第11話 感情を食べる

 せっかくの機会だから三春さんに色々と聞きたいことがある。不思議な力を持っている疑惑、人間関係で抱えているもの、ご飯を食べない理由、そして恋をしたいという発言の真意。だがどれも個人的でデリケートな内容で、いきなり聞くのも失礼なように思い躊躇してしまう。


 勉強のこととか、文化祭のことなど無難なことを話しながら自転車で走る。午後六時を迎えて陽が落ちかけるエモーショナルな光景の中、一緒に帰っているこの現実だけで嬉しいのだが、どうしても心に引っかかるものがあって気持ちが晴れない。


 こんな気持ちは三春さんにはすぐに見抜かれてしまう。


 しばらく進んで交差点に差し掛かると三春さんはここでお別れだからと自転車を止めた。僕も自転車を止めた。


「類君、私に何か聞きたいことある? なんかそんな気がする」


 直球で聞かれた。やっぱり三春さんは僕の心でも読んでいるのだろうか。おそらく嘘や誤魔化しが嫌いというのもそういうのが分かってしまうからなのかもしれない。聞かれてしまった以上誤魔化しようはないので一番無難そうな質問を選んだ。


「あ、うん。今日のお昼何も食べてなかったのが気になって、どうしてなのかなって。尊琉たけるは、昔からそうだし朝も夜も食べていないんじゃないかって言うし」


「あーそうだよね。やっぱり気になるよね」


 三春さんは苦笑いして僕から目線を外し、空を見上げた。


「言いたくないならいいよ? まだ出会って一ヶ月で、大して顔も合わせていないのに踏み入ったこと聞いちゃってごめん」


「そんなことない。出会った期間とか回数とか関係なく、私は類君のことをまっすぐで優しくて嘘をつかない、信頼できる人だと思ってる。君になら話しても良いかなって思う」


「そう思ってもらえるのは嬉しいけど……」


 三春さんが僕を見つめる。まっすぐな決意の表情。夕焼けをバックに、強くて美しい。


「聞きたい?」


 僕は頷いた。遠慮してしまう気持ちもあるが、三春さんのことをできるだけたくさん知りたいという気持ちも本物だ。


「聞いても引かない?」


「引かないよ。絶対に」


 僕もその言葉に三春さんは嬉しそうに微笑んだ。


「類君、恋する気持ちってどんな味がすると思う?」


「え、そうだね、よく甘酸っぱい恋とか言うから甘酸っぱいのかな。でも甘酸っぱい恋って恥ずかしさも入っていそうだから恋単体なら甘かったりするのかな」


「嘘をついてるときの味はどんな味がすると思う?」


「えーと、うまく言えないけど美味しくはなさそうだね」


「そう、嘘は美味しくない。苦みとか渋みとか甘味とか辛みとか塩味とかとにかく色んな味がごちゃ混ぜになって気持ち悪い。ひどいときは吐きそうになる」


 まるで実際に味わったことがあってそれを思い出したかのように三春さんは顔をしかめる。


 質問したこととは違うが三春さんの持つ不思議な力が分かった気がする。


「三春さん、君は人の気持ちとか感情の味が分かるの?」


「惜しい。正確には人の感情を食べることができるの。味も分かって食べたらちゃんと減っていくんだよ」


 三春さんは照れ笑いをしている。「言っちゃった」なんて手で口を押さえながら呟く姿を可愛いと思うが、この気持ちも味わっているのだろうか。


 感情を食べることができて、食べた感情は減っていく。いきなり聞いたら信じられない話だが、僕は目の前で見ている。受験の日、泣いている翔琉君をすぐに泣き止ますことができたのは悲しみとか不安を食べつくしたから。


 入学式の日、教室に三春さんを見に集まった人たちが急に大人しくなったのは、興味という感情を食べつくしたから。堪能していたと言っていたのはきっと可愛いとか興味を持っているとかのポジティブな感情は美味しく感じるからだろう。 


 他にも細かいことを挙げればたくさんある。


「もしかして、ご飯を食べないのは感情を食べていれば十分だから、とか?」


「お、察しが良いね類君。生まれつき感情を食べてさえいれば私の身体は成長するし健康状態も問題ない。勝手に栄養とかに変換してくれてるみたい。食べすぎたり、普通の食べ物を食べた分は余剰エネルギーになって身長とか色々平均よりだいぶ成長させてくれた。原理は知らないけど私は健康そのものだから心配はいらないよ」


「このことは……」


「知っているのは両親と、一緒に住んでるおじいちゃんとおばあちゃんとさっちゃんだけ。そして今、類君が加わりました。気持ち悪いと思うかもしれないけど、仲良くしてくれると嬉しいな」


「気持ち悪いだなんて思わないよ。ただちょっとびっくりはしてる」


「……ほんとだ。類君から嘘の味なんてしない。まっすぐに、爽やかに、びっくりの味」


「びっくりってどんな味?」


「ちょっと酸っぱいかな。でも嫌な酸っぱさじゃなくてレモンみたいないい感じの酸っぱさ。やっぱり類君は良いね。味の質が良い」


「し、質?」


「うん。感情の味はだいたい決まっているの。怒りは辛かったり悲しみは苦かったり、でも人によって微妙に違うの。その人の性格というか性質で美味しいはずの感情が美味しくなくなったりすることもある。そういう人はだいたい嘘つきだったり、気持ちを誤魔化しがちだったり、おどおどしてたり、裏で違うこと考えてたり、人の気持ちを考えない人だったりでちょっと苦手。類君はすごくまっすぐで混じりっ気がない味がして、優しい味がして、さっちゃんに匹敵するくらい好きな味。嘘もつかないし」


「増子さんもそんなにすごいの?」


「そうだよ。さっちゃんはね美味しいものを食べてると無限に幸せな感情が湧き出てくるから私も食べ放題だし、食べ物を食べているときの感情って食べているものと同じような味がするんだけど、さっちゃんを通した味の方が断然美味しいんだから」


 それで増子さんが食べているのを見つめる三春さんも幸せそうだったのか。


「だから類君もこのまままっすぐで優しいままでいてね。そして私に美味しいものを食べさせてください。それじゃあそろそろ行かなきゃ、また明日ね」


 三春さんが頭を下げた後、手を振ってくれた。


 現代の科学では解明できそうもない驚くべき力だが、目の前にいる三春さんはただの可愛い女の子にしか見えない。その力と十五年も付き合っていて嬉しいともつらいとも思っていないようで、三春さんにとってその力は当たり前の事実でしかないのかもしれない。ちょっと変わった子ではあるのかもしれないが僕の気持ちに変わりはない。


「うん。また明日」


「他の皆には内緒だよ」


 三春さんと別れて自宅に向けて再び自転車を漕ぎだす。


 三春さんの不思議な力、食べない理由、この二つは分かった。こんなことが現実にありえるものかとも思うが、今までの三春さんを見れば信じる他ない。


 そして三春さんが人間関係で抱えているものも少し見えた気がする。人によって感情の味が違う。嘘つきだったり、人の気持ちを考えなかったり、裏表があったり、そんな人の感情の味は苦手。きっとそういう味がする人のことを避けているのだろう。


 三春さんは僕の感情はまっすぐで優しいと言っていた。とても嬉しかった。三春さんに言われたからというのもあるがそれだけではない。こうなりたいと思って努力してきたのが間違っていなかったと分かったから。


 僕はこうなりたいと思ったきっかけの出来事を思い出していた。

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