第11話 一つ、変わる




「えっと…………その」


「っ…………」


 お互い、とてつもない気まずさを漂わせている舞代とクラスメイトの女子。取り敢えず、こうなった経緯を知りたいというのが本心だが、当事者でもない僕はこの状態で声を出していいのだろうか。どうしてもそこに抵抗感が生まれてしまう。


「あはは…………こんなところで奇遇だね」


 無言の圧に耐えられなくなったのだろう。クラスメイトの女子は取り繕うようにそんなことを言う。ただ、その視線が舞代を捉えることはないが。


「……………………そうだね」


 早退の一件よりも前に聴いていた舞代の声だ。最近の明るめの彼女の声とは声質以外が決定的に違っている。


「こんなところでどうしたの?」


 勝手に無視して行けないのは、舞代が少なからず早退の一件とそして目の前の彼女に向き合おうとしているからだろうか。いや、もしかしたら罪悪感がそうさせているだけかもしれない。


「あぁ、えっと…………ちょっと足挫いちゃって。友達にも先に行ってもらったんだ」


「そうなんだ………………」


 この場から動けないあたりかなり痛んでいるのだろう。先生を呼んでくるか、それとも運んで学校まで戻るか。


 もちろん、見ず知らずの少女であれば僕だってこの二択で決断を迷うだろうさ。ただ、目の前にいるのは舞代にとってみればあまり顔を見たくない相手。立場的には関わりたくないと思っていてもおかしくない。



「舞代、どうする?」



 ここにきて、決定権を委ねるのは酷かもしれない、そう思いながらも、僕は小さな声で舞代に訊ねた。







 ※※※※※※




「舞代、どうする?」


 押し黙っていた私、舞代六花に向けて彼はそう問う。


 佐倉灯君。数週間前、その時はただの転校生でしかなったはずの私に手を伸ばしてくれた大切な友達。

 

 きっと優しい彼のことだから、この質問は私への配慮だろう。でなければ、わざわざ私にしか聞こえないほどの小声で言う必要はないから。


「…………それは」


 すぐに答えが出なかった。最適解で言えば介抱しながらゴールを目指すか、今から走って先生を呼んでくるかの片方だろう。別に迷うことなんてない。


 けど、私の中にある僅かばかりの悪意がこう囁いている。


 もう関わりたくないだろ? と。


 多分冷たくなる前の自分だったらそんなことは思わなかった。変わってしまった今だからこそ、余計に感じる。いくら灯君のおかげで踏み出せたと言っても、やはり潜在的な悪意は消えてくれない。


 

 どうして、どうして、どうして、どうして私が介抱しなきゃいけないの?


 

 どうしてって、そんなの当り前じゃないか。ここには私しかいないから。それにどう考えたって彼女一人ではこの事態に対処できない。


 

 そんなのは決めつけでしょ。それに、あの子がいつ助けて欲しいって言った? 言ってないよ。



 心の中でもう一人の私が、悪意が大きくなっている。責め立てるような言葉の数々が突き刺さって、気持ち悪さと共に激しい自己嫌悪を催してくる。


 

 わざわざ自分を拒絶して逃げ出したような子にまた近付くと思う?



 違う、違う、違う、違う。



 何度否定しても、蘇ってくるのはあの日の光景。転校前はしばらく学校に行ってなかったこともあって忘れていたあの感覚。沈黙の支配、緊迫した空気。私だけ立ち位置が違って、視線は矢のように降り注ぐ。



 きっと、内心は嫌われてるよ。だったら、こっちからわざわざ距離詰めることはないんじゃないの?



 悪魔の囁きがやけに正論染みている。でも、だからこそ苦しい。その通りだ、あんなことをした私を目の前のクラスメイトがどう思っているか、考えると怖かった。



 やめて、もうやめて。本当に泣きそうだ。被害者の振りが得意な自分に、潜在的な黒い意識に、何より今も一つだって動けていない自分に。



 どうしてだろうか。抗うことを止めた途端に悪魔の囁きは消えた。でも、代わりに思考する自分もいなくなってしまっている。


「あの…………どうしたの? 舞代さん、顔色悪いよ?」


 怪訝そうな表情で目の前の彼女は私に問う。そうか、今の私は顔色が悪いのか。あぁ、灯君に見られたくないな。



「……………………うん」



 もう、楽になってしまおうか。そしてそのまま、後ろに振り返って灯君の手を引いて二人でゴールしよう。気が楽になったら、顔色も少しは良くなるだろう。灯君はドキッとしてくれるだろうか。彼は優しいから、私がこんなでも、きっと助けてくれる。それこそ、あの時みたいに。



