第4話 早退して、追い掛ける




 昨日同様、季節外れの寒さがプラットホームを襲う。いや、もしかすると昨日よりも寒いかもしれない。


 電車から降りたらすぐ教室、なんて状況に一度でいいから遭遇してみたい。それくらいには駅前から学校までの道のりを僕は拒んでいた。


「はぁ、でも行くしかないんだよな」


 行かなきゃ遅刻するから。


 プラットホームを後にして、駅前へ出る。ほんの気休めでしかないが、途中で温かい飲み物を買った。

 座って、一口。熱された水分が身体中に行き渡る。

「温まるなぁ」

 よし、モチベーション湧いてきた。ということで、駅前を離脱。深々と雪降る大通りを少し早足で歩いて行った。





 丸二日も季節外れの大雪に見舞われた校門前は白が地面の大半を占めていた。


 他学年の男子だろうか、校庭で雪を投げ合う生徒が数名。よく見ると、何人かは手袋をしておらず、素手で雪合戦に参加している。


「凄いなぁ、高校生」


 いや、お前も高校生だろ。と、僕は数秒前の自分にツッコむ。そうだよ、僕も高校生だよ。でも雪合戦できないよ。寒いから。

 ただ、過去の懐かしさに刺激されたのか、少しだけ雪玉を投げてみたい気分になったのまた、事実である。


 厚めの手袋いっぱいに雪を取り、慎重に丸める。流石に遠投して誰かに当たると迷惑になるからな。

 ノールック且つ適当に威力を殺して、雪玉を後ろに投げる。


「ふぎゃっ?!」


「えっ?!」

 あまりよくない手応えがあった。加えて、この悲鳴。振り返ると、綺麗なブラウンコートに雪を塗した葵木がいた。


「あの…………その、すまん葵木。わざとじゃないんだ」

 そう言って、手を貸す。


「…………じゃん」


 その場に立ちながら、葵木は何かを言っている。が、風の音でよく聞き取れない。

「えっ、何か言ったか?」


「わざとじゃん! 私が声掛けたの聞いてから投げたでしょ?」


 濡れ衣である。が、反論してもしなくても待ち構える結末は変わらないだろう。何となくそれは察した。


「うん、うん。わざとなら反撃しても問題ないか…………うん、問題ない」


 両手いっぱいに装填された雪玉。これは流石に、逃げた方がよさそうだな。

 一歩、一歩。後方に下がる。そして、葵木の手から雪玉が離れると同時に、僕は校舎へ向かって全力ダッシュした。





「おはよー!」


 教室の扉を開けて、自分の席に滑り込む。


「おいおい、どうしたよ?! そんなに急いで」


 入室早々、心配の声を掛けるのは愁斗だった。面白可笑しく返答しようと思ったが、どうやらもう手遅れだったらしい。

 突如、僕の肩に誰かの手の感触。強制的に後方へ振り返えさせられると共に、顔面の辺り冷たく新鮮な衝撃が走る。


「ぶはっ!」

「お返しっ!」


「あー、なるほどね」

 フンと鼻を鳴らして、煽る葵木の声が聞こえる。何かを察したような愁斗の声が聞こえる。そして、ざわざわとその他クラスメイトの声も聞こえた。

「ほれ、タオル」

 再び、愁斗の声と共に、右手に布の感触が生まれる。恐らく気を利かせてタオルを渡してくれたのだろう。

 遠慮なく顔を拭いて、僕の視界は白から解放された。


「ふぅー、助かった。愁斗ありがとう」

「いいってことよ。で、何したんだ? 大体想像はつくけど」

「葵木に流れ弾が当たってな」

「あちゃー、そりゃ運が悪かったなぁ」

「灯、昼休みは校庭で雪合戦ね! 正々堂々勝負するから!」


 同情の念を送る愁斗となぜか雪合戦やる気満々の葵木。どうやらさっきの一発で完全に火がついてしまったらしい。


「分かったよ…………勝負だ葵木!」


 完全にノリでしかないが、僕は声を荒げてそう宣言した。


 ちなみに、寒い中で雪を投げ合うことの大変さに気付いたのは、この後授業で冷静になっている最中だった。





 キーンコーンカーンコーン。電子音が告げるのは四限の終了、即ち昼休みの開始だった。


 まずい、このままだと外へ連れ出される。そう思ったので早々に席を立とうとする。が、椅子に掛けた僕の手は既に葵木によって拘束されていた。


「灯、どこいくの?」

「ちょっとトイレに…………」

「ついさっき行ってなかったっけ?」

「うっ?! なぜそれを」


 逃げ道を封じられ、僕は精一杯のアイコンタクトを愁斗に送る。すると、ほんの数瞬で口パクが帰ってきた。


 あ、き、ら、め、ろ


 チェックメイト。寒空の下、葵木とタイマン雪合戦確定。もう、僕には覚悟を決めるくらいしか選択肢がないらしい。


「まぁ、しゃあないか。さっきあれだけの啖呵切ったんだ。ここで逃げたらろくなことにならない!」

「そうこなくっちゃね!」

「でもその前にご飯な」


 言って、僕は弁当箱を取り出す。ここで逃げてもいいと思ったが、当然僕が動けば、隣に座る葵木も動くだろう。もう、これは昼食でなるべく時間を削って昼休みが終わるのを待つしかない。


