第34話 冷静さの中に情熱をもって

 生徒会室の前にやってくると、メッセージ回収箱の前で立ちすくむ熱田さんを見つけた。じっと箱を見て動かない。横に回って手元を見てみるとメッセージ用紙が握られている。今声をかけるのはどうかと思ったが熱田さんに箱の前を占拠されていると中身の確認ができないので仕方なく声をかけることにした。


「熱田さん? 入れないんですか? それ」


 がっちりとした大きな体を情けなくびくつかせて熱田さんは僕の方を向いた。


「なんだ安相君か、驚かさないでくれよ」


「すみません。あの、そのメッセージって冷泉さんへの……」


「あ、う、うん、まあそうだ……」


 いつも大人っぽくて頼れる熱田さんがもじもじして恥ずかしがって少し可愛く見える。


「どうしたんですか? なんか歯切れが悪いような」


 熱田さんはうつむいて何かをぶつぶつと呟いている。いつもの大きくてよく通る声とは正反対の小さくて聞き取りづらい声でなんと言っているかは分からない。


「……誰かに聞いてもらった方がいいか」


 最後の言葉だけは何とか聞き取ることができた。僕に何かを相談したいみたいだ。尊琉に続いて恋愛相談所となる僕。安相という苗字は安心して相談できるという意味だったのか。


「安相君、君に相談があるんだ。解決してくれなくてもいい。ただ話を聞いてもらいたい」


 熱田さんの家は隣町にあり、昔から豪農と呼ばれていた。自分の家でも農業を行うが今では周囲の人に土地を貸している大地主でもあるらしい。周囲への影響力は強く、熱田さんも長男として家を継ぐため、熱田家の当主としてふさわしい人間になるため勉強、農作業はもちろんスポーツや学校では委員長などのリーダーシップを発揮する活動をさせられていた。


 野球好きの父親の影響でスポーツは野球を選び、始めは無理やりさせられていた様々な活動も知識や技術がつくにつれて楽しくなっていったと言う。


 冷泉さんの家は隣、と言っても熱田家の広い土地を挟んだ隣にあり、幼稚園から高校まですっと同じところに通っている。冷泉さんの六つ上の姉の萌花さんは見た目こそ大人しかったが中身は昔から元気いっぱいで自由奔放に二人を色々なところに連れまわし、危ない目にもあっていたから、対称的に物静かで思慮深い冷泉さんのことを昔から好きだった。


「でも俺は気持ちを伝えることができなかった」


「どうしてですか?」


「許嫁がいたんだ。今時珍しいだろ? うちと大きな取引をしてる会社の社長の一人娘で同い年。今は俺の地元の高校に通っていて、卒業後は俺が大学に行っている間に短大に行って、残りの期間はうちで熱田家の嫁になるための修業をするらしい。俺が大学を卒業したら即結婚」


 開いた口を閉じられなかった。現代で許嫁なんて言葉をリアルで聞く日が来るとは思わなかった。


「あ、熱田さんやその相手の人の意志は?」


「少なくとも俺の意志は関係ない。相手にも高一のときに一度会ったきりでほとんど会話をしていないから分からない」


「結婚を断ったら……」


「さあな。この結婚がどちらの家にとって利するものがあるかも知らないが、最悪俺は勘当されるかもな。親父は厳しいんだ」


 熱田さんは苦笑いを浮かべた。でもその顔はどこか爽やかに感じられた。


「安相君、君が俺の立場だったらどうする? 参考までに聞かせてくれないか?」


「決まってます。後悔しない方を選びます」


 尊琉にかけた言葉と同じだ。素直に自分の気持ちを伝えないことより後悔することはない。


 ただ熱田さんの抱える問題は僕には想像できないくらい大きく、大人な世界でのやり取りであって、熱田さんもそう簡単には決断できないだろう。


「後悔しない方……そうだな。ありがとう安相君。決めたよ。俺は自分の気持ちを伝える」


 それでも熱田さんは握りしめていたメッセージ用紙を回収箱に入れると迷いのない顔で昇降口の方へと歩き出す。


 メッセージ回収箱の中には一枚しか入っていなかった。


【静花が好きだ 熱田信一】と力強い字で書かれている。メッセージに自分の名前を書いてはいけない決まりはないが、書いている人は初めてだった。苗字ではなく名前を書いているところも合わせて、このメッセージを書いた時点で決心はしていて、僕に最後の一押しをしてもらいたかっただけなのだろう。


