第21話 つまみ食い

 僕と尊琉、心さんと増子さんの四人は近隣の小中学校に文化祭のチケットを配りに行く生徒会役員の人に一人ずつ同行して恋のメッセージの記入用紙を配る。鯉のぼりの作成の方は業者待ちのため他の人たちは今日は仕事がない。僕は生徒会長の熱田さんと一緒に近所の小学校二つと中学校一つに回る予定になっている。


 熱田さんと縦に並んで自転車を漕ぐ。野球部としてバリバリ現役の熱田さんは高校生になってからは体育くらいでしか運動していない僕に速度を合わせて少し前を走っている。


「安相君、冷泉は何か言ってたか?」


「え? 何かってなんでしょう?」


「【こい】っていうテーマとか、閉会式に企画した恋の叫びとか今までそんなことなかったのに最近やたら恋を推してくるんだ。何か聞いてないか?」


「いえ、理由までは……でも、冷泉さんも恋してるのかなとは思います」


「そうか……」


 二つ上の先輩たちの恋にまで口出しするのは野暮というものだろう。二人が両思いなのはすぐに分かった。幼稚園からの付き合いで、幼稚園からの付き合いだからこそそばにいるのが当たり前で気持ちを口に出すのが恥ずかしいのだろう。増子さんと尊琉と同じような関係なのだ。


「熱田さんもメッセージ書いてくださいよ。口で言えなくても文字なら表現できるかもしれませんよ」


「優しいなあ君は。困ってる人には必ず手を差し伸べてくれる」


「いえ、そんな、見捨てたら夢見が悪くなるだけです」


 事前に連絡していたこともあったが、熱田さんがあっという間に交渉などを終わらせてチケットの配布とメッセージ記入用紙の設置が完了した。


「じゃあ俺はこのまま部活に行くから冷泉に完了報告よろしくな」


 西高野球部のグラウンドは学校から少し離れたところにある。小中学校回りをした後に部活にスムーズに行きやすいように冷泉さんが熱田さんの担当ルートを決めたらしい。


 素直に好きと言えばいいのにと思うが、きっと僕には分からない二人だけの事情があるのだろう。それは増子さんや尊琉も同じで、心さんにも増子さんですら知らない事情がまだ何かあるのではないかと思う。心さんと同じ力があれば何かしら分かるのにと思ったが叶いもしないことを考えても仕方がない。


 学校に帰ってくると校門付近で人だかりができていた。その真ん中には言い合いをしている男性が二人。西高の生徒ではなく片方は二十代半ばくらいの若者、もう片方は五十代くらいのおじさんだ。周りを囲む西高の生徒たちはその様子を心配そうに眺めることしかできない。


「おい、おっさん、ぶつかったんだから謝れよ」


「なんだと、スマホを見ながら歩いてきてぶつかったのはそっちだろう。そっちが謝れ」


 二人がにらみ合い、言い合いは次第にヒートアップしている。このままでは殴り合いにでもなりかねない。二人の主張を聞くところによると若者の方がスマホの画面を見ながら歩いていて、おじさんの方が注意するためにわざとぶつかったようだ。二人とも自分の悪い部分を認めずに話は平行線のまま。


 ついにはお互いがお互いの胸ぐらを掴み合った。見ていた女子生徒から小さく悲鳴のような声があがった。


「ちょ、ちょっとやめてくださいこんなところで、冷静に話し合ってください」


 僕はいてもたってもいられなくなって掴み合う二人の間に割り込む。


「じゃまするな!」


「なんだてめえ殴られてえのか」


 怒りに支配された二人に対して僕は全くの無力。三人でもみ合う僕ら。そのうち、若者の意図しない拳が僕の右頬に直撃した。


「おい、関係ないやつに手を上げるとは何事だ」


 そのことに対して何故かおじさんの怒りが増す。その中途半端な正義感がこのトラブルを招いているというのに。


 もう無理なのかと無力感にさいなまれる。


 だがその無力感は瞬時に消え失せ、視界に入った人物を見ると安心感に変わった。


「……その、なんだ、スマホ見ながら歩いてたのは危なかったよな。悪かったよ」


「……いやこちらこそ、注意のためとはいえわざとぶつかったのはすまなかった」


 殴り合い直前になっていた二人の男性は急に態度を軟化させ、お互いに謝罪をしてその場を去っていった。二人の怒りという感情は一瞬にしてなくなってしまったようだ。


「心さん」


 騒動を見ていた西高の生徒の中に今戻ってきたばかりと思われる心さんと、同行していた冷泉さんの姿があった。二人とも僕の方に駆け寄ってくる。


「類君、大丈夫?」


 若者の拳が当たった右頬を心さんが優しく撫でた。まるで女神のような慈しみの表情は向かいのショッピングモールの駐車場で翔琉君を助けたときのことを思い出す。


 拳が当たった瞬間こそ痛みはあったが、そこまで深く当たったわけではなく、今は痛みはない。心配そうに頬を撫でてくれる感触が心地よく、僕は何も答えずにされるがままになっていた。僕の頬を撫でる心さんの目には少し涙が溜まっている。理由は察することができた。


