第2話 心

 男の子と彼女の会話をまとめるとこうだ。


 男の子には西高を受験する兄がいて、母親の運転する車で送ってもらっており、その車に男の子も乗っていた。ショッピングモールの駐車場で兄は降りたが男の子は兄を応援するためにこっそりと一緒に車を降りてしまい、母親はそのことに気づかずに行ってしまったとのこと。


 早めの時間に出ていたようでまだそこまで渋滞はひどくなく、母親が気づくまでに車は結構な距離を進んでしまっているだろう。そして今になってこの大渋滞だと戻ってくるのにも一苦労で時間がかかりそうだ。


 母親が戻ってくるのを一緒に待つことになって、雪の当たらないところを探すと、この駐車場にはおあつらえ向きに歩行者用の通路に屋根がかかっていたのでそこまで移動して待つことにした。


 彼女は男の子と手を繋いで一緒に歩いた。男の子はすっかり笑顔になっている。


 本当に女神のような力を持った人だと思った。男の子はもちろん、僕まで嫌な気持ちが消えていくような感覚がしてこんな人と高校生活を過ごせたら最高だろうなと思う。


 そういえば彼女がなぜここにいたのか聞いていない。僕と同じ西高の受験生ではないのだろうか。


「あの、君は……」


「私は三春心みはるこころ。三つの春にハートの心。君は?」


「あ、僕は安相類あそうるい。安全な、相手の、種類で……?」


 三春さんの説明よりも大分たどたどしくなってしまった。


「あそうるい、あそうるい。そうる、魂が愛に囲まれていて良い名前だね」


 三春さんが優しく微笑みながら名前を褒めてくれた。小中学校のときはそうると呼ばれるのが恥ずかしいと感じるときもあったが、三春さんに呼ばれると何だか照れくさいし、愛に囲まれているなんて付け加えられたことは今まで一度もなかったのでめちゃくちゃ嬉しい。


「僕は西本かける! 西にある本って書くんだよ」


 男の子、かける君が負けじと自己紹介をして、積もった雪の上に指で西本かけると書いた。


「お、そっかー。かける君もう漢字分かるなんてすごいねー。かけるの方はどういう漢字書くのかな?」


「んーまだ書けない!」


「んーじゃあこんなかなあ?」


 三春さんはかける君の頭を優しくなでながらかけると読みそうな漢字をいっぱい雪の上に書き始めた。なかなか当たらなかったがと書いたところでかける君が「それ!」と嬉しそうに答えた。そんな微笑ましいやり取りを眺めていると駐車場に一人の男性が歩いてくるのが見えた。あの人は確か西高の校門近くで雪かきをしていた人だ。


「おーい君たち。そこで何をしているんだ? 受験生から泣いている男の子がいるって話を聞いて来てみたんだが、君たち中学生だろう? うちの受験生じゃないのか?」


 四十代くらいのがっちりとした体格でしっかりと日焼けをした先生は僕らを見て尋ねた。


「私は一期試験で受かっていて、今日は友達の応援に来ただけなんです。でも彼は受験生で、泣いていたこの子を放っておけなくて私と一緒に付き添ってくれて。あの、時間が過ぎているのは分かりますけどどうにかなりませんか?」


 三春さんはついさっき会ったばかりの僕のために頭を下げた。


 なんて優しいんだ。今会ったばかりの僕のために無茶なお願いをしてくれて、諦めていた心に再び火が灯ったような感覚がして、同時に僕は三春さんに否応もなく惹かれていることを自覚した。性格も容姿も何もかもが僕の理想的な人で、僕の心を全部持っていった。


「あーそのことなんだが、この雪で電車が遅延していてな、試験開始を一時間遅らせることになったんだ。そういう事情なら君の入室も認めるから今すぐに学校に行きなさい。この子は私が見ておくから。ああ、受かっている君は残ってくれ、事情を詳しく聞きたい」


 三春さんと僕は顔を見合わせた。三春さんは自分のことのように笑顔で喜んでくれている。その笑顔を見るだけで頑張れる気がする。


「頑張って、類君。一緒に同じ高校行こうね」


「頑張れ、そうる兄ちゃん!」


 去り際に三春さんとかける君が応援してくれた。一緒の高校ということは三春さんは西高に一期試験で受かっていることになる。僕らが住む県での県立高校入試は一期試験と二期試験があり、今僕が受けようとしているのは二期試験の方だ。


 二期試験は基本的に学力重視で面接はある学校とない学校があり、西高はない。一期試験は約一ヶ月前に行われていてこちらは成績、面接、課外活動、小論文などによる評価が基本だが、進学校だと当然のように学力試験もある。募集人数も少なく対策も難しいため、難易度は二期の比ではない。


 西高に一期で受かることができるのは中学校に一人いるかいないかという狭き門で、三春さんは相当に優秀な人間であることが分かる。内面も見た目も学力もすべて完璧な三春さんに憧れずにはいられない。


 三春さんからパワーをもらった僕はいつも以上の力を発揮できた。合格を確信して試験を終えた。残り僅かな中学校生活は三春さんのことばかり考えていた。

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