」



 覚悟を決めたとまではいかなくとも、彼女は確かに、自分の足で電車に乗り込んでいった。






 とはいえ、昨日あれだけの行動に出てしまった場所に対して完全に抵抗を割り切れるわけもない。

 

 駅から通学路を歩き、校門に差し掛かったところで、舞代の表情には再びの不安が宿ってしまっていた。

 

 やっぱり、まだ抵抗あるよな。


 特に当事者であるクラスメイトに近付くのはきついだろう。せめて、僕以外にも誰かと話せるようになったら少しは気が楽になるんだろうけど。


「一人じゃないから、大丈夫」


 逃がした方が良かっただろうか。少しだけ迷ってしまった。でも、今逃げても状況が変わるとは思えない。お節介であることには間違いないが、それでもなぜか彼女を放っておけない自分がここにいる。


「…………うん、ありがと」


 数分の抵抗こそあったものの、そこから教室にたどり着くまでは案外すんなりだった。が、そのままの調子でいかないのが、この教室。


「おはよー」


 扉を開けると同時に教室内は驚きと喧騒に支配されてしまった。


「…………えっ」


 激しい動揺の数秒前といったところだろうか。舞代の表情が恐怖と不安に歪む。これは、まずいな。


「大丈夫、非難とかじゃないから」

「でも、皆が……………………」

「大丈夫だから」


 静かに、だが確かな意志を込めて僕は舞代に言う。いや、耳に入ってくる会話から大体内容は分かるが、これを言葉にして説明するのは、個人的に無粋だ。


 そりゃあ、昨日の揉め事の後飛び出した生徒二人が一緒に登校してきたらこういう反応になるだろうけどさ。


 無論、これ以上内心で責め立てる気もない。恐らく、僕も傍観者の立場に回ったら少なからずそう思うだろうから。


「多分、席座って静かにしとけば大丈夫。あとは、気にしないで」


 あまり勘繰られないように静かに耳打ちする。幸い、少々の動揺を見せていた舞代もこれには冷静な対応を見せる。


 近過ぎず、遠すぎずの距離。もちろん、これは今だけ。今だけは、我慢の時間だ。


「おいおい、どうしたんだ灯。転校生と一緒に登校なんて」


 着席早々、挨拶もなしに愁斗が問い立ててくる。ただ、さほど声量はないので僕と愁斗それ以外だと、隣に座る葵木くらいにしか、この会話は聞こえていない。


「まぁ、ちょっと色々あってさ」


「昨日、わざわざ授業抜け出しちゃったもんね」


 少しだけ機嫌が悪そうな様子で葵木が言う。いや、これはかなり機嫌が悪い。


「何かあった? 昨日」


 睨みつけるとまではいかないものの、かなり鋭い葵木の視線が僕を磔にしてくる。流石に、噓八百という訳に行かず、僕は二人に帰納の出来事を話した。もちろん、舞代の秘密は全抜きで。


「…………ふーん、要は灯はクラスに馴染めてなさそうな舞代さんが少し前から心配で、それが昨日あんな風になっちゃったから追い掛けたら、そのまま仲良くなったって訳か」


「納得できたか?」

「まぁ、大体は。でも、私たちに一切相談なしはマイナスポイントだね」

「それは、ごめんな」

「まぁ、いいよ。今話してくれたし」


 愁斗はともかく、葵木も大体は納得してくれた様子。こんな二人が仲良くしてくれるとは、今一度自分が恵まれていることを実感し、感謝する。


「で、今日に至るまでの経緯は分かったけど、これから灯はどうするの?」


「そうだなぁ…………」

 あんまり詳しくは考えていなかったけど、葵木の言う通り、大事なのはこれからだ。仮に、僕との友人関係があるとはいえ、今の舞代にあるのはそれだけ。もちろん、彼女がそれ以上望まないのなら、僕はそれでもいいが。やはり個人的には彼女に交流の幅を広げて欲しいという思いがあった。


「その様子だと、何も考えてないじゃん」

 葵木が呆れた様子で言う。少しだけ癪に障るが、図星であることを認めざるを得ない。


「何も、ってわけじゃないけど。まだ具体的には…………」


「はぁ、仕方ないなぁ」

 大きく息を吐いて、そして葵木は再び顔を上げた。そこにあるのはさっきまでの不機嫌そうな表情ではなく、いつもの活気ある表情。


「私も協力するよ、その話」


「えっ、マジで?」

 想定外の答えに思わず声が出る。

「マジもマジ。愁斗も手伝うよね?」

「えっ、俺? 俺はもちろん手伝うよ。転校生のピンチとあらば、黙っちゃいられないぜ」


 葵木に問われた愁斗もまた、即刻了承。特にそこには迷いや言わされている感じはなく、二人の確かな意思を感じる。


「二人とも…………ありがとな」

「いえいえ。にしても、灯がこんなにやる気出すなんて珍しいな。もしかして、お前」


 僕の感謝に快い返事を送るのは愁斗。ただ、最後の一言は余計でしかない。そんなはずないじゃないか。


「…………違ぇよ」

「とか言っちゃって、どう思うよ葵木?」


「…………そんなの知らない」


 不愛想極まりない返答だな。いや、別に僕が舞代のことをどう思っていようが、葵木に関係ないからな。それはわざわざ聞く気もないだろう。


「はーい、席に着け。一応ホームルーム始めるぞぉー。まぁ連絡はないけど」


 そんな僕たちの協力関係成立には一切関係なく、担任がやって来る。そして、いつものように放任的なホームルームが始まるのだった。




※3月23日修正


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