第29話 動物園、誤解とドキドキ




「お兄ちゃん、高校受かったよ」



 長かった一月が終わりを告げて、迎えた二月の初旬。家に帰ってきた苺は開口一番、僕にそう言った。


 やけに帰りが遅いと思ったら今日は家の高校、合格発表の日だったか。帰りに中学生をたくさん見かけたことを思い出した。



「あっ、あぁ。おめでとう、これで晴れて自由の身だな」



 ついさっきまで忘れていたことに加え、あまりにもサラッと苺が言ってしまったため、驚きすらも現実に追い付けず、これくらいの反応が限界だった。もっと、こうさ。泣いて喜ぶとかないのか。



「まぁね…………久しぶりにどっか行こうかな」



 珍しい。受験期前からインドア派だった苺が自分から外に出たがるとは。それこそ小学生以来じゃないか。



「一人でか?」



「いや、誰か友達誘って…………ってまだ受験か」



 そう、世の中学生の大半はまだ受験に真っただ中。むしろ今が正念場。私立で合格を決めている中学生はそこまで多くないだろう。


「僕でよければ一緒に行くけど…………」



「お兄ちゃん一人は嫌かな…………まぁ、愁斗先輩たちが来るなら話別だけど、さ」



 そう言うと、苺はどこか恥ずかしそうな表情でそっぽを向いてしまった。


 兄と二人の状況に対する否定は悲しいが、それ以上に愁斗をチョイスしたことに驚きの感情が募ってしまう。



「何で愁斗なんだ?」



「別に……………………お兄ちゃんには関係ないし」


 仕方なく僕は言及を止めた。言われてみれば確かに関係のない話である。もしかしたら一番誘いやすい愁斗を選んだ辺り、僕に気を遣ってくれているのかもしれないな。


「まぁ、いいけど。取り敢えず、愁斗と、あと舞代と葵木を誘っとくぞ。今週末で良いか?」


「ちょっ…………まだ私は行くなんて一言も…………!」


「愁斗たちが来るなら話別なんだろ?」

「っ……………………お願いします」


 ちょっと強引だったかな。まぁ、いいや。

 こうして、紆余曲折もないまま、苺の合格を祝して五人で遊びに行くことが決定した。




 時は週末、場所は隣町の動物園。



「苺ちゃん、合格おめでとう!」

「おめでとう! それと、誘ってくれてありがとな!」


到着一番、少しだけ緊張した面持ちの苺に向けて舞代と愁斗は声高らかに祝福を伝えた。


「いや、あの…………ありがとうございます」


 恥ずかしそうに縮こまりながらも苺は二人に向けて感謝を伝える。ちなみに、今日のメインである動物園だが、これは女性陣のリクエストである。まぁ、提案した内の一人は今日風邪で来られないのだが。



「葵木も、風邪引いてなかったらな…………」



 本当に、このタイミングで風邪を引いてしまった葵木に同情の念を寄せる。だってわざわざ行きたい場所までリクエストしたのに、本人は今行けずに苦しい思いをしているのだ。



 可哀そうだから、こんどお菓子でも奢りたくなってくる。



「仕方ないよ、七科ちゃんだって年中無休じゃないんだから…………」

「そゆこと。俺でも風邪ひくんだから、葵木だってひくもんだ」

「えっ、愁斗風邪ひくの?」



 驚きだ。正直、小学生時代とか、それこそ年中無休の半袖半パン少年だとばかり思っていたが。


「そりゃ引くさ! もうね、鼻水と喉がやばいんだよなぁ」


 嫌な思い出を想起させてしまったようで、愁斗の表情が少し引き攣る。どうやらこれは冗談抜きで良い思い出がないパターンである


「あははは…………」

「ねねっ、そんなことより早く中に入ろうよ! 私、動物園初めてなんだ」


 助け舟を出してくれたのか、それとも単純に自己の興味か、舞代が話題をフル転換。僕に向かってウインクしている辺り前者の可能性が高い。


「そうだなぁ。取り敢えず、中に入ろうか」


 時期的な問題もあってか、休日の割には、すんなりと園内に入ることが出来た。


「わぁー!」


 最初こそ、舞代以外の三人はさほどテンションが高くなかったが、後から見ればそれはもう一瞬。今、こうして実際に動物たちを目の前にすれば、久々動物園の苺が通常テンションでいられるわけがなかった。