『なら僕が隣にいるよ!』



 きっと本人にその気はないだろうけど、その台詞まるで告白みたい。でも、それ以上に嬉しかった。その言葉には嘘がないまま、今だって続いているだろう。


「あぁ、私は大丈夫だからさ。二人とももうゴールしちゃいなよ? 最後尾そろそろ来るだろうからさ、私は大丈夫だよ」


 察するという奴だろうか。そういうのには疎いからよく分からないけど。大丈夫ではないような気がする。気を遣ってくれているのだ。



 ほら、彼女もそう言ってるし、灯君は隣にいるから。もう行ったらいいじゃん。



 言葉にしてしまえば、簡単なこと……………………のはずだった。


「…………駄目」


 灯君は隣にいるって言った。けど、それは私の保険じゃない。こんな甘え方は間違ってる。灯君が隣にいて恥ずかしくないくらい、私は…………


 今更ながら自分がどれだけ弱気になっていたのか、分かった。


「えっ?」

 彼女の驚いた表情が目に入る。もしかしたら、あの時みたいに。と、囁き。でも、だからっていま彼女を突き放す理由にはならない。



 私は確かに一歩踏み出していたんだ。



「そんなの駄目だよ!」



 気付いたのは、思いをそのまま言葉にした数秒後。悪意の提示した結果とは真逆の言葉を私は紡いでいた。




 ※※※※※※







「そんなの駄目だよ!」


 その一言を紡ぐまでの舞代はかなり苦しそうだった。彼女なりの葛藤があるのだと、傍で見ていた僕はそう思っていた。


 それが今、今日一番の一声を今見せたのだ。


「でも、私はその舞代さんに……………………」


 困惑と不安を漂わせた様子でクラスメイトの女子は一度その言葉を切った。



「そんなの関係ない!」



 再び、大きな声を出して舞代は蹲る女子の隣に駆け寄る。

 正直に言って、この展開は予想外だった。もちろん、僕としてはこのまま放置なんて考えはなかったが、てっきり先生を呼びに行くものだとばかり思っていた。


「取り敢えず、立つよ? 立てる?」


 舞代が率先してそう訊ねる。その佇まいは先ほど、弱々しさに苛まれていた時はまるで別人。目の前の困っている人のために動ける凄い人になっていた。


「あぁ、舞代手伝うよ」


 すっかり見入ってしまってうっかり加勢するのを忘れてしまいそうになる。流石に、このまま舞代に任せてしまうと体温がないことがバレてしまうからな。いくらクラスメイトに対する抵抗を振り切ったとは言っても、秘密を全部話せるかと言ったらそんなことは断じてない。



 けど、結局のところどうなんだろうか。



 僕の早とちりという可能性もある。僕の思考など所詮は推測の境界に弾かれてしまうレベルの話である。


「あっ、灯君。ありがと。じゃ、立つよ」


 悪いとは思ったが、クラスメイトの女子の肩に手を回し、一気に立たせる。

 途中、一瞬だけ痛そうな表情をしていたが、立ち上がってからはその表情も消えていた。



「ごめんね。私のせいでゴール遅れちゃって」



 本当に申し訳なさそうにクラスメイトの女子は言う。


「ううん……………………それより、私こそごめんなさい」


 舞代はそれに対して許す形を取ったが加えて、すぐさま自らも深々と頭を下げた。無論、女子生徒からすれば舞代は全く悪くないわけなので、その表情には明らかな困惑が見て取れた。


「舞代さんは悪くないよ。むしろ動けない私を助けてくれたし。そこはもうありがとうと言いたい」


「そうじゃないの。今日のことじゃなくて……………………」

 一度、言葉を区切ってから舞代は軽く息を吸う。そして、今一度言葉を紡いだ。



「あの時、手を叩いてそのまま帰っちゃってごめんなさい!」



 再び、深々と頭を下げて舞代は謝罪する。困惑を隠せない女子生徒は数瞬の間を経て、その表情を真剣なものへと変えた。


「ううん、こっちこそ。変に近付いてごめんなさい。前からずっと謝りたかったの! 本当にごめんなさい!」


 結局、両者の謝罪を以て舞代と女子生徒の蟠りは消えたらしい。その証拠だろうか、学校までの残り一キロくらいは三人で仲良く雑談しながら帰ることとなった。

 その途中、最後方の集団に抜かれて最後尾になったことは言うまでもなかった。




「マラソン大会終わったね」

「そうだなぁー」


 どうやら最後尾というのは案外目立つようで、終了後にはその容姿も相まってか舞代六花の名前は学校中に知れ渡ることとなってしまったらしい。


「何か、私ちょっと有名人になっちゃったみたい」

「みたいだな」


 ちなみに本当にこれは余談でしかないけど、今回のマラソン大会一年生の部、男子一位は驚異のワンダーフォーゲル部、柴山愁斗。女子は数々の運動部を薙ぎ倒し頂に立った葵木七科。この二人もまた、舞代と揃って話題もちきりだったようだ。



 マラソン大会の好成績者が全員仲の良い友達という不思議な構図は僕も生まれて初めて経験することが出来た。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る