第19話 名前を呼ぶ

 放課後は部活動に行っている人もいるためクラスの全員が文化祭の準備にあたっているわけではない。教室では増子さんを含めた十数人でメッセージを書いてもらう用紙を校舎の色々なエリアや、校外の施設に置くための振り分け作業を行っていた。尊琉たけるは持ち込んでいた自分のパソコンで説明用の文書を作成している。


 僕は尊琉たけるに呼ばれて文書のチェック、心さんは用紙の振り分け作業に加わる。


「どう? いい感じ?」


 尊琉が作成した文書を僕に見せながら尋ねた。


「うん。あ、ここ変換ミスってるよ。掲示が警察の刑事になってる」


「いや、こっちじゃなくてあっち」


 文字の変換を修正しながら尊琉は心さんの方へ目線を向けた。相変わらず増子さんのそばにいるけれど、他の女子にも積極的に話しかけようとしている。早速頑張っているようだ。


「勇気は与えられたのかなって思う」


「そっか」


「増子さんはいったいどんな説明したの? 皆あんな心さんを見たのになんか落ち着いているというか……」


「ん? ああ、三春はたまにあんな感じになる変わった子だから気にしないでって」


「それは、大丈夫なのかな……」


「でも、皆のこと名前で呼んだり友達みたいに振る舞っていたのは、本当はあんな風になりたいっていう気持ちの表れだから無理しない程度に受け入れて欲しいって」


 さすがは増子さん。心さんのことは何でも分かっている。


「名前で呼ぶようになったんだな三春のこと。もしかして告った? 告られた?」


「告ろうとしたら止められた」


「なんだそれ。今まで告白後一秒で振られた奴は大量にいたが、告白自体を止められるなんて初耳だな」


「何が初耳なの? 尊琉君」


「え? うわあ! 三春!」


 突然心さんに話しかけられた尊琉が驚いて座っていた椅子から転げ落ちた。


「そんなに驚かなくてもいいのに……はいこれ。生徒会の人たちと色んなところにメッセージの依頼しに行く割り振り、私とさっちゃんで作っておいたから確認して、駄目なところあったら言ってね。類君も」


「う、うんありがとう。今、尊琉のこと名前で……」


 心さんは這い上がって椅子に座り直そうとする尊琉を見た。そして、少しだけ尊大な態度で言い放つ。


「あれから二年近くたったので、私の胸が好きと言ったことを許してあげることにしました」


 クラスの皆が尊琉に注目して、ひそひそと話し始める。


「胸?」


「胸って言ったよな、尊琉ってやっぱりおっぱ……」


 色々な噂が立ちそうだ。


 心さんなりに頑張ろうとして、まずは一番やりやすい尊琉から名前で呼ぼうと思ったのだろう。だが尊琉を名前で呼んだあとの穏やかで安心した表情を見ると、何故僕の告白を止めたのか余計に分からなくなる。



 帰宅して自室に入るとすぐに増子さんに電話をかけた。文化祭の準備中はゆっくり話す暇もなかったし、帰りはなんとなく心さんと二人きりにした方が良いと思った。


「もしもーし。類君、今日は色々お疲れ様だったね」


「色々とありがとう。増子さんのおかげで、心さんも少し前に進めたみたい」


「私こそ、ありがとう。心、類君のおかげで皆と友達になる勇気が出たって言ってたよ。いつも一緒の私じゃ事情を知りすぎて逆に言えないこともあるからさ、類君がいてくれてほんとによかった。名前で呼ぶようになったみたいだし、そっちの方も進展あった? 心は何も言ってなかったんだけど」


「ああ、それがね……」


 心さんが話してくれた過去の話。心さんが恋を諦めたこと。僕が告白しようとしたら止められたことなど、踊り場や屋上で話したことを増子さんと尊琉の恋心を除いて話した。


「告白を受け入れるでもなく、断るでもなく、させないってのは初めてかも。いや、受け入れたことはないけど、いつも一応告白をさせてから断ってたから……ごめん。今回はちょっと力になれないかも。この件に関して君が知っている以上の情報を私も知らないんだ」


「増子さんでも知らないことがあったんだね、意外」


「あ、一つだけ、でもこれは……まあ類君ならいいか」


「何かあったの?」


「心はお父さんがいなくて、母親と母方のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしているんだけど、母親は仕事ばかりであまり遊んでくれないって小学生のときに聞いたことがある。私も何度か会ったことはあるけど厳しそうな人だったな。デリケートな話題だから、その……」


「うん、もちろん誰にも言わないよ。心さんにもね。もしかしたらまた何か聞くかもだけど、とりあえずは自力で頑張ってみるよ。増子さんも、僕らのことばっかりじゃなくて自分のことも頑張ってね。助けが必要ならいつでも助けるから」


「……そっか、心にはお見通しだもんね。一緒に応援してねとか言われたんでしょ?」


「さすが、察しが良いね」


「もう十二年も一緒なのにあいつは察しが悪すぎるけどね。いい加減気づいて欲しいんだけど。まあとりあえず今は私のことはいいよ。そのうち決着つけるから。じゃあ、また明日ね」


「うん、また明日」


 電話を切ってベッドに横になった。


 なんとなく手のひらを見つめると興奮状態にあった心さんが絡めてきた指の感触を思い出した。そして、僕の唇に当てた右人差し指の感触も思い出す。自分の右人差し指を唇に当ててみるとあのときの気持ちが蘇る。


 そのまま右手を心臓の位置に持ってくると少し鼓動が速いことが分かった。目を閉じると思い浮かぶのは心さんの微笑み、涙、僕を見つめる透き通るような瞳。僕に言葉を封じ込めさせた無言の圧。


 ずっと心さんのことを考えながら、眠りに就いた。


 翌日から僕は心さんのそばでわざと好きだと思うのをやめた。心さんを遠くから見る必要もないし、無理に意識させる必要もない。普通より少し仲の良い友達として付き合って、告白できるタイミングを待つだけだ。

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