 とにもかくにも僕を含めてこれで三人確保できた。冷泉さんが参加者がいなさそうだと困っていた閉会式のイベントである恋の叫びにて用意していたメダルが無駄になることはないだろう。


「良かったですね、冷泉さん」


 僕はほんの少しだけ開いていた生徒会室の扉を開けようとした。引き戸になっているそれは内側から何かの力によって押さえつけられていて少ししか動かなかった。


「熱田君が家を追い出されたらあなたのせいよ。あなたが背中を押すから」


 扉の内側から声が聞こえた。言葉だけ聞くと僕を責めているみたいだが、その声色は涙と喜びが混ざっていて本当に責めている気持ちは微塵も感じない。


「まあいいわ。熱田君が追い出されたら彼の大学の学費は独身実家暮らしの姉さんに出世払いで借りればいいし、卒業後は婿に入ってもらう。うちは熱田の家とは何も関係ないから何の問題もない」


 きっぱりと言い切った。嬉し泣きしているにも拘らず冷静に物事を考えているのはさすがだ。


「なんだ、ちゃんと考えてたんですね。てっきり諦めていたものかと思ってました」


 少しの沈黙を経て再び扉の内側から声がする。


「あなたの頑張りを見ていたら私も覚悟決めようと思っただけ」


「僕の、ですか? そんなに頑張っているところ見せてましたっけ?」


「……生徒会役員は学校のありとあらゆるところに点在している。油断しないことね」


「それ、前にも言ってましたね。いったいどれだけの情報を掴んでいるんですか?」


「あなたの学校での行動はだいたい。詳しい事情は知らないけどあなたたちの関係が大事な局面に来ているってことはクラスの子たちは察しているみたい。あなたも頑張って」


 普通にしているつもりだったが皆鋭い。早く野球部の卒業生の手によってさくらさんと滝さんの話し合いの場が実現しないかという焦燥感、そうなったときに心さんが嫌な思いをしないかという不安、もうすぐ一歩踏み出せそうだけど踏み出せない僕らの関係、そんなところに皆敏感に反応しているのだ。


「いつの間にか注目されてたのかな」


「人の恋愛事情には皆興味があるのよ。あなたもそうだから私たちのことに首を突っ込んでいるのでしょう?」


「僕は困っている冷泉さんを放っておけなかっただけですよ。まあ結局何もしてないですけど」 


「そうね、でもあなたがいてくれて良かった……お互い良い報告ができるといいわね」


 いつも冷静沈着だけど優しい冷泉さんの声。その優しさは僕にまっすぐに伝わってくる。初めて文化祭実行委員の会議があったとき心さんが冷泉さんのことを綺麗といった意味がやっと分かった。容姿も綺麗かもしれないがそれ以上に感情が綺麗だったんだ。まだ人間関係に壁を作っていた時期の心さんが言うほどなのでよっぽどなのだろう。


「ところで、熱田君が書いたメッセージはなんて書いてあったの? 受け取ったのでしょう?」


「一番ふさわしい場所に縫い付けますから、自分で探してください」


「あら、私それが知りたくて困っているのだけど?」


「僕が教えるより自分で見つけた方が良い結果になると思うので教えられません」


 冷泉さんはそれ以上何も言わずに生徒会室の扉を閉めた。


 僕は教室に戻ると早速熱田さんのメッセージをラミネート加工し、縫い付け作業をしていた心さんに縫い変えて欲しいものがあることを伝えた。


「……これ、生徒会長の熱田さんの?」


 熱田さんのメッセージを見た心さんは嬉しそうに微笑んだ。


「なんだろう、甘いんだけど甘いだけじゃなくて、味の表現として正しいか分からないけど、強いね。とても強くて、一途な愛。こんなに強く愛してもらえるなんて静花さんが羨ましい」


 縫い変える場所はもちろん冷泉さんのメッセージの隣だ。鯉のぼりのど真ん中、二つ並べて二人に見てもらおう。

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