第10話 こい

 この日の放課後、旧校舎にある大会議室にて生徒会役員と各クラスの文化祭実行委員が集まり会議が行われた。各学年八クラスで四人ずつ、それに生徒会役員十数人を加えた百人以上が集結する大規模な会議だ。


 生徒会の人たちと各クラスの実行委員と向かい合うように座り、会議が始まる。大きなスクリーンも用意されていて本格的だ。司会を務めるのは合格発表の日に出会った冷泉先輩だ。


「ではこれから第一回文化祭実行委員会全体会議を始めます。私は生徒会副会長兼文化祭実行副委員長の三年一組冷泉静花。よろしくお願いします」


 大勢の前だというのに淡々とよどみなく言葉が出てきていてすごいと思った。


「静花さん……綺麗」


 僕の後ろの席に座っている三春さんが小さな声で呟いた。確かに冷泉さんは整った顔立ちをしているが、そんなうっとりと心に染み入るように言うほど三春さんの好みの顔なのか。名前で呼ぶということは三春さんの中の何かの基準を超えているということだろう。


「一、二年生の各クラスは出し物を決めて企画書を生徒会に提出してください。提出後承認され次第、予算の十万円を担任の先生を通じて配布します。どんなに遅くても四月末の連休前には承認をもらえるようにお願いします。承認には二日はかかるつもりで。特に飲食関係をやりたいクラスと体育館のステージを使いたいクラスは早めに。三年生はすでに全クラス準備を始めていると思いますが、予算を使い切ってクラスで徴収する場合はきちんと届を出すように。くれぐれも担任の先生にせびるようなことはしないようにお願いします」


 二年生から三年生にかけてはクラス替えがなく、三年生は二年生の頃から準備を始めているらしい。噂では去年の文化祭が終わった直後から準備を始めることもあるとかないとか。


「ではここで文化祭実行委員長から挨拶と二、三年生にはすでに告知済みですが今年の文化祭のテーマを発表していただきます。各クラスの出し物は先生方や来客者から審査され優秀なクラスは表彰されますが、テーマにあっているかどうかも審査基準になるので注意してください。では実行委員長お願いします」


 冷泉さんに促されて大会議室の一番前、全員の視線が集まる場所に立つ熱田先輩。野球のユニフォーム姿のときはまさしく高校生という感じだったが制服姿だとすごく大人びて見える。  


 短く清潔感のある髪にがっちりした体格、程よく日焼けして健康的な肌。第一印象からして頼れる人だ。


「文化祭実行委員長兼生徒会長の熱田信一あつたしんいちです。まずは第九十八回文化祭、正式名称【姫著莪ひめしゃがさい】の開催にあたり実行委員を引き受けてくれた皆さんにお礼を申し上げます。本当にありがとう」


 文化祭は本当は姫著莪祭というのは知っていたがひめしゃがと読むことは知らなかった。去年の夏休み頃から西高を志望しようと思い始めたので中学生の頃は六月の文化祭には来たことがなく知る機会がなかった。


 会議前に全員に配布されていた資料には名前の由来が書いてあって、校章に使われている花かつみは実は昔の和歌の中で詠まれ、松尾芭蕉なども求め歩いたが知る人のいなかった幻の花らしい。明治の頃に当時の天皇がこの地にやってきた際に、様々に伝えられていた花かつみの描写に似ている姫著莪の花を花かつみとし、街の花として制定されたようだ。諸説はあるらしいが。


 花言葉は恋に関するものが多く、なんとなく後ろにいる三春さんのことを意識してしまう。


「で、これが今年のテーマ。スクリーンを見てください」


 大会議室前方にある大きなスクリーンに二つの平仮名が表示される。


【こい】


 一年生がざわつく。これだけではよく分からない。恋かなとか、来いって命令してるとか、濃い内容のことじゃないとか、魚の鯉かもなんて予想が飛び交う。


「色々予想してくれているようだが、大体全部あたりだ。【こい】という言葉にかかっていればなんでもいい。一応校章の花かつみの由来となった姫著莪の花言葉が恋愛の恋に関連することが多いからそれを意識して決定したが【こい】と言っても色々な捉え方、意味があるから解釈は自由とする。それでは、各クラスの解釈と企画を期待しています。以上」


