第17話 それは憧れた恋じゃない

 増子さんが去ってしまうと僕らの間には静寂が生まれる。あんな状態の後なので妙にドキドキしてしまってなんと声をかけたらいいか分からなくて、踊り場から階段の方を向いて、二人並んで座った。しばらく無言でいたが、体育座りの姿勢で顔を膝あたりに置いたまま三春さんが口を開いた。


「ごめんね、色々と驚いたでしょ?」


「うん。でも新鮮で、見ていておも……可愛かった。あんな一面もあるんだなって。クラスの皆もびっくりしていたけど、ああいう三春さんもいいんじゃないかなって思うよ」


 弱っているところに付け込むみたいだけど今が色々聞くチャンスだと思う。色んな事情を知って、少しでも助けになりたい。


「こんなときに悪いとは思うんだけど、二人きりになれたいい機会だから聞きたいことがあるんだ。いいかな?」


「うん」


 三春さんが消え入りそうな声で了承した。


「三春さんって僕や増子さん以外のことは苗字で呼ぶけど理由とかあるの?さっきは名前で呼んでて、皆驚きながらも嬉しそうだったからこれからもそうしたらって思うんだけど」


 聞いてしまった。もう後戻りはできない。どんな答えが返ってこようと、向き合っていくしかない。


「類君も……」


「え?」


「私のこと、苗字で呼ぶよね」


「あ、そ、それは照れくさくて……分かった、名前で呼ぶことにするよ。こ、心さんのこと色々教えて欲しい」


「……うん」


 心さんは膝あたりに顔をつけ、僕とは反対側に顔を向けているから表情は見えない。


「幼稚園や小学生の頃の私は誰とでも仲良くする子だった。皆の感情の味に雑味がなくて、美味しくて、皆のことが好きだった。さっちゃんとは小学一年生からの仲で、その頃から特別ではあったけど、今みたいにさっちゃんだけと仲良くすることなんてなかった」


 やはり人間関係に境目のようなものを設けていることを自覚していたのか。そうなった理由があるはずで僕はそれを知りたかった。心さんは小さな声で淡々と話し続ける。


「中学一年生になると感情に雑味が混ざる人が増えた気がした。まあ、皆少し大人になって色々考えることも増えて、感情も複雑になるだろうから仕方ないんだけど、私はそれが嫌だった。美味しくないものを食べたくなかった。だから私は、さっちゃんと他に雑味が少ない二人の女の子と一緒に行動することが多くなった。美味しくない人とは距離を置きたくなって、美味しい人とは近づきたくなって、少しずつ下の名前と苗字を呼び分けるようになった。生まれつき感情の味が分かるから、私の他人に対する判断基準は感情が美味しいか美味しくないかなんだ。おかしいよね」


「おかしくないよ。僕には同じ力がないから想像できないけど、生まれつきそうなら仕方ないと思う。美味しいものを食べたくなって、美味しくないものを食べたくなくなるのは当たり前だよ」


「ありがと……それでね、うまく友達を作ることができなくなったけど仲の良い友達が三人いたからあまり気にしてはいなかった。あるとき一人の子が一つ上の先輩に恋をしたの。あ、さっちゃんじゃないよ。さっちゃんは西本君のことが好きなんだから」


「え、何それ? 尊琉は心さんに告白して振られたって……」


「ごめん、それは今の話に関係ないから後で相談しよ。それで、その恋をした子を応援しようってことになって、皆でその先輩のことを見に行ったりしたの。私たちは皆陸上部で、先輩はバスケ部だったから練習中にこっそり体育館を覗きに行ったり、たいして用もないのに先輩と同じクラスの陸上部の先輩のところに行ってみたり、その子の恋の感情が美味しくて美味しくて私もすごく楽しかった。でも、先輩の感情は美味しくなかった。その子と先輩は二人きりで話ができるくらいには仲良くなっていたんだけど、そのときの先輩の感情は恋じゃなかった」


 楽しそうな思い出話に暗雲が立ち込める。恋じゃなかったと言う心さんの声は今までに聞いたことがないくらいに悲しみに満ちていた。


「色んな味が混ざっていて、吐きそうになるくらい気持ち悪くなった。嘘とか気怠さとかに加えて得体のしれない何かが混ざっていたと思う。その得体の知れない何かの味が私は何より嫌いだった。先輩はその子のことを全然好きじゃなかったのはすぐに分かったから、私はその子にやめておきなよって言ったの。全然あなたのこと好きじゃないよって」


「その子は何て?」


「怒られちゃった。なんでそんなこと言うの、邪魔しないでって。それからその子ともう一人の子とは喧嘩みたいな関係になっちゃった。綺麗だった二人の感情はぐちゃぐちゃになって、訳の分からない味になっていて、私は二人から距離を置くようになった。その子は先輩に告白して、付き合うことになって、少し心配だったけどその子が幸せならまあいいかなって思ってた」


 話を進めるごとに心さんの声のトーンが下がっていく。話の内容も少しずつ暗くなっていき、僕の気持ちも落ちていっているから美味しくない感情を食べさせてしまっているのだろう。心さんのことが好きだ、と思ってみると、心さんが反応して顔をこちらに向けてくれた。苦悶の表情が少しだけ微笑みに変わった。


「……ありがと。続けるね。その子が先輩と付き合い始めて二週間くらいが過ぎて事件というかトラブルが起きた。部活終わりの夕方、公園で二人きりでいたときにその、体を求められたっていう話を聞いた。その子はそんなつもりはなかったって拒否して逃げたって言っていたけど、いつの間にか学校の中では二人がそういう行為をしたっていう噂になっていた。そして先輩はその子の他にも学校の中に二人、他の学校に一人彼女がいることが分かった」


「ひどい人もいたもんだね」


「それでね、先輩と別れたその子ともう一人の子に自分たちが間違っていた、心の言う通りだったって謝られた。でも、なんとなくぎこちなくて前と同じように仲良くすることはできなくなっていた。そして一週間くらいしてその子はすぐに別の人と付き合うことになった。別に悪いことってわけじゃないけど信じられなかった。あんなに先輩のことが好きだったのにそんなに簡単なんだって。その子から恋の甘みはほとんど感じなかった。味がしない恋は虚しくて、私の憧れた恋と全然違かった」


 心さんは「休憩」と言って立ち上がり、屋上に続く扉のノブをひねった。てっきり閉まっているものだと思ったが意外にも開いていて、心さんは屋上に出て数歩歩いたところで止まり、僕は屋上の出入り口でその姿を見守る。

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