「怒りはからいんだっけ?」


 無言で頷く心さん。空いた左手で口元を抑え、目に溜まる涙もだんだんと増えている。


 わざと思うことはやめるつもりだったが今回はいいだろう。


 心さんが好きだ。助けてくれてありがとう。


 僕がそう考えるだけで、心さんの目から涙が引いて、笑顔へと変わっていく。甘くて優しい味で辛みを和らげていく。事態の収拾を見て人だかりはなくなり僕らも校舎へと入って行った。



「あなたは何者なの?」


 生徒会室で報告を終えた後、冷泉さんに問われた。


「何者というのは……?」


「さっきの騒動、あなたは無謀にも割り込んで、何もできそうもなかったのにいきなり……」


 ここまで言って冷泉さんは、はっとした。


「あなたは何もできなかった。おかしいのは、あの子の方? そういえば一緒に学校回りしてるときも楽しそうに遊んでいる小学生を見て幸せそうな顔してたり、中学生の恋の話聞いてウキウキしてたり変わり者だと思ったけど」


「僕からは詳しいことは言えません。でも心さんのおかげで助かったのは事実です」


 冷泉さんは訝しむような顔をして僕を見る。


「……何か大事な秘密を共有していて、さっきの言葉が少なくても心で通じ合ったあの感じ。もう告白なんて必要ないくらいじゃない」


「そう見えます? でも告白しようとしたら止められちゃったんですよ。なんででしょうね」


 冷泉さんは少しの間、思案して少しだけ不機嫌そうな声で言った。まるで自分にもうまくいかない似た経験があるような語り口だ。


「……好きなら告白を受け入れる。嫌いなら断る。そんな単純なことばかりではないのよ。プライドとか、タイミングとか、周りとの関係とか、親のこととか、進路のこととか、色々なことがあって、たとえ好きでも交際に踏み切れないことがある。告白されたら答えを出さないといけなくなる。でも答えを出せない事情があるから止めたとも考えられるわね。少なくともあの子はあなたのこと良く思っているようだからしばらくそばで見守ってあげなさい」


「分かりました……ちなみに実体験ですか?」


 またもや無言で生徒会室の外に押し出され、鍵をかけられた。 


 生徒会室の前に置かれた恋のメッセージ募集用紙、それを回収するためのダイヤル式の鍵付きの箱を振ってみると中には何も入っていないことが確認できたのでそのままにして戻した。


 校内にたくさん設置させてもらったはいいが、誰がどこのものを回収するかは決めていなかったことを思い出し、あとで決めておこうと考えつつ、とりあえず今日は自分ですべて回収することにした。


 旧校舎をほぼすべて回ったが一枚もなかった。最後に昇降口に設置した回収箱のもとに行ってみると先客がいたようだ。鍵を開けて箱の中身を取り出し、それを見て幸せそうな顔をしている。大好物を食べている子供みたいな顔で、先ほど僕を心配してくれた女神のような表情とは程遠い。


「心さん」


 僕が声をかけると心さんは体をはねさせて驚く。手に持ったメッセージが書かれた赤と白の紙を背中の後ろに隠してそっぽを向いた。


「子供じゃないんだから……つまみ食いでもしてた?」


「そ、そんなこと……でも、どうしてもこのメッセージが美味しくてつい」


 隠蔽を見破られた心さんはおとなしくつまみ食いしていた恋のメッセージを僕に見せた。


 【あなたが好き】と、普通のボールペンを使っているはずなのにやたらと達筆な字で書かれたシンプルなメッセージ。心さんでなくてもこのメッセージに込められた気持ちが分かるくらい、誠実で実直な思いがにじみ出ている。


「甘いんだけどなんていうかこう、深みがあるというか、上等なお砂糖みたいな、それでいてまっすぐで、このあなたのことをずっと好きだったんだろうなっていう気持ちが伝わってくる。直筆の文字っていいなあ、印刷の文字より気持ちがよく伝わる」


 味や感情の解説をする心さんも嬉しそうで、僕はこの企画をして良かったと心底思った。


 しかしそう簡単に事が運んでくれることもなく、今日集まったメッセージはこの一通だけだった。初日だから仕方ないよねと話しながら今日の活動を終えた。

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