第16話 飲み込まれる

 翌日の放課後、体育館にて全校集会が開かれた。生徒会長兼文化祭実行委員長の熱田さんが壇上に上がる。僕らは立ってそれを見守る。一年生の僕らにはこれから何が起きるか分からないが二、三年生は何かを待ち望むようなワクワクに満ちた表情。


 体育館は静まり返っているが、それは嵐の前の静けさのような、これから何かが起こるような空気が満ちている。僕ら一年生もその雰囲気にあてられて少しずつ気持ちが前のめりになっていく。


「昨日すべてのクラスの企画書の承認が終わりました」


 壇上の熱田さんがマイクを通して事務的に冷静に言った。


 二、三年生がほんの少しだけ膝を曲げたように見える。


 熱田さんが大きく深呼吸をした。皆息を飲んだ。


「これより!」


 熱田さんはマイクを切って、とてつもない声量で声をあげた。


「第九十八回姫著莪祭ひめしゃがさいの開始を宣言します!」


 体育館を包み込む歓声。飛び上がる二、三年生。見守る先生たちも拍手で讃えている。体育館全体に興奮が満ちる。熱狂という言葉がふさわしい。これが西高の文化祭なのだと思い知らされた一年生も嫌が応にも盛り上がる。


 仲の良し悪しは関係ない。明るい性格、おとなしい性格も関係ない。この瞬間だけは皆が文化祭の成功に向けて心を一つにしている。胸の奥底から熱いものが湧き上がる感覚。体も熱を帯びて、僕も周りにつられて飛び上がり、大きな声を上げていた。


「いえぇぇぇい! がんばろー!」


 一年生の方からも体育館中に響く大きな声が上がる。聞いたことがある声にそちらに目を向けると増子さんを左腕で小脇に抱えた三春さんが右手を突き上げて叫んでいるのが見えた。周りにいる同じクラスの女子たちもぎょっとしていて、普段は比較的おとなしい三春さんでもあんなになるのかと、西高の文化祭に満ちるパワーはすごいと思った。


 集会が終わる頃には皆テンションが落ち着いていて真面目に準備に取り掛かろうとしていた。


 ただ一人、三春さんを除いては。



 集会が終わっても三春さんのテンションが元に戻らない。ずっと興奮状態にあるのか大きな声を出したり、今まで苗字でしか呼んでいなかったクラスメイト達を名前で呼んで、肩を組んだり、ハイタッチしたりまるで仲の良い友達のような振る舞いをして、そして手を振りながら僕の方にやってきた。


 ずっと増子さんを抱きしめていてクラスメイト達は遠巻きで眺めている。


「類くーん」


「は、はい」


 増子さんを間に挟んで僕の正面に立ち、僕の右手を左手で、左手を右手で握ってきた。身長は僕より少し低いくらいの三春さんだが、指は僕よりももっと細くてしなやかですべすべしていて手のひらも小さい。指をにぎにぎと絡めてきてこそばゆい。

にこにこ笑顔で僕を見つめてきて心臓に悪い。いつもわざと好きだと思っているのとはわけが違う、不意に、偶発的に、でも必然的に改めて恋をしてしまう。


「あー! 美味しい気持ちになってる! ムフフー、やっぱり類君のは美味しいなー」


 明らかにいつもと違う様子。ムフフとかいつもは言わない。これはこれで良いと思ってしまうが、いや駄目だろう。間に増子さんを挟んでいるからまだいいものを、もし増子さんがいなかったら抱き着きかねないテンションだ。


「ね、類君は私のこと好きだよね? いつも甘い味がするもん」


 突然頭を撃ち抜かれた。


 いつも心の中では思っていた。三春さんにも伝わっていた。でも口に出したことは一度もない。僕らの中では不文律となっていて分かっていても言わないのがいつもの三春さんだった。


「類君ついてきて、ほら心、行くよ」


 僕らの間に挟まっていた増子さんが我慢の限界が来たのか、僕と三春さんを教室から連れ出した。


「あーんさっちゃんどこ行くのー。まだ聞けてないのにー」


 おかしな三春さんを無視して手を引っ張る増子さんは旧校舎の四階と屋上をつなぐ階段の踊り場まで僕らを連れてきた。この辺は空き教室や倉庫部屋があるばかりで人の気配がない。


「類君、今すぐ悲しい気持ちになれる?」


「え? どういうこと?」


「心は皆の興奮する感情に飲まれてテンションがおかしくなってるから悲しい気持ちで中和するの。詳しくは後で話すから。悲しみじゃなくてもこの際ネガティブな感情なら何でもいい」


 意味も分からないまま、増子さんはスマホで何かの動画を見始めた。


「あーさっちゃんから悲しい味がするー」


 音声は良く聞こえないが多分戦争か災害の被害の解説をしている動画のようだ。それを見て無理やり悲しくなって三春さんに悲しい感情を食べさせているのだろう。


「心にまっすぐ伝わるように、悲しい場面に心がいることを想像してみて。その方が心に食べてもらいやすい」


 よく分からないが普通ではない三春さんを元に戻すために協力するしかない。僕が悲しくなるには簡単な方法がある。小学生のときに救えなかったあの子を思い浮かべればいい。三春さんがそこにいると考えるならば、あの子を三春さんに置き換えてみる。


 いじめられて泣いている三春さん。僕に助けを求める三春さん。見捨てて逃げた僕。ずっと気にしていたけど何もできなかった僕。自ら命を絶つ三春さん。三春さんの絶望する顔が脳裏から消えない僕。死してなお僕を恨み続ける三春さん。罪悪感から逃れようと努力する僕。救いがあってはいけない。もう一度小学生に戻って繰り返す。悲しみ、苦しみ、後悔、絶望、恐怖、無力感、様々な感情が渦巻き、自然と涙がこぼれていた。それを五回繰り返した。



「類君……」


 顔を上げると増子さんが少し驚いたような顔で僕を見ていた。増子さんの小さい背中に三春さんが隠れるように張り付いている。顔を真っ赤にしているのは髪と増子さんの間からかすかに見える肌だけでもよく分かった。


「もう大丈夫。心は落ち着いたよ。類君は大丈夫?」


「あ、うん、平気。三春さんは?」


 三春さんは増子さんの背中から少しだけ顔を出して僕の方をちらりと見る。


「あんなに美味しくないのは久しぶり……類君、いったい何を考えてあんな気持ちになったの?」


「まあ昔色々あってね、それを思い出したんだ。でも今は平気だから気にしないで。それより三春さんはいったいどうしちゃったの?」


 恥ずかしがっている三春さんをよそに増子さんが説明してくれた。


「心は大量に同じ種類の感情を食べるとしばらくの間逆に飲み込まれちゃうの。体育館であんな間近で、普段大人しい人まで大騒ぎしちゃうような興奮を味わったから」


「興奮を食べすぎたから三春さんも興奮し続けるようになっちゃったってこと?」


「んー微妙に違うかも、ね、心」


「……興奮している人たちが常に自分の周りにいる感じかな、常にその味を感じ続けて。皆興奮してるから私も盛り上がっちゃって……あんなことを……ごめんなさい……あんな……」


 おかしなテンションのときの記憶はしっかりあるようで、三春さんはまた増子さんの背中に隠れてしまった。


「心、私教室に戻って皆に心は大丈夫って伝えてくるから。類君には自分で説明しなよ?」


「……うん」


「じゃ、類君あとよろしく」

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