 ちなみに、僕たちが今いるのはレッサーパンダが飼育されているエリア。無邪気に積もった雪で遊ぶその姿は控えめに言っても、見る人を癒してくれる。それこそ、まるで無邪気な子供のようだった。


「この寒さでよくあんなに元気なの凄いな」

「ネットで調べたんだけど、レッサーパンダは冬が一番元気なんだって…………」


 半分、尊敬の意図を込めた僕の呟きに優しく答えてくれるのは飼育員…………ではなくすぐ隣にいた舞代。どうやらしっかりとリサーチしてきているらしい。


「へぇー、そうなんだ…………知らなかった」


 ちらりと、反対隣の苺とその隣の愁斗を見る。正直、愁斗が動物に癒されるという絵面が全く以て想像が付かない。というのはさておき、二人の姿は意外にもカップルみたく視界に映っている。


「皆、可愛いなぁ…………」

「リアルのレッサーパンダ初めて見たけど、確かに可愛いかもです!」


 目線は二人とも、柵の先の動物に言っているのにどこか仲良さげな様子が強調されている。一応、この二人まだ会うのは二回目のはずなのだが。こりゃ相当相性がいいな。


「何だか、苺ちゃんと愁斗君……………………いい雰囲気だね」


 直後、先ほどまで、レッサーパンダに目線くぎ付けだったはずの舞代が隣から小さく耳打ち。いい雰囲気、一瞬その意味が分からなくなったが、すぐに理解を取り戻す。


「やっぱ、舞代もそう思う?」

「思う、思う」


 一応、確認の意味も込めて僕は舞代に問う。どうやら舞代も二人の仲良しムードに安心感を覚えている…………



「何かめっちゃ楽しそうで良かった。何か、こうしてみると愁斗と苺って仲良しの兄妹みたいだしな」



「…………うん?」



 という訳でもなさそうだった。一応、言葉の流れで頷いてみたはいいけど、多分理解できないやつだこれ。顔にそう書いてある。恐らく認識の違いが出ている。


「どうかした?」

「どうかしたって…………これ、あれだよね? その……………………そうだ?!」

「はい?」


 何を閃いたのか、頭を抱えていた舞代が顔を上げる。ある意味、彼女も彼女でとても楽しそうである。


「灯君、ちょっとこっち来て」

「えっ?!」


 舞代はすぐさま僕の手を掴むと、有無を言わさずその手を引っ張る。当然、僕と舞代そして、愁斗と苺の距離はみるみるうちに離れていき、やがて完全に景色に紛れてしまった。


「もう大丈夫かな?」


 やや、人が集まっていたレッサーパンダのエリアから離れ、僕と舞代はホッキョクグマのエリアにやって来ていた。まぁ、こっちも冬の動物だからかその活発な姿に人気は似たようなものだが。


「…………灯君?」


 まずい、全く現状が理解できない。確か、今日は苺の高校合格を祝して風邪の葵木を除く四人で動物園に来たのだ。わざわざ、僕を連れて舞代がその場を離脱する必要性はないだろう。

 …………これは、まさか



「もしかして舞代、楽しくない?」



 嫌な予感に従って、率直に思ったことを口にしてみる。まさか、僕と二人きりになりたかったから離脱したのでは…………なんて考えも一瞬だけ思い浮かんだが、流石に安直ではないだろうか。


「えっ?!」


 僕の問いに舞代は驚愕の反応。だが、何というか図星を突かれた時の驚きとは違う気がする。その姿からは後ろめたさのようなものが一切感じられなかった。


「違うのか?」



「もちろん、楽しくないわけないよ! っていうか、どうしてそんなことを思ったの?」



「えっ? だって僕を連れて苺と愁斗から離れるからさ。てっきり、楽しくないのかなって…………」



「そんなわけないよ!」



 と、僕の推論に舞代は若干怒気を含んだような声でそう言った。それはそうと、舞代が僕に対して怒っているのを見るのはかなり珍しい。目の前の新発見に僕の中で反省の色はない。



