第33話 干支一回り

 六月になった。直前に面談をしていたり心さんと直接の関係を持つ須藤先生がいきなり連絡をしたりすると変に思われるかもしれないということで、野球部だった別の人からさくらさんに連絡をしてもらうことになっていた。その結果はまだ知らされていないそうだ。


「結構できてきたけどもう少しメッセージが欲しいよな。できればあと百枚。困ったな」


 鯉のぼり発注までの制作指揮を執っていた増子さんに変わり全体の指揮を執っていた尊琉たけるが僕にぼそっと言った。困ったと言えば僕が何とかすると思っているようだ。


「何とか考えておくよ」 


「おう、サンキュ……それより、幸から聞いたよ。三春のためにまた色々と頑張ってるって」


「うん、解決しないと僕らの関係はずっとこのままになっちゃうからね」


「そっか、もう覚悟決まってんだな類は」


「尊琉はどうするの? 冷泉さんが閉会式のイベント参加者がいなくて困ってるって言ってたから尊琉に出てもらえると嬉しいんだけど」


「冷泉って副会長の先輩だよな。たまに見かけるけどあの人絶対会長の熱田って人のこと好きだよな」


「やっぱり分かる? ……いや、それより今は尊琉のことだよ。増子さんのことどうするの?」


 尊琉は教室からベランダに出た。遠くを見つめて、腕を伸ばし、指でどこかを指した。指の先は二棟並んで立つ高層マンションだ。喫茶にしもとも近くにあったはずだ。


「あのマンション、俺のじいちゃんのものなんだ。周りの土地もだいたいうちの土地。俺の家結構金持ちなんだ」


 あまり驚きはしなかった。喫茶にしもとにはこれまで四人だったり心さんと二人だったりで何回も通ったがお金はいらないと言われていたし、お客さんは常連さんが数人いたり中学生や高校生がたまにいるくらいで全然入っていない。


 そのくせこだわりのコーヒー豆とか高そうな機械とかをどんどん買っていて明らかに赤字を垂れ流しているのに平気なところとか、放課後尊琉は必ずと言っていいほど家から差し入れと言ってクラス皆の分のお菓子を買ってきてくれていたことを考えると察することはできた。


「でも俺はその世話になるのは大学に入学するまでって思っててさ。大学入学まではまだ子供だからいいとしても大学生になったらもう大人だからじいちゃんの金にはできるだけ頼りたくなくて、だから起業して自分で大金稼ぎたいと思ってたんだよね。当然失敗のリスクもあるから怖かったんだ。幸を巻き込むのが。いや、別に失敗したらおとなしくじいちゃんの世話になれって話なんだけどさ。幸とは幼稚園の頃から一緒だから変に意地張っちゃうのもあって素直になれなくて、でも俺のこと好きでいて欲しいからたまに距離感近づけたりして、ずっと絶妙な距離を保ってた」


 急に仲良くなったりしたのはそのせいだったのか。


「中学のとき友達とのノリで三春に告ったときは幸は無反応でちょっとビビった。三春が俺のことを名前呼びに戻した後に聞いた話なんだけど、そのとき幸は俺が別に三春のこと本気で好きなわけじゃなかったことに気づいてたらしくて安心した。俺に興味ないから無反応だったんじゃなくて嘘の告白だと分かってたから無反応だった」


 尊琉はベランダの柵にもたれかかって、教室の中で作業をしている増子さんを見つめた。


 小柄で丸っこくて愛嬌の良い増子さんはクラスの女子からマスコットみたいに可愛がられていて、男子とも気さくに話せて、心さんとはまた違った人気者だ。


 そして心さんが気に入るほど綺麗な感情の持ち主で、震災で悲しみに取り囲まれた心さんを救おうと半年もの間戦い続けた強靭な精神の持ち主だ。美味しいものを食べるのが大好きで、友達思いで、美術と英語が得意で、管理栄養士を目指せる国立大学を目指していて、十二年間ずっと尊琉のことが好き。


 僕が知っている増子さんはこのくらいだけれど、尊琉の知っている増子さんはもっと色々な顔を持っているのだろう。尊琉は無表情のままじっと増子さんを見つめていて、僕にはどんな感情をしているのか分からない。


 増子さんのそばにいた心さんがこちらに気づいた。優しくて、幸せそうな微笑みを僕らに向ける。きっと、尊琉の感情を食べたのだ。


「さすがに干支一回りしてんのに何もしないのはださいよな。覚悟決めないと」


 尊琉が自嘲気味に笑いながら呟いた。


「それ、もっと刺さる人がいるから……でも、後悔しないように頑張りなよ。思っていることは素直に伝えた方が良いと思う。たとえそれが格好悪いことでも言えなくなってからじゃ遅いから」


 滝さんの後悔の表情を思い出す。さくらさんや心さんのことを愛していたのにちっぽけなプライドのために逃げ出してしまい、愛を語ることができなくなった。


「おう、頑張る。文化祭が終わるまでには決めてやる」


 作業に戻る尊琉を見送り、僕は教室から出て校内の恋のメッセージ回収を始めた。

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