「いただきます…………っと」

 弁当を開くと、そこには…………うん、いつも通りのおかずと米。口に含めば美味なるものである。


「舞代さん、いっしょにお昼食べよう!」

「あっ、私もいいかな!」


 相変わらず人気だな舞代。昨日同様、舞代は困った表情をしながらも取り巻きはお構いなしに彼女を囲う。

「舞代さんのお弁当ってどんなの? 私気になる!」


 そう言って、まだ舞代が開けてもいない彼女の弁当箱をクラスの女子が開ける。小さめでシンプルなデザインの弁当箱の中には、綺麗に盛り付けられたおかずの数々。遠目から見ても、美味しそうなのが分かる。


「うわぁー! 美味しそう! ねねっ、これもらってもいい」


 そう言って、自分の箸を伸ばすクラスの女子。ここまでくると、舞代も断れずその場で困惑してしまっている。


「あっ?!」


 一瞬、クラスの女子と舞代の手が当たった、ような気がする。これくらいは別段、距離が近ければ起こりうることだろう。

 問題は、その後である。


「っ、駄目!」


 今までに聞いたことのない舞代の強い口調が響いたかと思えば、今度は手に弾かれて宙を舞った弁当箱の落下音。


 静まり返った取り巻きの中心には呆然と立ち尽くす舞代がいた。その横で、痛そうに手を抑えているのは先ほど舞代と弁当を一緒に食べようとしていたクラスの女子。食べようとしていた弁当は無残にも舞代の机に散らばっている。


「……………………っあ」


 少しばかり荒かった息が整い、舞代は我に返った様子。だが、彼女からすればもう手遅れと言って差し支えないだろう。もう、事態は起こってしまっていて、収拾などつかないのだから。


「あっ…………いや…………その」


 弁明、いや謝罪か。どう頭の中で思っているにしても、それが出てこないのではどうしようもない。無論、こんな状態で我に返って素直に説明できますかって、できるわけがない。


「…………舞、代さん?」


 不思議そうに、それでいて悲しそうに叩かれたクラスの女子が言う。何が起きたのか分からない、とでも言いたそうだ。


「なんで、こんなことするの?」

 

 そして、更なる追い打ちが舞代を襲う。怒りなどなく、悪意だって感じないその問いは時に無常である。無垢なる問いと被害者の立場は鋭い剣となって舞代の身体を貫いた。


「…………っ!」


 椅子に掛けたカバンを肩に下げると、舞代は逃げるように後ろ扉から教室を出ていった。激しく閉まる扉を見届けてしまえば、もう彼女の姿はこの場から消えてしまっている。


 こんな静寂は久々だ。入学式の時でもここまで静かになることはなかっただろう。それくらいには誰も動かない。当事者以外の誰もがその場から目を逸らしているようだ。少なくとも僕にはそんな風に見える。


「ねぇ、ちょっとまずいかもじゃない?」


 と、僕の服を引っ張ってきたのは葵木だった。珍しく、誰かを心配しているのだろうか。怪訝そうな表情をしている。


 なんて、答えればいい。


 ここで、自問。

 簡単なことだ。「あぁ」と同調すればいい。そうすれば誰かが動くまでの間、何もしなくて済む。そもそも、当事者じゃない僕がここでアクションを起こす必要があるのか。否、その必要はない。だったら、もう最適解は見えているのではないだろうか。

 きっといつもの僕なら、迷わずに同調を選ぶだろう。



 そう、いつも通りであれば。



「…………葵木、悪いけど雪合戦は延期だ」

「えっ、ちょっ」


 どうして、こんなことを言うのか。罪悪感、違う。そんな理由じゃない。もっと自分の感情が剝き出しになって。これ以上は自分でも説明が付かなかった。

 席を立って教室内の静寂をぶち壊す。行き着く先は弁当が散乱した舞代の机。そこで取り出すのはビニール袋と新聞紙。

 周りの目など一切気にすることなく、僕はビニール袋を手にはめて机に散らばったものを新聞紙に包んだ。そして、少しは食べ物でべたついているであろう机を除菌シートで拭く。悪いとは思ったが、弁当箱も片付けさせてもらった。


「さて、これでよし」


 荷物を片付けて、僕が向かう先は教室の扉。


「ちょっ、灯、どこ行くのよ!」

 そこを開く直前、同じく席を立った葵木が僕に言う。これは正直に言うべきか、そうしよう。


「今日はこれ以上勉強できそうにないから早退する。出来れば先生に伝えといてほしい」

 

「えっ、ちょっそれどういうこと!」

 突然の行動に葵木は困惑しているが、僕は彼女の反応を無視して教室を飛び出した。



※3月23日修正

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