 その後に細かい注意点などが冷泉先輩から説明されて会議は終了した。クラスの企画は全員で話し合って決めるが、ある程度仮の案があった方が話が進みやすいだろうということで僕ら四人は会議終了後、喫茶にしもとにて話し合いをすることになった。



 喫茶にしもとは尊琉のおじいちゃんが退職後に道楽として始めたお店で、常連客や学生のたまり場となっていて儲けは考えていないらしい。


 カウンター席六つ、四人用のテーブル席三つほどのこじんまりとした店内には西本家の家族写真が貼ってあったり、空いているスペースに座布団を敷いて、店主である尊琉のおじいちゃんが常連客と将棋を打っていたりと、まるで家のような空間だった。


 お店を切り盛りしているのは主に尊琉のお母さんだ。店に入ると頭を下げられ、両手を掴まれた。


「あなたが安相君ね、翔琉を助けてくれた。本当にありがとう。あなたがいなかったら翔琉かけるがどうなっていたか、親として恥ずかしいわ。あなたたちはいつでも無料にするから、いつでも来てね」


 尊琉と似たような反応に親子だなと思う。


 僕らはテーブル席に着いた。僕の隣に尊琉、向かいに三春さん、斜め向かいに増子さんが座る。


「心ちゃんとさっちゃんはいつものでいいの? 尊琉はコーヒー? 類君はどうする?」


 尊琉のお母さんがテキパキと注文を取り準備を始める。僕は苦いものがあまり得意ではないのでカフェオレを頼んだ。三春さんのいつものは紅茶のようだが、増子さんは何故か席を立ち上がりキッチンの方へ歩いていく。


「何してるの? 増子さん」


「いつものことだよ。イチゴパフェを自分で作るんだ。材料費はサービスで手間がかからないからってタダにしてやってる」


 大きなイチゴパフェを完成させて大満足の増子さんはテーブルまで自分で運んできて幸せそうに食べ始めた。三春さんはそれを幸せそうに見つめる。昼休みにも見た光景だ。


「さて、そろそろ始めるか。まずは【こい】っていうテーマをどう捉えるかだよな」


 尊琉が音頭を取って話し合いが始まる。


「やっぱ三春は恋愛的な恋?」


「まあ、【こい】って聞いたらそれが一番思い浮かぶかな私は。類君は?」


 正直僕も恋が思い浮かんでいるが何となく口に出すのが恥ずかしい。だが三春さんを前にすると嘘も誤魔化しもできない。


「僕も同じだな。テーマを初めて見たとき思いついたのは恋愛的な恋だった」 


「青春大好き人間たちめ。俺はこっちに来いっていうのが思いついたけど、幸はどう?」


「私は魚の鯉かな。知ってる? この街は鯉の生産量が全国一位で、臭そうなイメージがあるかもだけどしっかりとした環境で育てていけばそんなことないんだ。美味しいんだよ」  


 さすがは美味しいものが大好きの増子さん、食べ物の情報には詳しい。鯉はずっとこの街に住んでいるけど食べたことはなかったかもしれない。


「でも文化祭で魚料理は難しそうだよね。プロでもないとうまく処理とかできなさそうだし、そもそも許可が出るか怪しい」


 増子さんの現実的な意見。イチゴパフェを頬張りながらもしっかり話し合いに参加している。


「地元なのにあんまり知られてない名産品ってのは面白そうだけど、まあきついか」


「わざとっていう意味の故意もあるし、教えを請うとかの請いもあるよね。複数の意味を組み合わせても面白いかも」


 恋,濃い、鯉、来い、故意、請い、頭の中でぐるぐると言葉が回る。その言葉を使うシチュエーションが色々浮かんでは消え、一つにまとまらない。


「悩んでるね類君。色々混ざってる」


 三春さんが僕の心を読んだみたいに言った。その顔はどこか嬉しそうだ。


 結局この日は良いアイディアが出ずに解散となり、各自家で考えてきて明日の昼休みにもう一度話し合うことになった。尊琉の家は喫茶にしもとのすぐ隣にあるのでここでお別れ。三人とも同じ方向ということでしばらく一緒に帰っていたが途中で増子さんは別の方向となり、三春さんと二人きりになってしまった。

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