第22話 やるべきこと

 四月末、連休前の最後の登校日、昼休みのことだ。


「わっ可愛いー! こんなチャンネルあるんだね、今度もっと見てみるね」


 クラスの女子と仲良くスマホで動画を見ている心さんがいた。「にゃー」とか猫の鳴き真似をしているあたり何を見ているのかは察せられる。


 五、六人くらいの女子が机をくっつけてお昼ご飯を食べていて、増子さんも同じ集まりの中にはいるけれどそれぞれ他の人と会話していて、心さんは集まっている皆のことを名前で呼んでいて、頑張っているんだなあとしみじみ思う。


「そんなに三春さんのこと見つめてどうしたんだよ。彼女なんだからいつでも見れるだろ? いいよなあ、入学して一ヶ月もしてないのにもうあんな可愛い彼女作ってさあ」


「いや、何度も言ってるけどまだ付き合ってないって……」


 クラスの男子たちからいじられることはもう慣れた。そのたびにまだ付き合っていないと答えているが、まだ、というのは僕のささやかなプライドというか傲慢な部分で、自分が付き合う予定だからくれぐれもそのつもりで、と周りの男子たちにアピールしているのだ。


 それでもクラス外の男子から心さんはよく告白されているようで、増子さんや尊琉の情報によると入学から今までで、すでに振った人数は二桁の大台に乗ったとか乗っていないとか。振られた人も告白はさせてもらえたのかと思うと、なおさら今の僕らの、仲は良くてもなんとなく宙ぶらりんな状態がもどかしく感じる。とはいえ告白を止められた詳しい事情が分からない以上今は今やるべきことをこなしながら見守るしかない。


 やるべきことは山積みだ。


 文化祭の準備は業者から鯉のぼりが届き、あとは鱗となる恋のメッセージを縫い付ければ完成となっている。だが意外とメッセージの集まりが悪く、現在は五十枚弱しか集まっていない。冷泉さんからは思ったより集まっているなんて言われたが、最低でも四百枚以上集める予定なのだから心配だ。連休明けに小中学校に一度回収に行く予定なのでそこに期待している。


 連休が明けて一週間の通常授業を行うと中間テストが始まる。西高に入って初めてのテストということでいったいどんなものかと不安だったので冷泉さんに聞いてみたら、授業をちゃんと聞いていれば問題ないと言われた。他の生徒会の人に聞いた話では冷泉さんは常に学年一位の熱田さんに次いでいつも二位らしいのであまり参考にならない。


 今日の放課後はいつもの四人で喫茶にしもとに集まって勉強会をすることになっている。


 そして中間テストが終わると三者面談がある。一年生だからまだそこまで重要ではないが、きちんと将来のことを考えておくように須藤先生に言われたので悩みの種になっている。


 僕は中学時代がむしゃらに勉強をしてそれなりの成績になったことと、自由な校風に惹かれたことがあるから西高を目指しただけで、進路に関して目標があったわけではない。そのことを冷泉さんに話したら、じゃあ一番レベルの高い大学を目指して勉強しなさいと言われた。そこに入れば大抵のものになれるし、行きたい大学が見つかったときにいくらでも変更可能だからとのこと。


 喫茶にしもとに向かう道すがら、僕は心さんに近況を尋ねていた。


「教室で皆、特に女子とは仲良くしてるみたいだけど、どう?」


「すごく楽しいよ。類君が助けてくれるって思えばすごく気が楽になって、中学のときとは全然違う感じ」


「よかった」


 自転車で僕の後ろを走る心さんの表情は見えないがその声ははっきりと聞こえる。本当に楽しさに溢れている。そもそも心さんは優しくて、たまにお茶目で、頭も良くて、人から好かれる要素ばかりなのだから、心さん自身が壁を取り払えば人気者になるのは当たり前なのだ。


「類君のおかげ、ありがとね」


 どうしてもどんな表情をしているのか気になって、自転車を漕ぎながら後ろを振り向くと目が合った。笑顔が一転、驚きの表情に変わり、そしてしかめっ面をする。


「こら、運転中に危ないよ」


「ごめんごめん」


 自転車を漕いでいる最中に後ろを向いたことよりも顔を見たことの方を怒っているみたいだった。僕は楽しくなって自転車を立ち漕ぎしてスピードを上げた。こういう何気ないやり取りが楽しくて、ついテンションが上がってしまった。


 勉強会と言っても勉強自体はそれぞれ自分でやるので今日の目的は違う。テスト範囲の中で自分の得意な分野、苦手な分野、自分が思うテストで重要視されそうな分野の情報を交換し、勉強の指針を立てること、どうしても分からない分野があったときに得意な人に教えてもらえるようにすることが目的だ。


 中学の頃は国数英理社の五教科だけだったが、高校になると国語で二科目、数学で二科目のように細分化されていてテストも多い。無計画に勉強していてはとても全科目の全範囲をカバーするのは難しいということで今日のような会が開かれた。


 情報交換が終わり解散になりかけたが、せっかくだからと英語が苦手な尊琉が英語を得意とする増子さんに質問したため会は少し延長された。僕もせっかくの機会だからと皆に質問をすることにした。


「テスト終わった後、三者面談あるけどそこで進路の目標なんて言うか決めてる?」


 いの一番に応えたのは増子さんだ。


「私は管理栄養士を目指せる大学かなあ。まあ食品系の商品開発とかも興味あるけど今のところは管理栄養士の方が目指したいかな。家計的にできれば国公立」


 美味しいものを食べるのが大好きな増子さんらしい。食に関わる職に就きたいようだ。


 次に答えたのは尊琉だ。


「俺は将来起業したいから起業した人とか社長になった人とかが多い大学に行きたいかな。そんでこの店買収する」


「へえ、食品系にも手を出すなら私のことも雇ってよ」


「おう、任せとけ」 


 最近二人は仲が良い。もともと両思いな二人なのでちょっとしたきっかけがあればすぐにくっつくだろう。心さんも美味しい感情を食べられてご満悦。


「二人ともやりたいことが決まってるんだね。僕は何も決まらなくて……」


 二人が羨ましい。僕は自分でも色々頑張っている方だと思うが、自分から何かをやったという経験は少ない。やるべきことがあれば頑張るが、何でも好きにやっていいと言われると困ってしまう。


「三春はどうなの?」


 二人の話を真剣な顔で聞いていた心さんに尊琉が話を振った。進路には心さんも思うところがあるようで少しだけ重たそうに口を開いた。


「私は……日本で一番レベルが高い大学を目指すと思う。お母さんにそう言われてるから」


 冷泉さんに言われたことを思い出す。


「目標がないなら一番レベルが高い大学を目指して勉強しなさい」


 半分は真面目に、半分は冗談のような表情で言われた。西高は確かに県内で一番の進学校だが、都会の超進学校に比べれば幾分か進学実績は劣る。日本で一番レベルが高いとされる東京大学の合格者数は五名いけばいい方だ。授業中や普段の様子を見ても心さんはクラスの中でも勉強ができる方だと思う。西高のトップ層は毎年合格しているわけだから心さんも不可能ではない。


 でも、目指す動機がお母さんに言われているからというのは僕の予想外のところから飛んできて僕の頭に衝撃を与えた。進路のこと、というよりもお母さんのことを話す心さんの表情はとても暗い。


 心さんが友達付き合いをしようと頑張っている、そばにいればそのうち告白するタイミングも来るだろう。そんなことを考えていた。でもまだだった。心さんが抱える問題はまだ残っていて、僕のやるべきことは終わっていない。

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