第46話 思いを伝えて

 ステージに上がる階段に足をかけたとき、熱田さんが周りの生徒会役員たちに聞こえないように小さい声で言った。


「職員会議ではかってもらったんだが、この場ではキスまでは許されるそうだ」


「それ、今言います?」 


 もう心さんはステージに上がり、中央に向かって歩いている。僕も止まるわけにはいかない。


 ステージの中央で心さんと向き合う。僕らの間にはスタンドマイクが一本。


「心!」


「類!」


 客席側から心さんを呼ぶ女子の声、僕を呼ぶ男子の声が聞こえる。もはや叫び声に近い。一年一組の皆だ。僕の後ろの方で生徒会の三人も遅ればせながら「頑張れ!」と叫んだ。 


 どうしたものか。僕一人だと思って言葉は準備してきたがこの展開は予想外で全部飛んでしまった。心さんも突然の登壇ということで当然何も用意していないので、僕らはただ見つめ合う。僕としてはこれはこれで良いのだけれど観客は盛り上がらない。


「一緒に言おっか」


 心さんがマイクに乗らないように小さな声で言った。走ったからなのか、それともこの場にいる恥ずかしさからなのか頬が紅潮している。何を言いたいかはすぐに分かった。


 理屈ではなく直感で。僕がいつも心の中で思っていて、心さんが僕の感情についてはそう言っていたけれど、お互いにお互い自身のことを指して直接言ったことはない言葉。


 僕らは近づいて、うまく音を拾ってくれるようにマイクの位置を調節する。こういうとき身長が近くて良かったと思う。


 近い未来に今日のことを思い出したら、なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろうと悶え苦しむことだろう。それでも躊躇はしない。


 ロマンチストな心さんのためにこの場で気持ちを伝えるつもりでいた。昨日の件でこの瞬間がメインディッシュとなった。冷泉さんの演出で共同作業となった。恥ずかしさも分かち合って、僕を止めるものはもう存在しない。


 この瞬間のために頑張ってきた。この瞬間こそが青春だ。


 二人そろって深呼吸をした。観客席から息を飲む音が聞こえるくらいの静寂。自分の心臓の音も聞こえるがこれは静寂のせいではなく、高鳴っているから。


 二人そろって口を開いた。


「僕は心さんのことが」


「私は類君のことが」


「「好き」」


 言った。ついに言った。そして言われた。この一言をずっと言いたかった。思い続けて、言えなくて、色々なことを乗り越えて、やっと言えた。喉につっかえていたものが取れて、重いものが自分の体から抜けていくような気がする。解放感に包まれながら心さんと見つめ合って、照れ臭そうに笑い合った。


 しかし、あまりにもシンプルで飾り気がない言葉に観客は拍子抜けのようで、拍手がまばらに起こるだけだった。「終わり?」「それだけ?」という声も聞こえる。

一年一組の仲間たちもさすがに多勢に無勢で盛り上がれない。


 盛り上がりはしなかったけれど気持ちを確かめ合えたことだけで僕はもう満足で、熱田さんに盛り上がらなくてすみませんと言うつもりでステージ袖に戻ろうと、心さんに背を向けて歩き出した。心さんとは後でゆっくり話をすればいい。


 ステージの端、まだギリギリ観客側から僕の姿が見える位置まで来たとき、まばらな拍手と大きくもない喧騒に包まれていた体育館が沸いた。ステージから感じる振動で僕の背中に向かって誰かが走ってくるのが分かった。手を掴まれて反射的に振り返った。


 体育館に大歓声が響き渡ると同時に唇に柔らかい感触がした。


 意外と味はしないものだ。心さんは食事をしない普段から昼休みには歯を磨いていたし、色々食べた今日はなおさらのことで劇を見る前に歯を磨いていた。唇にも何もついてはいないはずだ。


 心さんは目を閉じていて、僕も閉じた方がいいのかと思ったり、でもほぼゼロ距離にある心さんの顔を目に焼き付けておきたいから閉じたくない気持ちもあったり。心さんの手は僕の手から離れて僕の肩辺りに置かれているが、僕の手は宙ぶらりんになっていてどこにやるべきかを考えても、唇の感触と心さんとキスをしているという状況のせいで頭が回らずアイディアがまとまらない。


「余計なこと考えないで」 


 心さんが唇を離して少しだけ不機嫌そうに言った。目が合った。初めて見た表情に今までで一番ドキッとした。


「ごめん」


 今度は目を閉じて、心さんの背中に手を回して抱きしめた。もう一度唇に柔らかい感触があって体育館にはさらなる大歓声が響き渡った。歓声がやんでもなお無心で口づけを続けた。その時間がとてつもなく長かったことは覚えている。


 小休止を挟みながら時間にして七分の間僕らは唇を触れ合わせていた、と動画を撮っていた尊琉に後で教えてもらった。動画は僕と心さんのスマホにもしっかり送られている。また周りの興奮にあてられておかしくなったのかと思い心さんに尋ねたが断固として違うと言うので、そうなのだろう。



 きっと心さんも僕と同じように色々なことから解放されたことで反動が来たのだろう。「今まで抑えつけていた思いが爆発したのでしょうね」と冷泉さんには言われた。どうやら心さんは増子さんよりも冷泉さんに恋の相談をしていたらしい。増子さんに言うと問題を解決するために頑張りすぎてしまうから、と冷泉さんには説明していたようだ。


 僕らの後には僕らに感化された飛び入り参加者が数名いたようだが、見事に散っていた。ということで僕らには金と銀の恋メダルが授与されることとなった。どちらがどの色かは明言はされなかったがカップルでセットでもらえるので二人とも二つの色のメダルを手にした。


 冷泉さんが銅が余ってしまったと嘆いていたので、奪い取って冷泉さんの首にかけると驚いた顔をしていたが、あの場を盛り上げた人に贈られるものならば冷泉さんが貰うのにふさわしい。当然セットの片割れの方は熱田さんにかけてあげなければならない。


 須藤先生は何故か泣いていた。先輩たちに良い報告ができそうだと言っていたが、是非やめて欲しい。数日後に草野球に誘われて二十人くらいの四十歳前後のおじさんたちに祝福され、胴上げされたのはまた別の話だ。

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