第39話 君を救うために

「西本君、悪いけどお願い。母さんが入院してて父さんが付き添っているから今誰もいないの。滝真という男のはずだからここに連れてきて」


「は、はい」


 大急ぎで駆けつけたのだろう。寝巻のようなよれよれのシャツにぼさぼさの髪の滝さんが部屋に入ってきた。心さんを見た瞬間表情が強張った。震災のときの心さんに何もできなかったことを思い出しているのだろう。


 でもそれは一瞬のことですぐに表情を変えた。医者として、そして父親として心さんを救おうという決意の表情だ。今はさくらさんと滝さんの間のわだかまりは関係ない。心さんを救うため力を尽くすだけだ。


 到着した滝さんの指示のもと心さんを五人で夜通し支え続けた。だがそれは身体の状態を悪くさせないためのものであって、今の心さんの状態を良くするものではない。朝になっても心さんの状態は変わらない。


「幸、新しい洗面器」


「うん、これお願い」


 尊琉が新しい洗面器に新聞紙を引いて持ってきて、増子さんが心さんが吐いた水ばかりがたまった洗面器を差し出す。


「心、大丈夫よ」


「心……頑張れ」


 さくらさんと滝さんは心さんの背中をさすりながらずっと励ましの言葉をかけている。滝さんは時折血圧などを計って心さんの健康状態のチェックも行っている。


「安相君、少し治まった、飲ませてあげて」


 心さんの口元にペットボトルに繋がったストローを近づける。心さんは目が虚ろになりながらも僕の方を見てからストローから水分補給をする。


 須藤先生には僕ら四人が今日は学校に行けないことを連絡した。心さんが体調を崩し、滝さんも来ていることを話すとそれ以上の事情は聞かれなかった。ついでに母さんにも心配しないでとメッセージを送っておいた。


 午後になると心さんはほんの少しだけ落ち着いた。落ち着いたと言っても少しだけ会話ができるようになっただけだ。


「心、大丈夫よ」


 もう何度目か分からない言葉をさくらさんが心さんにかける。


「う、気持ち悪い……」


 言葉を発せられるようになっても嘔吐は続き、ずっと泣き続けていることは変わらない。


 もう十二時間になる。いくら水分補給を続けているとはいえこの状態が続くのは危ない。それは当然滝さんも分かっている。


「さくら、さすがにもう病院に連れて行った方が良い。ここでできることには限界がある。病院に行っても治る見込みがないことは分かってる。でも……」


 さくらさんは首を横に振る。


「心は病院が苦手なの。病院は人の死に一番近い場所。病気の人がたくさんいる場所。どんな感情に溢れているか、あなたなら分かるわよね? 昔部活で足を怪我して大きな病院に行ったらひどいことになった。病気じゃないなら病院に行かない方が良い」


 その考えも理解できる。普段の心さんならある程度感情を食べることのコントロールはできるらしいが、今はそのコントロールを失っている状態だ。悲しい感情を余計に摂取してしまうかもしれない。


 ではどうしたら良い。ここで五人でルーティーンのように心さんを支え続けても快方には何日かかるか分からない。今の僕たちにはポジティブな感情を抱くだけの気力は無い。



 それでも諦めてたまるかと思案していると僕のスマホに着信があった。こんなときに電話している暇はないので画面も見ずに切ってしまったが、すぐにまた着信がある。仕方なく画面を見ると冷泉さんだった。


「あなたたち何をしているの? 学校に来ていないってあなたのクラスの生徒会の子に聞いたけど、今日は文化祭なのよ。あなたも楽しみにしていたでしょう?」


 少しだけ目を閉じて考えた。冷泉さん、文化祭、楽しみ。そうだ、解決の手段は学校にある。


 ずっと準備してきた、心さんの大好物たち。こいつらならきっと救うことができるのではないかと思う。


「どうした? 類。さすがに疲れたか? 俺がそっちもやるから仮眠しても……」


「いや、大丈夫。冷泉さんありがとうございます。今から学校に行きます」


 電話を切ると皆が僕の方を見ていた。当たり前だ、こんなときに呑気に学校に行くなんて頭がおかしいと思われてもしょうがない。


「何言ってるんだよ類。お前こんな状態の三春を置いて……」


「助けるために行くんだ。一人じゃ難しいから尊琉も来て。ごめん増子さん、心さんのこと少しの間任せる」


 僕は心さんの部屋から、家から出て自転車にまたがった。尊琉も困惑しながらついてきてくれた。学校に向けて全速力で漕ぎながら尊琉と話をする。


「ねえ尊琉。尊琉の家に軽トラあったよね? あれ動かせる人はいるかな?」


「え、ああ、母ちゃんに頼めば大丈夫だと思うけど……何か運ぶのか?」


「うん。心さんは恋心が大好物なんだ。それをいっぱい食べさせてあげれば回復してくれるはず。前もそうだった、良い意味での興奮っていうポジティブな感情を一気に摂取しちゃったときは悲しみっていうネガティブな感情をあげたら元に戻ったんだ。今回は逆をすればいい」


「でもどうやって、今のお前や幸、俺もとてもポジティブな感情なんて……」


「文字でもいいんだ。感情がこもってさえいれば心さんは感じ取れる。むしろ文字ならどんな状況でも書いたときの感情のまま変わらないからこういうときは人より優れてる」


「……なるほどね。でも今文化祭の真っただ中だぞ。騒ぎになるぞ」


「大丈夫。この時間なら見てる人は少ないはず。もし見つかってもいい言い訳を考えてある」


 たくさんの人の恋心が集まった僕らの恋のぼり。当初は四百五十枚ほどを予定していた恋のメッセージは仕様変更により六百枚近くになった。


 心さんへの下衆なコメントの数に比べれば少ないかもしれないが、心さんにとってはちょこちょこつまみ食いしたり、完成後は子供のように味わうことを楽しみにしていた至高の逸品だ。あれならきっと心さんを救ってくれるはず。


 僕らは全速力で自転車を漕ぎ続けた。速く、もっと速くと心の中で呟きながら、一直線に学校を目指した。


 学校に到着すると今日は文化祭ということで制服でも私服でもコスプレでも何でも許されるので深夜に家を出たままの格好でも目立つことはなかった。

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