「もう…………灯君、鈍感なんだから」



「鈍感?」


 もう、本当に訳が分からない。もしかして僕の推理はとてつもなく鈍いものだったということだろうか。今後は根拠に乏しい憶測なんかは控えた方が良いかもしれない。


「うん、相手が私じゃなくて七科ちゃんだったら、もっと怒られてるよ」


 ここにいないとはいえ、葵木が呆れた顔をして怒る光景が容易に想像できる。いや、葵木だったら呆れる以外にも怒りに身を任せて感情を投げつけてくるかもしれないな。


「うわぁ…………マジかぁ」


 折角なら怒った顔より、笑った顔の方が見たいのに。



『…………灯はやっぱり凄いね』



 心の中で呟く言葉に呼応して、記憶はこの前のゲーム大会を映し出した。そう言えば、あの時の葵木は何だか、違ったような気が。


「…………灯君?」


 思考の海に沈んでしまいそうなところ、耳元に聞こえてきた舞代の声で何とか意識を踏み留める。



 いかんいかん。目の前のことに集中しなければ。



「あぁ、いや。なんでもないよ」

「ほんとに?」


 お茶を濁したような僕の答えに舞代は首を傾げてそう訊ねる。もちろん僕は首を縦に振った。


「もちのろん」


「七科ちゃんのこと考えてた?」


「おっしゃる通りです…………すみません」


 しっかりと内心を見透かされて、僕は素直に嘘をついたことを謝罪する。いや、まさかここで深堀してくるなんて思いもしなかった。


「……………………ゲーム大会の時から、二人とも仲良いね」


 顔を俯かせて舞代は呟く。が、そこに先ほどまでのテンションがあるかと言われれば否。恐らく声のトーンが一オクターブくらい低い。


「まぁ、大事な友達だからな」

「…………そっか」

「そう」


「ねぇ、灯君」


 雪空の曇り色が濃くなって、辺りが暗くなる。静けさの欠片もない休日の動物園が、一瞬だけとても寂しく思えてきた。



「私は…………灯君の友達?」



 言って、手袋越しに舞代が僕の片手を握ってくる。やはりあまり機嫌が良くないのか、先ほど苺と愁斗から離れた時よりもその力は強い。


「もちろん! 舞代は大切な友達だと思ってるよ」


 しかし、いくら機嫌が悪いからと言ってもそんな当たり前のことを訊かれても仕方ないと僕は思う。逆に、これ以外に何か答えようがあるだろうか。数瞬のうちに別解を探すが、上手く言葉が出てこない。


「そっかっ」


 再びの納得。だが、数秒前と異なり、その声のトーンは離脱前と同じくらいに戻っている。俯いていた表情も、今はしっかり僕の方を向いていてどこかに奴いた笑みが浮かんでいる。


「そう言えば、舞代はどうして苺と愁斗と別行動しようとしたんだ?」


 すっかり話が脱線してしまっていたところ、元々の疑問を思い出して僕は口にする。本当に鈍感なのかな、全く分からない。



「えっ、灯君は本当に分からないの?」



「全く分からん」

「えぇ……………………」


 もう、怒るも呆れるも通り越したのか、若干困惑した様子の舞代。いや、僕が一番困惑したいんだけど。


「うーん、と…………」

「教えてくれ、舞代」


 どこか、考え込むような仕草を見せる舞代。時々こちらに視線を向けているが、肝心の答えは僕の中にない。


「灯君、鈍感すぎるから……………………やっぱり秘密にしようかな?」


 ほんの数秒で口から出てきた結果。秘密。それは、あまりにもいたずらな提案で、それでいて平和な答えなのかもしれない。


「…………なんか、鈍感ですみません」


 今まで結構感は鋭い方かと思っていた自分が恥ずかしい。いや、勘というよりも、これは観察力の問題か。どちらにしても一連の出来事に申し訳なさが伴って、僕は力の抜けかけた声を出した。


「いいよ、いいよ。ちょっと揶揄ってみただけだから…………」


 どうやら、本気で怒っていたわけではないらしく、舞代はクスりと僕に笑い掛けてくれた。

「それに、」


 そして、そのまま僕の右耳にその口許を近付けて…………


「…………灯君と二人きりになれて、むしろ嬉しいから」


 確かに、そう言った。


「ねねっ、折角動物園に来たんだから他の動物も見たいな?」


「…………ふぇっ?! あっ、あぁ!」


 結局、それから舞代と二人動物園を回ることになった僕。もちろん、めちゃくちゃ楽しかったのは言うまでもないが、その一方で苺、愁斗の二人と合流するまでの間、僕は内心、どこか上の空のようだった。




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